第2話

「そんな魔法があるの? 例えば料理を出す魔法とか」

 ぼくは思わず大きな声を出していた。冷静さを失っていたのだ。敵に聞かれたかもしれないと、慌てて声を潜めた。でも気持ちまでは静められなかった。

「食べ物を出す魔法ならあるが、これほど手の込んだ料理を出せる魔法は知らないな」

 三郎丸はゆっくりと首を振った。少し日に焼けた利発そうな顔立ちはぼくを真っ直ぐに向いて、その自信は揺るがなかった。それは場数を踏んだ経験からくる余裕だ。

「じゃあ、どういう事」

「令、よく店の中を見てみろ。何か不自然なことに気づくだろう」

「うん、店の中。ああ、柱時計?」

 ぼくはこの怪しい料理店に入って、一番気になっていたことを言った。それは今もずっと気になっていることだった。ぼんぼんぼんと突然と鳴って、ぼくを驚かせたことを気にしている。年代物の珍品かもしれないが、それだから人の魂が宿っているように気味が悪かった。

「いや、違う」

 三郎丸は表情も変えずに否定した。残念。

「やたらに目に付く物があるだろう」

 ぼくはもう一度ゆっくりと店の中を見回した。視界が流れるように回転していく。それほど広い景色ではない。整然と並んだテーブルと椅子は、ぼくたちにこの店の歴史を語り掛けてきそうだ。ぼくら四人以外誰の姿も見えない。静けさが一層不気味に感じられた。ぼくの青い顔が壁に張られた鏡に映っていた。それを見て、ぼくはまたはっと息を吞んだ。自分が映っているだけでも、何か別の物を見ている気がして落ち着かない。

「ひょっとして鏡なの?」

「そうだ。正解だ」

 三郎丸の明るい顔を見て、ほっとした。その事がこんな状況に陥っている、ぼくの気持ちを少し和らげた。

「あんた、やっと気づいたの?」

 二葉が両手で頭の上の空気を押し上げるみたいな格好で肩を竦めた。でもちっとも嫌味に見えないのが不思議だ。二葉は厳しいことを言っても、きちんとぼくたちを心配している。

「でもどうやって鏡で料理を運んでこられるの?」

「ううん、それはだな。料理を鏡に映したんだ。鏡像を実体化させたんなら、誰にも気づかれずに料理を出すことができるからな」

 そう言われても、ぼくにはぴんと来なかった。どこかで目にした小説や映画のように、鏡に映ったことが実際に起こるのかなと想像を働かせた。

「そういう魔法があるの?」

「そう。おそらく神殺しだな。強力な魔法だ」

「だから、誰が出したか分からなかったんだね。鏡に映した物が、現実に表れる魔法なんだ。それで元の料理はどうなるの?」

「光の速さで移動しているのと同じことだ。光が鏡に反射するように、料理を鏡に反射させて移動させたんだろ」

「なるほど。少しは分かってきたよ」

 これで謎は一つ解けた。でももう一つ厄介な謎が残っていた。それはとても不思議な謎だ。なぜ料理がなくならないかだ。これは全く仕掛けの想像が付かない。自分の目の前で起こっていることなのに分からないのだ。

「じゃあ、もう一つの謎はどう?」

 ぼくは急ぐように言った。どんなに急いでも足りないぐらいだ。もう残された時間は僅かしかないはずだ。柱時計を見る。正確に時間を読み取ることはできないが、料理を出されて既に二分は経過している。

「なくならない料理のことか。実はそれはそう難しい話じゃないんだ」

 三郎丸は造作ない物言いをする。

「ええ、そうなの?」

 ぼくは、一つも謎が解けない自分にすっかり自信を無くしていた。しかもそれは簡単な謎だという。ぼくはしばらく考える。目の前のオムライスを見ても、何も思い付かない。スプーンで少し崩して口に運んでみる。もうお腹は一杯だ。これ以上食べたくもない。そう思っていても、オムライスは出された時の完全な姿を保っている。時間が戻ったんだ。そう思うしかない。

「時間が戻ったんだ!」

 ぼくは取り敢えず思ったことを口にした。三郎丸は優しく微笑んだ。二葉は失望して口を歪めた。あれ、違ったのかな。ぼくはとんでもない勘違いをしているようだ。

「そんな凄い魔法があるなら、俺たちここまで逃げられないだろ」

「あっ、そうか」

 言われてみればその通りだ。時間を戻せるなら、もっと別のやり方を選ぶはずだ。ぼくたちが逃げるのを妨害する方が簡単だろう。ぼくはまた頭を捻って知恵を絞る。しかし、絞り出す知恵がなかった。仕方ないからテーブルの上の料理を見比べた。テーブルの上に秘密が隠されていると思った。オムライス、ハンバーグ、ナポリタン、ビーフシチュー。どれも湯気が上がって、出来立てのように熱々で美味しそうだ。それに一口も食べられていない。それはおかしい。三郎丸も二葉も、静さえもがっつくくらいにその料理を食べていたからだ。ぼくはちゃんと見ていた。そして、ぼくも食べていた。

「ううん、分からないよ」

 ぼくは音を上げた。

「あんた、諦めるのが早いわね。もっと粘り強く考えなさい。そうしないと強敵に出会ったときに勝てないわよ」

 二葉の言っていることは正しい。今は三郎丸たちがいるから、ぼくは助かっている。もし一人でこの謎に立ち向かわなければならないなら、きっと何もできずに敵にやられていただろう。いつまでも三郎丸たちに頼ってはいられない。しかし、そう思ってもこの謎はぼくには解けそうになかった。難問過ぎる。

「減らない料理もどんどん鏡で送られてくるのかな?」

「令、そうじゃないんだ。これは至って簡単な呪いなんだ」

「どういう事?」

 ぼくはオムライスを見下ろし、それから三郎丸に視線を戻した。栗色の水晶のように輝いた瞳が、ぼくをじっと見ていた。

「このお皿、魔法の呪いが掛かっているのよ」

 二葉が種明かしをした。魔法の呪いの掛かった物があることは聞いていた。ぼくはそれを散々探し回ったからだ。それは魔法使いの基本、姿を消す魔法を習得するために探した学校の机と椅子だった。そこにあっても姿を見破る魔法で見なければ、見ることができないものだった。

「ああ、そうなんだ」

「食べても食べても減らない呪いだ。ちょっと厄介だな」

 三郎丸は眉をひそめ、厳しい顔をした。

「ちょっとどころじゃないよ。でも三分以内に料理が食べられなかったら、ぼくたちどうなるの?」

 ぼくは不安になった。呪いは厄介だった。ぼくはその事を身を持って知っている。ぼくの左腕にも恐ろしい呪いが掛かっているからだ。その時のことを思い出すと身が竦む。ぼくがこの呪いに掛けられたとき、ぼくの左腕は化け物のように腫れ上がった。それは誰も見せたくないくらい醜かった。

「最悪、死ぬわね」

「ええ、そんな」

 二葉の死刑宣告に、ぼくは震え上がった。今更ながら、腹にずしりと来るオムライスを注文したのは間違いだったと気づかされた。よく死ぬ前に何が食べたいか聞く話があるが、大好きなオムライスを食べて死ねるなんて全然嬉しくない。

「料理を食べて死ぬなんて、笑い話にもならないよ。それでどうするの?」

「ううん、要は神殺しの魔法なんだ」

「神殺し?」

「神殺しには、神殺しで対抗するしかないわね」

 二葉は名案があるように人差し指を立てている。二人は多くの神クラスの怪物を倒してきたと聞く。それで得られた神殺しの魔法も数えきれないくらいあるだろう。それだから、神殺しの魔法については詳しいのだ。

「ぼく神殺しなんて使えないよ」

「ちょうどいい。神殺しがあるわ」

 二葉が明るい声で言う。

「どうな神殺しなの?」

 ぼくは直感的に少し嫌な気がした。次の二葉の言葉を聞いたとき、それが当たっていたと分かって絶望した。

「飢え死にの食卓よ」

「それ使って大丈夫なの。どっちも死ぬんじゃない?」

 食べて死ぬか。食べずに死ぬかの違いしかないように思えた。底知れぬ不安が湧いてきた。魔法初心者のぼくには、魔法の世界に付いていけない時がある。ぼくは元々魔法の存在に気づかずに過ごしてきた。魔法を知ったのもハジメのクラスに移ってからだ。その時のことはよく覚えている。教室はがらんとして、生徒さえもいなかった。それなのに誰かのくすくす笑う声が聞こえてきた。みんな姿を消す魔法を使っていたのだ。

「大丈夫よ。飢え死にと言っても効果は一日しか続かないから。でも一日は酷い飢えに堪えないといけないけどね」

「やっぱりそうなるんだ。でもその神殺しを使うしか手がないんでしょ」

「そうなるな」

 ぼくは溜め息を吐いた。あまり気乗りしないが、制限時間の三分も迫っていた。ぼくは、その神殺しの魔法に頼るしかないと覚悟を決めた。

「それじゃあ、呪いを掛けるからみんな親指を出して。みんなでくっ付け合うのよ」

 ぼくらはテーブルの真ん中で親指を立てて、指遊びをしているときみたいに互いに親指を合わせ合った。ぼくの指先が緊張で震えている。

「準備はいい。呪いを掛けるわよ」

「いつでもいいぞ」

 ぼくの声は虚勢を張っていても、いつの間にか震えている。

「飢え死にの食卓を我らにもたらせ」

 二葉がそう囁いたように聞こえた。心が洗われるような静かな呪文だった。痛みも衝撃もない。まるで何も起こらなかったように思えた。

「いいわ。呪いは掛かったわ。さあ、料理を食べてみて」

「食べなきゃいけないんだ」

 ぼくはふっと溜め息を吐いた。ところが、テーブルの上の料理を見た途端、激しい空腹が襲ってきた。猛烈に食べ物が食べたくなった。その感情は抑え切れない。ぼくはスプーンを取り、オムライスをすくおうとした。ところが、すくおうとした瞬間、オムライスは皿の上から消えてしまった。

「あれ、どこに行ったんだろう。消えちゃったよ」

「この呪いに掛かっていると、料理は絶対に食べられないの」

 あれだけ満腹だったぼくのお腹がぐーと鳴った。

「よし、料理はなくなったぞ。残り時間は何秒だ」

 突然と柱時計が、ぼんぼんぼんと怪しく鳴ってぼくを驚かせた。

「ぎりぎり間に合ったな。令、敵が隠れていないか探すんだ」

「うん、分かった」

 三郎丸に言われて、ぼくは跳ねるように席を立ち上がった。カウンターを越えて真っ直ぐに厨房に向かった。料理を出してきたんだ。隠れているとしたら、そこにいるはずだ。厨房では鍋がぐつぐつ音を立てていた。床に誰か倒れていた。全身真っ白の料理着を着ていた。

「厨房にコックが伸びているよ」

「やられたな。既に敵は逃走した後だ。やれやれこれだけ苦労して、収穫なしか。まあ、こちらに被害が出なかったのは不幸中の幸いだったな」

 三郎丸が顔をしかめ、カウンターから厨房を覗いていた。二葉もその後ろにいた。静は店内のおよそ真ん中にして敵の気配を察知している。

「仕方ないわ。敵との相性が悪かったのよ。うちは接近戦専門みたいなものだから、罠を張って待ち構えられると手に負えないわ」

「うん、そうだな。しかし腹が空いたな。空腹で死にそうだ」

「仕方ないわ。神殺しを使うしか手がなかったんだから。今日一日我慢するしかないわね」

 二葉は諦めなさいと目を細めた。

「ぼくもお腹空いたよ。何か食べちゃダメ」

「残念だけど、この呪いに掛かったら食べ物を口に入れることはできないの。消えてなくなるからね」

「そうなんだ」

 ぼくはがっくりと肩を落とした。疲労した上に空腹に耐えなければならない。考えただけで力が抜けてきた。空腹では力が出ない。ふら付きながら厨房を出た。

「そろそろ戻りましょう。こんな所にいるだけでも目の毒だわ」

「そうだな。これだけ周到に準備して、罠を仕掛けていたんだ。その罠が破られたんだ。もう敵も襲ってこないだろう」

 三郎丸も空腹に耐えながら、苦い顔をした。ぼくのお腹は時々ぐーと鳴って空腹を知らせた。普段ならこの後にファーストフード店に行って、食べ物を食べながら反省会でもするのだけれど、こんな状態で食べ物の店に入るのは地獄でしかなかった。あんなにたくさん食べたのに、さっきのオムライスが恋しかった。もっとお腹いっぱい食べておけば良かったと悔やんだくらいだ。ぼくたちは、学校の尖塔の教室に戻ることにした。教室は静かだった。そこに待っていたのは、少年の姿をしたハジメだけだった。

「みんなはもう帰ったよ。任務ご苦労だった。どうしたんだい、みんな酷い顔をしているよ?」

「敵にまんまとやられたんだ。それでみんな空腹の呪いに掛かったんだよ」

 ぼくは少年に向かって言った。ハジメの姿を見るとなぜだか安心する。

「それは大変だったね。ぼくはポケットにチョコレートを持っているけど、それもダメなのかい?」

「うん、食べ物は食べられないんだって。消えてなくなるから」

「じゃあ、止めとこう。まだ今度上げよう。それじゃあ、みんな今日は早く家に帰って休むといいよ」

 ハジメはそれだけ言うとどこかへ行ってしまった。ぼくらはお腹を押さえながら、相談するようにじゃあ帰ろうかと言い合った。

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ぼくのカウンターがゼロに設定された 奇妙な料理店編 つばきとよたろう @tubaki10

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