魔女と王子

うめもも さくら

真実の愛を求めて

 この国一番の魔女であるマリアージュには、三分以内にやらなければならないことがあった。

 それは今、マリアージュをみつめている男、ジューンの口から愛の言葉を紡がせ、そして、彼からキスをしてもらう。

 ただ、それだけ。

 ただそれだけが難しい。

 しかし、頭を抱えている暇はない。

 自身はここまで来てしまったのだから。

 マリアージュは瞳に強い決意を宿して、熱を帯びて、とろけるほど甘くみつめてくる王子ジューンを見つめ返した。


――ジューン、ごめんね……でも背に腹は代えられないの!私は魔力を失うわけにいかないんだから!


 そう決意を固めたマリアージュの手元には空の瓶が握られていた。

 瓶にはしっかりとした文字で貼られたラベル。

 “グスリ”と書かれていた。


 物事の発端を語れば、時は十年前に遡る。

 近隣の国との戦いや、魔物に襲われながらも、この国はこの世界一番の大国として君臨していた。

 聡明な王族と懸命な従者、強固な騎士と堅牢な魔術師がこの国を守っていた。

 この国は繁栄と栄華に満ちて、豊かな王都が広がっていた。

 しかし、十年前のある日、この国全体に呪いがかけられた。

 誰が呪いをかけたのか、それはついに最後までわからなかったのは、おそらく当時、この国を狙う敵があまりにも多すぎたからだ。

 近隣の国々、魔物の軍勢、ならず者たち、この国を羨み妬むものたち、あげればきりがない。

 この国にかけられた呪い。

 それは、この呪いをかけられた日から十年の時の間に“真実の愛”を得て、その愛の証として、口吻くちづけをかわすこと。

 もし、十年の時の間に“真実の愛”を持たぬ者あれば、その者は魔力の一切を失うであろう。

 そんな、独り身にはいろんな方向から心をえぐられる、つらい呪いだった。

 一方で既婚者たちは容易と言わんばかりに、愛の言葉とともにキスをした。

 大抵の者たちは、それで呪いが解かれた。

 なかには、なぜか呪いが解けず、修羅場となり、血祭りにあげられ、地獄絵図になった者たちもいたようだが。

 それでもなんとか、この国の多くの者たちが十年という短くない猶予の間に恋人や大切な人をみつけて呪いを解いていった。

 しかし、この国一番のマリアージュは未だ独り身であり、焦りに焦っていた。


 マリアージュは当時から、この国一番の魔女として名を馳せていた。

 だから、数多あまただと思っていたし、実際、彼女と近づきたい者たちがいないわけではなかった。

 しかし、もとより敵が多いこの国で、その上わけのわからない呪いまでかけられて、今が好機だと狼煙のろしを上げる者たちの恰好かっこうまととなったこの国は、窮地きゅうちおちいっていた。

 それら全てを退けられるのは、この国一番の魔女だと謳われるマリアージュ以外いなかった。

 彼女は戦いだと聞けば、西でも東でもすぐに駆けつけ、脅威を追い払った。

 魔物の軍勢が攻めてくれば、昼も夜もなく駆け回り、困難を退けた。

 そうして、ようやっと一旦ではあるが平和になったこの国で、気づけば、もう間もなくあの呪いの日から十年の時が経とうとしていた。

 そうしてマリアージュは慌てふためくことになったというわけだ。


「ヤバイヤバイ!十年ってこんな飛ぶように過ぎるものなの!?」


 気づいた時には時すでに遅し。

 周りの人間のほとんどが相手をすでにみつけているし、自身の年齢も適齢期を大幅に過ぎていた。


「いや、こんなことになる前に、国の方でも相手探しておいておくれよ!国一番の魔女様だぞ!?」


 ひどく自分勝手な八つ当たりにも思えるが、的を得た言い分だ。

 ここまで守っておいてもらいながら、手を差し伸べないというのは些か、恩知らずに思える。

 マリアージュに残された時間は少なかった。

 だからこそ彼女は一つの方法を取ることにした。

 それは少々、人道的ではないやり方。


「こうなってしまったら手段を選んで入られない。私の、この国一番の魔女のためだと思って諦めてちょうだい。生贄スケープゴートは……ジューンしかいないわね」


 マリアージュは、そこまで言うと、善は急げとばかりに、作業に取り掛かった。

 鍋を取り出し、材料を煮詰めていく。

 そうして出来上がったのは、強力な“惚レ薬”だ。

 マリアージュは、思ったより時間がかかってしまった、と嘆きながら城に向かった。

 彼女が行き着いたやり方。

 それは、この“惚レ薬”をジューンに飲ませて強制的に愛の言葉を紡がせ、キスをさせるというもの。

 なぜ、生贄スケープゴートがジューンしかいないのかといえば、それは彼が王族だからという事実に他ならない。

 王族は、特に継承権を持っている者は、そう簡単に相手を決めることが不可能なため、まだ相手がいない。

 政略的なもので決まっている可能性はあるが、今のところ彼に特定の人間がいるとは聞いていない。


「っていうか、ジューンももうそろそろヤバイんじゃないの?彼、仮にも王子よね?……まぁ、ジューンの場合、継承権はそんなに高くないし……魔力なんて無くていいと思われてるのかしら……」


 私が言えたことじゃないけど、つくづく自分勝手な国ね、とマリアージュは肩をすくめてみせた。



 そして城に着いたマリアージュはすぐに、ジューンと謁見の時間をもうけてもらった。


「久しぶり、マリアージュ。最近は君に逢えなくてとても寂しかったんだよ?」

「そのようなお言葉をいただけて光栄です」

「そんな堅苦しい言葉遣いやめてくれよ。私たちは幼馴染じゃないか。せっかく久しぶりに会えたんだから、気兼ねなく話そう?」

「……では、お言葉に甘えて。幼馴染って言ってももう何年も会ってなくて、よく私のこと覚えてたわね?ジューンの記憶力の良さに脱帽するわ」

「おや、マリアージュは私を忘れてしまった?」

「王族のジューンを忘れる人なんていないだろうけど、私はこの国一番の魔女って言ったって、この城に仕えているだけのただの魔術師だし」

「君を忘れるなんて、私にはありえないよ。それにこの国の人々は皆そんな恩知らずじゃないよ」


 どうだか!とマリアージュは心の中だけで不平不満を言い捨てた。

 そして時間がないことを思い出し、彼女は持ってきた菓子をジューンに差し出す。


「そうね。せっかく会えたのだから、話したいこともあるし、お茶にしない?」


 横に備えられたポットを指さしてマリアージュが微笑むと、ジューンも顔をほころばせて頷いた。


「お茶は私が淹れるわね!ジューンは座ってて」

「いや、火傷やけどするといけないから私が……」

「いいから!ジューンはそこに座って、先に菓子を選んでて!」

「……わかった。火傷に気をつけてね?」


 ジューンを離れた場所に座らせて、マリアージュは紅茶をカップに注ぐ。

 コポコポと音を立てて注がれた紅茶のカップの中に、今度は音を立てないように細心の注意を払いながら“惚レ薬”を混ぜ入れる。


――薬の効果は三分。それまでに、私を好きだと言わせて、キスをさせりゃあいい……ジューンは私に惚れちゃうんだから難しくはないわね……


 罪悪感や後ろめたさが邪魔さえしなければ、とマリアージュは少しだけ顔を歪めてから、笑顔を顔に貼り付けて振り返った。


「ジューン、お茶よ。上手く淹れられたか、わからないけど、はい」

「マリアージュが淹れてくれたお茶なら美味しいに決まってるよ。ありがとう」


 疑うことなく微笑むジューンを見て、マリアージュの心は軋み、罪悪感に引き絞られていた。

 飲む前ならまだ、引き返せる。

 けれど、もう本当に残された時間も少ない。

 マリアージュは、戸惑いながらも、彼のカップに手を伸ばした。

 彼から“惚レ薬”入りのカップを遠ざけるために。

 しかし一歩遅かった。

 ジューンは優雅な所作でカップに口をつけて、紅茶ホレグスリを飲み込んだ。


「うん。とっても美味しいよ、マリアージュ」

「あ……そう。……よかったわ」


 心の底から嬉しそうに、そして穏やかに微笑むジューンにマリアージュは曖昧な笑みを返すしかできなかった。

 そこからは早かった。

 カップを置いた途端、ジューンの瞳はみるみるうちに熱を帯び、顔は紅潮していった。

 そして、マリアージュを甘く蕩けそうな微笑みでみつめた。

 この好機を無駄にできない。

 罪悪感なんてもう言ってられない。

 マリアージュは決意を込めた瞳でジューンをみつめた。


 そして冒頭に至る。

 マリアージュはジューンにみつめられながら、どうやって彼からの愛の言葉を紡がせようか考える。


「マリアージュ、あのね、君に聞いてほしいことがあるんだ」


 熱くマリアージュをみつめながら紡がれたジューンの言葉に、彼女は握りこぶしを更に強く握った。


――よし!考えるまでもなく、愛の言葉は聞けそうね!本当にごめんねジューン……でも、ほら、この国一番の魔女が魔力を失ったら困るでしょう?ジューンも魔力を失わないしお互い好都合でしょ?何も結婚しなくたって、キスすればいいんだから軽いもんでしょう!


 そう心の内で豪語するマリアージュは顔を赤面させて、冷や汗をかいていた。

 この国一番の魔女は恋愛経験ゼロだった。


「マリアージュ。私はこの国で継承権があると言っても、あまり高くない。だけれど、王族だから……君に苦労をかけるかもしれない。それでもっ!」


 ジューンが真っ直ぐな瞳で言葉を紡ぎ、その言葉の強さにマリアージュが息を呑む。


――愛の言葉がくるっ!!


 その時。


 ガタタッ!と扉が開かれ、その向こうには手に魔導書を持った騎士が立っていた。


「魔女様!こちらにいらしたのですか。ご歓談の中すみません。こちらの古の魔導書が暴走してしまいまして」

「今ぁ!?何て間の悪い!!貸して!!はいっ!!終わり!!」


 ぼやきながらも、一瞬で魔導書の暴走を食い止める姿は圧巻で、やはり紛れもなくマリアージュはこの国一番の魔女であることを物語っていた。

 騎士は一礼して部屋を出ていった。

 マリアージュがチラリと時計を見やると、もう時間が半分ほど過ぎている。

 焦りで気が気でないマリアージュを余所目に、ジューンは静かに愛の言葉を紡ぐ。


「それでもっ……君を愛しているんだ。君と共にあるためなら、どんな手を尽くしても、悪魔に魂を売ったとしても構わない!だから、マリアージュ、どうか私の妻に……」


 不穏とも感じられる狂気混じりの愛の言葉は、時間ばかりに気を取られ、焦っているあまり、彼女にはよく聞き取れなかったが、とりあえず愛の言葉は紡がれたことはわかった。


――キスなど一瞬で終わるっ!!さぁ、こい!


 潔い心の内とは裏腹に林檎より赤い顔をさらすマリアージュに向かってジューンが一歩近づく。

 甘く熱くみつめるジューンの吐息が感じられるほど近くに顔を寄せられたマリアージュは目をギュムッと瞑った。


――キスがくるっ!!私の勝ちは確定だっ!!


 その瞬間。


「ジューン様!魔女様!逃げてくださァァァい!」


 そんな悲鳴に似た声と共に耳に飛び込んできたのはドドドッという地響き。

 何事かとそちらに目をやれば、バッファローの群れ。


「なんで!?」

「すみませーん!野良バッファローが突進していってしまって」

「野良バッファローって何!?」


 目の前を一目散に走っていくバッファローたちが紅茶もお菓子も椅子もテーブルも、頑張って作り出した好機も何もかも壊していく。

 無情にも、無事、三分が経過して“惚レ薬”の効果も切れて、マリアージュの頑張り全てを突如現れた野良バッファローたちが薙ぎ倒し、へし折り、粉々に打ち砕いて踏み潰していった。


「うん、ここまでくると、もう……なんか、いっそ清々しくって、笑えてくるわね」


 半ばやけくそ気味に自嘲するマリアージュにジューンは微笑んだ。


「マリアージュ……ごめんね?」


 なぜ謝られたのか、とマリアージュの頭に疑問が浮かんだが、失意の中にいる彼女にはもう、どうでもよく思えた。

 全てがどうでもよく思えた。

 その後、ジューンはバッファローたちによってボロボロになったカップや菓子たちを見やってから、マリアージュに困ったように微笑んだ。


「今日はここに泊まっていくといいよ。いろいろとあって疲れただろう?」


 マリアージュを気遣うように、柔らかい微笑みをたたえたジューンが優しく言いながら、彼女の肩を支えた。

 マリアージュは静かに頷いた。

 疲れゆえなのか、なぜかひどく体が重く、自身の瞼さえ支えられないマリアージュはそのまま彼に体を預けて眠りについた。

 項垂れている彼女をみつめるジューンの瞳には優しさとはまた違う色が滲んでいた。

 それは言葉に尽くせぬほどの甘い恍惚の色。


 二人以外、誰もいない部屋の中で、二つの影が溶けるように一つになる。

 そして薄く微笑む男の手元には空の瓶が握られていた。

 瓶にはしっかりとした文字で貼られたラベル。

 “遅効性ちこうせい媚薬びやく”と書かれていた。


 呪いから十年の時が経ち、マリアージュは魔力を失ったと嘆いた。

 魔力を失った自身にはもう、この国のためにできることはないと、居場所がないと項垂れる彼女をジューンは抱きしめて言った。


「魔力なんて無くても私には君が必要だ。マリアージュ、これからは私が君を守ってあげるから……」

「ジューン……本当?あのね、ここ最近ずっと、なぜかジューンのことが頭から離れないのっ……!」

「あぁ……君も私を想ってくれるなんて、私はこの国一番の幸せ者だね……」


 顔を赤らめ、悶えるようにジューンに縋りつくマリアージュを、彼は優しく抱きしめながら啄む鳥のように何度もキスを落とした。

 静かな室内に二人の静かな声だけが響く。


「ねぇ、ジューン。私、魔力を失って……どうやって生きていったら……」

「ごめんね、マリアージュ。私がもっと早く君に愛を伝えていたら……君は苦しまなかったかな……。けれど、私が君を守る……君のことは私が何でもしてあげる……だから……私に全て任せて?」


 ジューンの言葉に身を委ねるように静かに頷くマリアージュはまるで幼い子供のよう。

 今のマリアージュには、かつての国一番の魔女だった頃の面影さえない。

 幼い子供が親の胸に抱かれながら眠るように、マリアージュはジューンの腕の中で眠る。

 そんなマリアージュを熱く甘く蕩けそうな瞳でみつめたジューンは恍惚のまま破顔させた。


「マリアージュ……君が“惚レ薬”を使ってまで私を選んでくれた時、本当に嬉しかった……。たとえ君が、私を都合の良さだけで選んでいたとしても」


 夢の中にいるマリアージュには、彼の言葉は届かない。

 けれど、ジューンにはそれでよかった。

 ただ彼はマリアージュへの愛の言葉を紡いでいたいだけなのだから。


「魔力がなければ、戦いに出ることも、君が傷つくこともない。これで君は私から離れていくことはない。どこにも行かずに、ずっと私のそばにいてくれるよね?」


 彼の愛の言葉が狂しく、眠るマリアージュにのしかかる。


「マリアージュ……君は本当は魔力を失ってなんていないんだけれどね?それを君は永遠に知らなくていいんだ。いつか魔女だったことさえ忘れてしまってもいい……」


 幸せそうに眠るマリアージュと幸せを噛み締めて微笑むジューン。


「私は君を愛しているんだ……君と共にあるためならば“媚薬”を使おうと、巫山戯た呪いをかけても構わない……だから、マリアージュ、どうか私のそばにいて……」


 これは、かつてこの国一番の魔女だったマリアージュと、継承権も高くもない、ただの王族の一人に過ぎなかった王子の真実の愛の物語。

 二人は末永く幸せに暮らしました。

 めでたし、めでたし……。


 

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