第二審 ルリタテハの毒

『今日は03ルリカの裁判の日だ』

 言われなくてもわかっている。頭痛が続く私の頭はそう告げる。

『裁判官よ。現実逃避は無価値だぜ』

「…知ってるよ」

 マワリヤサマに苛立ちだけが募り、私は思わず廊下の壁を叩いてしまう。

 トランシーバーは驚いたように震えることもなく、ただ黙っているだけだった。

 ガンガンと痛む頭を抑え、私は法廷の重い扉を半ばもたれかかるようにして開けた。

 数人の人の気配がする法廷は、異常なほどに静まり返っていた。

「おはよう、ルリカ。気分はどう?」

 わざと平静を装ってそう聞くと、証言台に佇むルリカは胸糞悪そうに顔をしかめた。

「…最悪やわ」

 きりり、と胃が痛む。

 私だって最悪だよ。

 そう言いたげな自分の唇を、悟られないように強く噛み締めた。


【ルリタテハの毒】


『裁判の概要は分かるな?』

 前回をもって痛いほど知ってしまったので、マワリヤサマがそう聞くと、私は素直にこくりと頷いた。

 ふと、傍聴席の四人に目を向ける。

 コースケは興味なさげに左手の爪をいじっているが、他の面々はすでに目を背けたり頭を抱えたりと拒絶反応を見せている。

『では、テープを開示する』

 部屋の電気が消え、モニターが機械な音を立てる。

 俯いていた3人も、いつしかその画面に釘付けとなってしまった。

 目を背けても、結局は見てしまう。

 それが人間というものである。


『被告人番号01、館山ルリカ。タイトル「ルリタテハの毒」』



 黒板には私宛の罵詈雑言がびっしりと書き綴られている。

 それを見ても私の心が深く傷つくことはなく、なんなら"よくもまあ、こんなに時間を無駄にするようなことが出来るよな"と思ってしまう。

『ゴミヤマルリカ』

『カラコン外せば?似合ってないよ!(笑)』

『死ねよ、クソビッチ』

『お前のせいで色葉ちゃんが傷ついた』

『自己中女』

『自分中心に世界が回ってると思うなよカス』

 髪からぴちゃぴちゃと冷水がこぼれ落ちる。

 誰もいない教室には、私の息遣いが響いていた。

「…寒いな」

 夕闇が外を支配している。

 結局家に帰れたのは午後9時過ぎで、親には小言を言われてしまった。

 でも、自分の体を傷つけたり、死にたいと思ったりすることは一度もなかった。

 そう生きていられるだけ、私は「マシ」だったのかもしれない。



 憂鬱な1日は憂鬱な目覚めから始まる。

 外ではしとしとと雨が降っており、くせっ毛の私はがりがりと頭を掻きむしる。

「ルリカー、もう起きなさいよー」

 母親の神経を逆撫でる声が鼓膜に響き、わたしは不機嫌そうに「はぁい」と返した。

 家族は私を気にかけてくれているらしいが、私は家族なんて心底どうでもいい。

「…今日もか」

 しかし、学校に行くよりかは家にいる方が幾分かマシなのは私が1番わかっていた。

 親にはいじめられていることを言っていない。

 そんなの、私のプライドが許さない。

 ベッドからいそいそと起き上がり、部屋の鏡で自分の顔を確認する。

「…ひどいアリサマ」

 これではまた学校でバカにされてしまう、と私は一人不貞腐れる。

 用意して、美味しいご飯食べて、家を出て、通学路を自転車で走って、つまらない学校に着く。

 それが私の毎日だ。

「どうした館山。座らないのか?」

 椅子の上に画鋲が貼り付けられていてとても座れる様子じゃ無いのに、何も見ていない馬鹿な担任は私に着席を強要してくる。

「いや、あの…」

「なんだよ、早く座れ」

 いじめっ子グループが私を見てクスクスと笑っている。彼女らには人の心はないのだろうか。

「……はい」

 私は意を決する。

 いじめっ子たちは私を驚愕の目で見た。

 太ももが焼けるように痛む。

 でも、こうでもしないと私は生きていけないらしい。

 私って、なんて可哀想なんだろう。

「嘘でしょ…」

「やばッ…」

 私を見るみんなの目には、軽蔑の色が混ざっている。

 私は何も、悪いことをしていないのに。

 接着剤で貼り付けられた画鋲が、無理矢理太ももに食い込んでくる。

 痛さなんて、最後の方は感じなかった。

 この日、私の中で何かが切れる音がした。



「……でさー」

「うわぁ、めっちゃわかるー」

「いやいや、マジで……」

 朝のことを忘れたように、いじめっ子グループが土手を和気藹々と帰っている。

 私はその後ろで彼女たちの重い荷物持ちだ。

「ちょ、さぁ」

 グループの一人が、ふと何かを思い出した目で私を振り返った。

「お前今日朝マジキチガイだったよねー」

 それを聞いた他の面々は、「あーそうそう!」と面白そうに私を振り返った。

 まるで、欲しいおもちゃを見つけた子供みたいな目で。

「ね、ね、足見してよ、どうなってんの?」

 グループの女子が心底楽しそうに私の後ろにまわり、不快なことに、スカートをぴらりと捲った。

 そして、あげるのは猿のような声。

「うわっ!!やば!キモ!!!!見てみてこれ!!」

 きゃんきゃんと耳元で叫んでくるものだから、私は思わず耳を塞ごうとしてしまう。

 が、重い荷物を両手に持っていることを思い出し、その考えは無に帰った。

 私のスカートなんかめくって、中を見て、傷を見て、ここで通行人なんて通ったらどうするつもりなんだろう。

「ねぇコレ痛い?」

 そりゃぁ痛いだろう。そんなことを聞いてくるなんて、彼女らは痛みを知らないのだろうか。

「痛いかー…よしっ」

 グループの一人が、何か決意を決めたような変な声を出した。

 そして、そいつは人間とは思えない所業に出た。

「えいっ」

「_________ッ!!?!?!」

 私は思わず地面に倒れ込んでしまい、持っていた荷物をばさばさと落とす。

 それを見て、いじめっ子グループの女子たちは「はぁ!?」と声を荒げた。

「何落としてくれてんだよ、このゴミ女!!」

 その中の一人は、ガッと私の髪を掴み、無理矢理私を自分の方へ引き寄せた。

 醜く顔を引き攣らせて、そいつはよく分からないことをわんわんと叫ぶ。

 そんなことをされても、私は太ももの痛さでまともに思考が働いていなかった。

「えっ!ちょーウケるんですけど!!」

 一人の女子がポケットからスマホを取り出し、その光景を撮影し始める。

 私の太ももを叩いた女子は、アハハと汚い声で笑いながらその光景を眺めている。

 私は思わず呟いた。

「…可哀想だね」

 私の髪を掴んだ女子は、また大きく口を開けて何か唾を吐きながら喚き散らす。

 そして、ついにその女子は拳を振り上げた。

 その様子を見てか、グループの一人の女子は言った。

「アハハ、やっちゃえイロハ」

 先ほども言った通り、この時私は思考回路が働いていなかった。

 だから、こうなったのだ。

 私は悪くない。

「キャアアアアアッッ!!!!!!」

 猿のような叫び声が聞こえ、私はハッと我に返った。

 自分の手で痛いほど握った濡れたカッターと、地面に横たわる女子を見て、この状況は深く考えずとも理解できた。

「ひっ、人殺し!!人殺しぃぃぃぃ!!!!!」

 うるさい、うるさい、だって…

 カッターを地面に取り落とし、私はぎゅっと両手で耳を塞いだ。


「…私、悪くない…よね」




『テープの開示を終了する』

 部屋に明るさが戻り、モニターはまた奇怪な音を立てて画面を切り替える。

 切り替わった画面には初日に目にした被告人一覧が表示されており、そこのキョラの顔写真には大きく赤で罰点が記されてあった。

「ルリカ…」

 ルリカは顔を上げ、ぎこちなく微笑む。

「な、ルリは悪くないやろ?」

 その顔も、私にはもう


 不快にしか思えなくて、ぞっと鳥肌がたった。


「…ルリカ、ほんとに自己中心的なんだね」

 その言葉に、彼女は小さく口を開けてぽかんとした表情を浮かべた。

 私にそんなこと言われるとは思っていなかったのだろうか。だとしたら、彼女は本当にとんだ大馬鹿者なのかもしれない。

「殺した人の名前は覚えてる?」

 そう聞くと、ルリカは不思議そうに顔を傾け、何でもなさそうにさらりと答えた。

「覚えとるよ。イロハやろ?」

 その少し違和感のある方言…いわゆるエセ関西弁も、今の私からしてみたら愛嬌なんて微塵も感じられなかった。

「"お前のせいで色葉ちゃんが傷ついた"」

 彼女はぴくりと耳を動かす。

「黒板に書かれてた文字だよ。それと、"自己中女"」

 私は続けて畳み掛ける。

「映像の中の"イロハちゃん"も言っていたよ。

 "惨めなもんだな。私をいじめてたときのニヤケ面はどうしたよ""お前が私にしたこととおんなじこと、私もお前にやってやるからな"」

 ルリカは喋らない。傍聴席にいる四人は、コースケを含めてみんな呆然としていた。

 アタシが、ぽつりと呟く。

「ルリカ……?」

 ルリカは耳を塞いだ。その姿に、映像の中の彼女の姿が重なる。

「ルリカは…いじめっ子だったけど、いつしかいじめられるようになった、自業自得の被告人なんだね」

 トランシーバーは肯定するように一度震えた。

 ルリカはやはり喋ろうとしない。しかし、この法廷の全てを知っているマワリヤサマが肯定するということは、ルリカの判決は決まったようなものだ。

 ふと、傍聴席のコースケが告げた。

「…気持ち悪い。お前の方が猿だよ」

 ルリカはゆっくりと目を見開く。

 その目から、大粒の水滴がぽつぽつとこぼれ落ちた。

「だって」

 ルリカは言った。

「だって、私は可哀想だもん…悪くないし、いじめてたのだって、イロハが私を無視するからだもん。構ってくれないイロハが嫌いだったの」

 ごしごしと腕で自分の目を擦ると、ルリカは結んでいた髪をばさりと下ろした。

 映像に出てきたルリカも、こうやって髪を下ろしていた。

 今の彼女の姿が、映像の彼女に重なるほど、私は胸にざわめきを覚えた。

「ねぇ、ルリカ」

 私は顔を上げ、自分史上最高に冷たい目で彼女を見つめる。

「ごめんね」

 トランシーバーは笑うように振動した。


「…マワリヤ、ルリカは『有罪』だと思う」


 ルリカは泣くのも忘れたように唖然とした。

 それですら、私には気色悪く見えてしまった。

 ごめんね、ちょっと感謝してたけどね、ルリカの罪は許せないの。

 私が冷酷にそう告げると、彼女は目を細めた。

「なんでぇ…?」

 ルリカがそうこぼした瞬間、地面ががばりと開いた。

 彼女は悲鳴も上げられず、目を見開いて。

 抵抗する間も無く、暗闇の底に落ちていった。


 私が少しの罪悪感に苛まれていると、突然、傍聴席の方から一つの拍手の音が聞こえた。

 驚いて上を見ると、コースケが今まで見たことのないような明るい笑顔で、足を組んで手を叩いていた。

「よくやってくれました。ルリカは許せない悪人でしたので」

 そして、コースケは目を細めて心底不快そうな表情を浮かべた。

「音花色葉という名前を知っていながらあの女は……」



 後日、私はコースケの部屋を訪れた。

 彼が言っていた、「音花色葉」という事実について知りたいことがたくさんあったからだ。

「そんなことのために来たんですね。菓子折りなんて一つもありませんよ」

 いらないよと私が告げると、コースケはため息を一つついて私の正面に座った。

 やはりその目は最初の一週間より沈んでおり、まだ私のことを恨んでいるようだった。

「音花色葉。キョラ様の妹の名前です」

 コースケは続ける。

「カセットテープの世界ではまだ1歳でしたが、あれから17年の月日が経って今は18あたりですかね。なら、ルリカが罪を犯したのは最近か」

 それを聞き、私はふと疑問に思う。

「…キョラの家は燃えたんでしょ?」

 すると、コースケはその問いを待っていたかのようにティーカップを机に置く。

 カチャリという金属音が、静まった部屋に響いた。

「あの日、キョラ様の家が燃えたのは火元の不始末。彼の家族は出払っており、家にはいませんでした」

 心の中に冷たいものが侵入してくる。

 あの日の出来事は、本当に誰も悪くなかったのだ。

「キョラ様の敵は俺の敵です。館山ルリカが死んでくれてよかった」

 コースケは手袋を外し、骨ばった自分の手に広がる火傷跡に口付けをした。

 私はそれを見て、何か心に引っ掛かりを覚える。

「コースケ」

 私が呼びかけると、コースケは顔を上げ、冷たい目で私の方を見つめた。

「キョラは…キョラは、あの判決を望んでいたと思うよ」

 目を見開くコースケを置き去りに、私は「邪魔してごめんね」と部屋を後にした。

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