きみに向かって

春風邪なり

きみに向かって

 わたしには三分以内にやらなければならないことがあった。

 はぁ、はぁ、と荒い呼吸を繰り返す。息が上がって苦しい。びゅうと吹く、冷たい向かい風が顔にぶつかり痛みを感じる。それでも、足を前に進めようと動かし続けた。走り続けた。

 どこまで話を巻き戻そうか。

 そう、あれは十五分前のこと。

 寝坊をした。アラームをセットしていたはずなのに、ぐっすりと寝過ごした。きっと、鳴り響くアラームを寝惚けながら止めて、そのまま二度寝をしてしまったのだろう。それ以外考えられない。

 本当は二時間前くらいに起きてゆっくりと支度をし、余裕で家を出るはずだったのだ。綺麗に整えたメイクや髪型で、待ち合わせ場所に佇んでいるはずだったのだ。

 でもどうだろう。起床後、枕元にあったのは、待ち合わせ時間の十五分前の時刻を表示している静かなスマートフォンのみ。

 だから、今、わたしは走っている。

 幸か不幸か、待ち合わせ場所には徒歩で向かうつもりだった。つまり、電車やバスの発車時刻と噛み合わず、これ以上のタイムロスをすることはない。その代わり、遅刻するかはどうかは、全てわたしの足に懸かっているということ。

 一度、赤信号で止まった。焦りながらスマートフォンを確認すると、あと三分。待ち合わせ時間まで、あと三分だ。

 青信号に変わったことを確認してから、再び足を動かす。

 待ち合わせ場所に設定した駅前。そこに、見慣れた姿がいるのを確認した。

 茶髪の女性。今日のわたしのお出かけ相手。

「お待たせ!」

「おー、おはよー……って、髪ボサボサじゃん! 走って来たの?」

「う、うん」

「もう……遅れるなら連絡してくれれば良かったのに。全然待てるよ?」

 わかってる。遅刻したって事前に連絡をしていれば、きみは怒らないってこと。大丈夫? なんて、優しい言葉だってかけてくれること。

 今だって、荒い呼吸を整えているわたしを、心配そうな目で見てくれている。

「近くに自販機あるから、水買ってくるよ」

「ううん、大丈夫」

「本当?」

「ほんとほんと」

 きみは、優しい。

 それでも、わたしがここまで走って来たのは。

 一秒でも多く、きみと一緒にいたいからだ。

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きみに向かって 春風邪なり @harukazenari

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