第五審 リサーチャー気取り
私の心はざわついていた。
今日の今日まで意識していなかったが、今日は被告人の六人目、ノアの裁判の日。ということは、最後の裁判の日ということなのだ。
マワリヤサマは、六人目の裁判が終わればこの法廷は閉じると話していた。
もう、ここでの暮らしは終わりなのだ。
そう思うと、少し寂しく思ってしまう。
…人を殺しておきながら、この場所が恋しくなるなんて、私は少しおかしくなってしまったのだろう。
『分かってるな?』
マワリヤサマの言葉に対し、私は「言わなくてもね」とぶっきらぼうに返した。
私は今、法廷の扉の前で私は右往左往している。
『入らねえのかよ?』
「……入る、入るよ」
自分に言い聞かせるように返事をすると、トランシーバーはそれを嘲笑うかのように二、三度震えた。
意を決し、ごくりと生唾を飲み込んで、私は法廷の扉に手を伸ば…そうとした。
「トキコちゃん!奇遇だね」
その手は何者かに掴まれ、そのまま激しく上下にぶんぶんと振り回された。
私は彼女の方を振り向いて、そして何事かと顔をしかめてしまう。
彼女の後ろで、コースケがなにやらげっそりとした様子で突っ立っていたのだ。
「どうしたの、ノア」
私がため息混じりにそう呟くと、ノアは気を取り直したようにぱっと手を離してくれた。
「はは。今日で最後って思うと、ちょっと寂しく思って」
私と同じような理由だな、と思う。
そして恐る恐るコースケの方に目を向けると、案の定、ぎろりと鋭い目で睨まれてしまう。
それを見たノアは、人のいい笑顔でコースケの状態を説明してくれた。
「コースケ君は寝不足らしいよ」
「おい」
隠していたことを言われたコースケはみょーんとノアの頬を引っ張る。
それが何だかおかしくて、私は少し笑みをこぼしてしまった。
法廷前に、温かい空気が流れ出す。
それを止めたのは、マワリヤサマの声だった。
『おい、早く法廷に入れ。裁判の時間だ』
ノアは「えーっ」と不満そうに頬を膨らます。
コースケはまたツンとした態度に戻り、そそくさと法廷の扉に手をかけた。
私の靴から下げられたチェーンが、じゃらりと床に擦れる。何だか、いつもより重く感じた。
【リサーチャー気取り】
「ノア、弁明はある?」
私がそう聞くと、ノアは無いように首を振りかけて、すんでのところで短く声を上げた。
「トキコちゃん。私情なんて挟まなくていいから、思ったように裁いてくれよ」
それが僕の思う最高の結果さ、とノアは笑った。
私はツンと涙腺に刺激を感じながら、なんとかマワリヤサマに声をかける。
「…テープを」
トランシーバーは振動し始める。
彼がどんなことを思っているかは最後まで理解することができなかった。
『カセットテープを開示する』
私は膝の上で拳をぎゅっと握りしめる。
傍聴席のコースケは、願うように目を閉じていた。
多分、私たちは同じことを考えている。
どうか、ノアは善人でありますように。
『テープを開示する。被告人番号06、柊延鴉。タイトル「リサーチャー気取り」』
◇
自分で言うのもなんだけど、僕は良い人の部類だったと思う。
コミュニケーション能力は結構あって人の気持ちも大概分かったし、成績もそこまで悪くなかった。
でも、出会うどの人にも、本当の自分を曝け出すことはできなかったかな。
「私達はお前に期待している」
父さんはいつも口うるさくそう言った。
大体、私達などと言っておきながら、僕は母さんと父さんの口喧嘩をもう百回以上見てきている。
父さんの口癖は「べき」。
いつも僕に"理想の柊延鴉"を押し付けてくる。
「お前はもっと人と関わるべきだ」
「お前はこの学校に入るべきだ」
「お前は頭のいい男と付き合うべきだ」
「お前は将来こうするべきだ」
「お前はこの家を継ぐべきだ」
「お前はこの男と結婚するべきだ」
べき、べき、べき、べき………良い加減うんざりだった。
僕の父親は家具メーカーの社長だった。そして、自分の跡をこの僕に継がせようとしている。
どうして僕はこんな男に人生を決められないといけないのだろう?
ああ、やっぱりうんざりだ。
不快で不快で、気が気じゃなかった。
この家にいるときは、いつも生きた心地がしなかった。
◇
そう思った僕は、高校卒業後、親の止めも無視して家を出た。
人生、ほんと何が起こるか分かったものじゃない。
僕は友人のツテを辿って、18歳でラボの研究員の仕事を得た。
結構すごい研究をしているところで、セキュリティもあり得ないほどに頑丈なラボだ。
人がラボに入る時は、AIの人物識別システムで判断される。
そのシステムには研究員と博士しか登録されておらず、それ以外の部外者がその許可なしに侵入しようとしたら、排除システムが作動される。
まあとりあえず、すごいところなんだ。
僕はそこでも優秀だと評判だった。
言われたことは大概できたし、細かい作業も適度にこなせている。
そのせいか、ラボの研究員達はどんどん新人の僕を頼るようになった。
でも、悪い気はしなかった。
父親と違って、みんな僕を認めてくれたから。
ラボの研究員達は仲良しだった。
「ねぇノアちゃん!今日一緒に飲みに行かない?」
先輩からそう誘われるのも意外と日常茶飯事であり、みんな僕のことを好いてくれてるのだと自信を持った。
「いいですね!どこに飲みに行きますか?」
僕は皆に年齢を隠していた。
ある程度酒は飲めたし、見た目からしてもあまり十代には見えなかったからだろう。
しかし、ここでアクシデントが起こった。
この事態のせいで、僕の人生は終わった。
終わってしまったんだ。
ラボの一人の先輩が、飲み会の写真をSNSにアップしたのだ。
◇
「ノアちゃん、お客さんが来てるよ」
それから数日経ったある日のこと、ラボに僕宛の来客が来た。
僕は「もしかしたら家を出た時、世話になった友人かもしれない」と心躍らせ、先輩に分かりましたと一言返事をする。
そして僕は白衣を脱ぐと、駆け足で入口への入り組んだ道を進んだ。
やっと入り口が見え、僕は安堵する。
それと同時だった。
入り口に立つ人影が、僕を助けた女友人ではないことに気づいたのは。
「お、父…さ………」
絶句した。
入り口に立っていたのは、紛れもないあの僕の父親だった。
僕が驚いてその場から動けないでいると、父さんは土足でラボの中に入ってこようとする。
彼が足を踏み入れる直前、僕は叫んだ。
「ダメッッッッッ!!!!!」
父さんは驚いて後ろに後ずさる。
僕の心臓は、今までにないぐらい激しく脈打っていた。
痛い、痛い、痛い、痛い、痛いよ。
両手で胸をぐっと押さえつけ、僕は千鳥足でなんとか父さんの方へ歩いて行く。
「………………」
彼は一言も発しようとしない。
僕は彼の目の前で立ち止まった。なんなら、思ったより近づきすぎたかもしれない。
僕は閉じようとする喉をなんとかこじ開け、震える声で彼に尋ねた。
「何、しに来たの」
途端、体を激しい振動が襲う。
父親はあろうことか僕の胸ぐらを掴み、中に吊り上げていた。
この老ぼれのどこにこんな力があるんだ。
僕がそう疑問に思っていたら、父親はものすごい眼力で僕のことを睨んだ。
「私達はお前には期待していたんだがな」
その言葉に、僕の肺あたりが煮えたぎり始める。
そうだ、父親はこんな奴だった。
「そんなこと言って、母さんは僕にはなんにも期待してなかったぜ。父さんだけだろ、そんなの」
その言葉が気に障ったのか、父親は空いている手で僕の首を絞め始めた。
「っ!」
「黙れ。お前はもう出来損ないだ。もう俺の娘じゃない。お前は一族の恥晒しだ」
視界がぼやけ始める。
父さんは本当に愚かな人だ。
肩が痛くなってきたのか、彼は何も言わずに僕を床に放り捨てる。
そして、無様に床に落ちた僕を追うようにして、ラボの中に足を踏み入れた。
…このラボのセキュリティは厳しい。
人物識別システムに登録されていない部外者が侵入した場合には、排除システムが作動される。
『侵入者発見、侵入者発見』
パトカーのサイレント消防車のサイレンを混ぜたようなブザーが、ラボ一帯に響き渡り始める。
こうなったら最後、誰にもこのシステムは止めることができない。
僕は横向きの視界で、困惑する父さんを見つめていた。
『ただちにシステムを作動します』
機械特有の「ウィーン」という音が鳴り響き始める。
「ノアちゃん!!!」
「どうしたの、何があったの!?」
先輩達が僕の方へ駆け寄り、優しく身を起こすのを手伝ってくれる。
皆、父親のことなど見て見ぬ振りだった。
僕はもう諦めていた。
…彼は、最後の最後まで愚者のままだった。
『発射』
◇
『テープの開示を終了する』
頬が濡れている気がする。
きっと、今の私はひどい顔をしているだろう。
「……トキコちゃんは優しいね」
ノアは証言台から私の方へ歩いてきて、よしよしと頭を撫でてくれた。
彼女は父親を止められなかった。
しかし、それもこれも、全てその父親本人が招いた結果だったのだ。
「ノアは、何も悪くないよ」
その言葉に、彼女は目を見開いた。
ちらりと傍聴席を見ると、コースケはいつもならば絶対にしない、安堵したような優しい微笑みを浮かべていた。
「俺もそう思いますよ」
今度はノアが涙を流す番だった。
天井のライトに照らされた彼女の雫が、ぽつりと裁判員席の机に落ちる。
トランシーバーは、何も発さなかった。
「……マワリヤ、ノアは無罪だと思う」
トランシーバーは震えた。
コースケはいつもの真顔に戻っていた。心の闇はまだ消えていないようだったが、先日までよりかは幾分か優しい目をしていた。
『…判決を決定した。ノアの情報を開示する』
06【新人研究員】 柊延鴉(20) 166cm 女
殺した相手:柊岸人 判決:無罪
現世での安否:存命
「ありがとう、トキコちゃん」
ノアはにっこりと微笑んで、コースケと私にそれぞれ手招きをした。
私たちは不思議に思いながらもノアの方へ向かう。
「みんな、大好きだよ」
ノアは、近くに来た私たちをぎゅうっと力一杯抱きしめた。
私は驚いたが、すぐに「こちらこそ」とやり返すようにノアの体を抱きしめた。
その隣で、コースケは顔を真っ赤にして固まっている。
「あはは、照れてるじゃん」
私がからかうと、コースケは「うるさいです」と顔を逸らした。
胸の痛みはもう消えていた。
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