【KAC20241】お留守番

猫野早良

お留守番

 アタシには三分以内にやらなければならないことがあった。


 窓から外を覗くと、あの人の車がやっと戻って来たのが見えた。マンションの駐車場から、あの人がこの部屋にやって来るまで、おおよそ三分。

 それまでに、アタシはあの人を迎える準備をする。


 ああ、それにしても嬉しい、嬉しい!やっと帰って来てくれた!

 まったく。いつもよりも、一時間も遅いから何かあったのかと心配したじゃない!待っている身にもなってほしいものだわ。

 平気そうにしているけれど、一人でのお留守番はいつも寂しい。帰ってきたら、たくさん構ってもらわなきゃ。


――って、いけないわ。アタシったら。

 こんなんじゃあ、あの人の帰りを待ちわびていたのがバレてしまう。

 それはダメよ、ダメ。彼をつけ上がらせるだけだわ。


 気持ちを静めるために、アタシはちょっと自分の爪を磨いた。クールダウンが必要よ。

 それからアタシは玄関ではなく、寝室に行く。そのまま、ベッドの上で眠っているフリをした。


 だって玄関にいたら、それこそあの人の帰りを今か今かと待っていたみたいじゃない。

 尻尾を振る飼い犬じゃあるまいし。アタシは淑女レディーなんだから、そんなことできないわ。

 でも、やっぱりあの人が帰って来るのが嬉しくて、自然に喉が鳴ってしまう。


 ガチャりとドアの鍵が開く音がした。

 それからドアが開き、慌ただしく室内に入って来る足音も。


 あの人が帰って来たんだ!

 アタシは思わず、飛び出しそうになるのをグッと我慢する。

 すぐに、アタシの名前を呼ぶ彼の声が聞こえてきた。


「ミーちゃん!ミーちゃ~ん!ただいま!!」


 あの人の大きな声を聞いて、アタシはやっとベッドから起き上がる。はやる気持ちを抑えて、玄関の方へ向かった。


「ああ!ミーちゃん、ただいま!」


 アタシの姿を見て、あの人はしまりなく笑う。本当はすぐにでも彼の元に駆けたいところだけれど、我慢だ、我慢。

 アタシはあくびを一つし、伸びをしながら、わざとゆっくりと歩いていく。


 あら、帰って来たの?アタシは今の今まで寝ていたのよ。全然待ってなんかいなかったんだから――って、そういう風に装う。


「ミーちゃん、寂しかったね」


 バカ言っちゃいけないわ。アタシは全然寂しくなんてなかったんだから。アタシと離れていて、寂しかったのはあなたの方でしょう?

 アタシはムッとして、一声抗議する。


「ああ、遅くなってごめんね。ごめんね。すぐにご飯にするからね」


 彼はアタシを優しく撫でながら謝る。アタシは仕方ないから、大人しく撫でさせて

 まったく、謝るくらいなら、もっと早く帰ってきなさいよね。顔で、そう思いながら。


 ミーちゃん、ミーちゃん。

 しつこいくらいに、彼はアタシの名前を呼ぶ。こういうのってっていうんだわ。

 彼は『だいがくきょうじゅ』らしいけれど、こんな甘ったれで『せいとさん』に舐められないのかしら。ちょっと、心配だわ。


「ほら、ミーちゃん。ご飯にしよう」


 彼がキッチンの方へ行く。アタシは「早く用意しなさいよね」と鳴きながら、一緒についていった。




 予定外に長引いたセミナーがやっと終わり、ぞろぞろと会議室から人が出て行く。その中の一人の、大学院生の青年は廊下に出た所で、ちょっと意外なものを目にした。

 

 青年の視線の先には、三十代後半くらいの男性がスマートフォンを片手に棒立ちしていた。

 彼は大学院生が所属する研究室の教授だった。若くして教授になった才人で、仕事はできるが堅物で有名な人物である。


 その教授がスマホを見て、焦った顔をしている。

 一体どうしたのだろうと興味を惹かれて、大学院生の青年は教授に声を掛けた。


「先生、どうかしたんですか?」

「ペットカメラで家の様子を見たら、ミーちゃんがずっと窓の外を見ていて…あの子が私のことを待っている!!」

「はぁ?」


 予想外の答えが返ってきて、大学院生の青年は面食らう。

 一方、教授の方はそれどころじゃないかのか、「早く帰らなきゃ」と言って、廊下を走って行ってしまった。


 呆然とする大学院生がその場に取り残されていたところ、一人の女性が「どうしたの?」と尋ねてきた。女性は助教で、彼女もまた青年が所属する研究室で働いている。つまり、件の教授の部下だった。


「いや…今さっき、先生が……。ペットカメラがどうとか、ミーちゃんがどうとかで……」


 混乱しつつも、大学院生が先ほどの状況を助教に伝えると、「ああ」と彼女は一人納得した。


「うちの先生、愛猫家なのよ」



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