第三審 エイプリルフールにて、屈辱

 その翌日の昼下がり、ランドリーへ服を洗濯しに行った時、そこに一人の人影があるのを確認した。

 私は少しため息をつき、わざと音を立ててランドリーに入った。

 しかし、どんなに大きな音を立てても彼が私に気づくことはない。

「………ロイ?」

 彼は真ん中の椅子に座っている。

 まさか眠っているのでは、と私は恐る恐る彼に近づく。しかし、寝息は聞こえない。

 どうしたものだろうか、と私は彼の肩をゆさゆさと揺らした。

「どうしたの…」

 すると、彼は首をぐりんと曲げて私を振り向いた。

 私は驚いて手を離してしまう。

 実際、彼は振り向いたわけではなかった。

「きゃっ!!!」

 彼はどさりと床に倒れた。

 私は短い悲鳴を上げ、彼の全身を見る。

 そして、彼が動かない原因と床に倒れた原因を同時に知った。

「あ、あぁ………」

 声を上手く出せず、私は腰を抜かして床にぺたりと座り込む。

 ロイは手首を切って死んでいた。

 先ほど彼が座っていた椅子の下を見ると、赤い水溜まりの中に切れ味の良さそうな包丁が溺れているのが見えた。

 私は汗で滑る手で、かろうじてトランシーバーを取り出す。

 そして、震える声で言った。

「…助けて」



【エイプリルフールにて、屈辱】


『これから臨時裁判を行う』

 マワリヤの声が建物内に響き渡る。

 すると、02、05、06のそれぞれの看板が掲げられた部屋から、それぞれの住人が現れる。

「あっ!ちょ、トキコちゃん、これはどういう」

 ノアはそこまで言うと、振り向いた私の顔を見て固まった。

 彼女は戸惑いがちに私の頬に手を伸ばそうとして、直前で引っ込める。

 彼女の前の部屋から出てきたアタシは、その光景を見て少し立ち止まったが、すぐに受け入れたように私に向かって歩いてきた。

「トキコ、大丈夫か」

 私はゆっくり頷く。

 そして、ノアは先ほど伸ばしかけた手をもう一度伸ばし、私の頬をそっと拭った。

「無理しちゃダメだよ」

 そう言ったところに、もう一つの足音が混ざる。

 コースケはちらりと私を見ると、そのまま横を素通りした。

 と思った。

「…………え?」

 去っていくコースケの背中を眺める。

「え、ちょ、コースケ」

 彼は振り向こうとしない。私は戸惑いながら、先ほど"ぽん"と軽く撫でるように叩かれた頭を両手で押さえる。

「うわっ!コースケ君雰囲気イケメンしやがって」

 ノアはそういい、ぐぎぎと歯を食いしばる。アタシはそれを見て、「張り合うなよ」とノアの頭をぽんぽん叩いた。

 明るい空気が漂っているが、彼女らはロイが亡くなったことを知るとどう思うのだろうか。

 そんなことを、私は考えていた。


 法廷に着くと、いつも通り私は裁判員席の真ん中に座る。三人は傍聴席に座り、ひそひそと話し出した。

『全員揃ったな』

 マワリヤサマの声と共に、法廷の大きな扉が音を立てて開いた。

「…………」

 私はその光景に声も出せなかった。

 傍聴席の三人も、そこから出てくるものを目にした瞬間、口を開いて固まった。

『ではこれから、被告人ロイの裁判を始める』

 入ってきたのは、カートの上に乗せられた木椅子と、そこに座ったロイだった。

 手首の傷は手当も何もされておらず、顔は蒼白で彼がもう生きていないことは誰の目から見ても同然だった。

「…そういうことですか…」

 コースケが納得したように呟く。

 女性二人組は何も言えず、ただ手を握り合うだけだった。

 ロイのカセットテープはすでにモニターの下に設置されており、再生の準備はできていた。

『被告人番号04、四月一日ロイ。タイトル「エイプリルフールにて、屈辱」』




「ロイ君、一緒に死のう」

 突然、彼女がそう告げた。

 それを聞いた瞬間、僕の頬を熱いものが伝った。

「やっと?」

「やっとだよ。待たせてごめんね」

 彼女はそう言い、僕に銃を差し出した。

「どこで…こんなの」

 手に入れたのか、と僕が聞くと、彼女はにっこりと笑って手を合わせた。

 そのしぐさですら、僕にとっては死んでいいほど愛おしい。

「ひみつ」

 ああ、なんで愛おしいのだろう。

 僕が胸をときめかせていると、彼女は台所から取り出したであろう包丁を僕に見せびらかした。

「ロイ君。次もまた一緒になってくれる?」

 僕は勢いよく頷いた。

「もちろんだよ、メイちゃん」

 彼女は包丁を僕の手首に押し当てた。

 それに倣って、僕も彼女のこめかみに銃口を押し付けた。

「病めるときも、健やかなるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」

 僕たちは目を閉じて、自由な方の手をお互い重ね合った。


「……はい、誓います」





「………終わり?」

 映像がぷつりと消えた瞬間、思わず私は声を上げてしまった。あまりにも短い映像すぎたからだ。

 法廷が少しざわめき始める。

『終わりだ。さぁ、お前はどう判断…』

 マワリヤサマの言葉は途中で止まった。

『…どう判断する?』

 しかし、何事もなかったかのようにマワリヤサマは続けた。

 私はとりあえず気にしないふりをして、先ほどのテープの内容に頭を巡らせる。

「……ロイと…その、メイ?は、どうしたかったのだろう」

 彼らは何か罪を犯したわけでも無さそうだが、どうして心中という結果を招いてしまったのだろうか。

 …どうしてなのだろう。何も…

「わからない……」

 その瞬間、法廷に鐘の音が響き渡った。

『四月一日ロイの判決は"分からない"に決定した』

 ロイの座る椅子がガタガタと震え出す。

 それを見て、アタシがかすかに「ひっ」としゃくりあげたのが聞こえた。

 椅子の振動は増していく。

 ふと、ロイの手首の傷が目に入った。

「…どうしてロイはここで自殺したんだろう」

 その謎だけが、私の頭に残っていた。

 いつしかロイの姿は椅子の上から消えていた。



「いや、なんで俺の部屋で話してるんですか」

 裁判が終わってすぐ、私は皆をコースケの部屋に呼び出した。

 ちなみにノアの隣にはアタシが座っており、女子に囲まれたコースケは少し気まずそうにしている。

 しかし、こうして見ると「被告人」などと呼んでおきながら結構いい待遇だな、と思う。

 部屋には天蓋付きのベッドが真ん中に設置されており、部屋には大きな窓、その前に丸いテーブルと六つの椅子が置かれている。

 まるで貴族の一室みたいだ。

「次の裁判はアタシだね」

 私がそう言うと、アタシは少し嫌そうに目を細めた。

 それを見て私は確信した。

 薄々気づいてはいたのだが、やはり彼女は他の被告人と違って自分の罪を知られることを嫌っている。

 彼女は自分の罪を恥じていると言っていた。

「……そういえば」

 コースケはその場の空気を読んだのか、皆の気分を転換させるように別の話を切り出した。

「ロイさんの死体はどこへ行ったんでしょうね」

 それを聞き、皆は「あ〜」と考え込んだ。

 私が"分からない"と判決した後、ロイの死体はどこかへ消えた。

「あれかな…懲役とか、禁錮とか…」

 そう推測交えに伝えると、皆は納得したように反応を示した。

 あのランドリーでの出来事や裁判、そしてカセットテープの内容ですら、ロイに関する物事は一瞬で終わってしまった。

 だから、彼のことを何も知ることはできなかった。

「残念だな」

 その呟きに、3人は不思議そうな表情を浮かべた。


『おい裁判官』

 私の部屋に戻ると、机の上に放置していたトランシーバーが震えているのが見えた。

「どうしたの」

 そう返事をすると、トランシーバーは不機嫌そうに振動を増す。

 私は諦めてトランシーバーを手に取ると、そのままベッドにごろんと寝転んだ。

『四月一日ロイが自殺した時の映像が入った』

 勢いよく身を起こす。

 途端、部屋の電気が消え、壁に映像が映し出された。


『幸せになれると思ったのに…目が覚めたらここで…人が死んで………』

 ロイはランドリーの中でふらつきながらぶつぶつと呟き続ける。

 彼は顔を上げた。

『ごめんなさい、ごめんなさい、ごめん、メイちゃん。ごめ、あ、ああぁ…』

 頭をドンドンと床に叩きつけ、彼は何度も謝り続ける。見るに耐えなかった。

 私は何度も画面から目を逸らしそうになる。

『……そうだ』

 ロイは呟いた。

『凶器の使用は許可するって_________』


 映像はそこで終わっていた。


「…そっか。ロイはメイへの罪悪感で自殺したんだね」

 命を断つ場面が映されなかっただけマシだが、私の心は少し疲弊を感じていた。

 長いため息を一つ吐き、私はマワリヤサマに言う。

「でもやっぱり、私のロイへの判決は"分からない"だよ」

 トランシーバーは振動した。

 それは肯定なのか不満なのか、私には何も伝わってこなかった。

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