卒業式

空峯千代

卒業式

 粳田と東京に逃避行へ出たあの日から月日が流れた。

 気温は温かになり、だんだんと冬の名残りも過ぎ去っていく季節だ。


 あの事件は、粳田の父親が捕まって無事に解決した。

 粳田のばあちゃんは一命をとりとめて、今は粳田と二人で暮らしている。


 東京へ逃げてあの人の家にかくまわれていた日。

 母からの着信が重なり、電話に出ると「粳田さんのおばあ様が助かった」と伝えられた。

 インターホンを鳴らして押しかけた家からものの数分で出ることになり、結局その日中に新幹線で病院を訪ねた。


「気をつけて」


 父の友人にそう言われて、僕はどんな気持ちでいるのが正解か分からなかったから、「お邪魔しました」とだけ言って頭を下げた。


 粳田と一緒に病院へ行った時、粳田のおばあちゃんは眠っていた。

 日本以外の血が入っているのか、おばあさんの髪はブロンドが混じっている。

 そして、同じ髪色の粳田がおばあさんの傍に来ると、本当によく似ていると思った。


 あの日、東京へ逃げて、とんぼ返りして、病院へ駆け込んで。

 静かで平穏な生活をしたかった僕にとって、すべてが想定外で。

 それなのに、僕は自分の取った行動に微塵も後悔はしていなかった。

 中学生の僕ができなかったことをやってのけた、それだけで意味があったのだ。


 粳田を連れて東京へ逃げた僕が帰ってきて、母は「心配した」と静かに抱きしめた。

 抱きしめられたら後に「ごめん」と返した僕に、「でもよかった」とまた返される。

 僕のことを分かっているのか、母は「なんか嬉しそうだね」と嬉しそうに言った。


 思わぬ逃避行の日。

 あの日を境に、僕は変わった気がする。

 自分を絡めとっていたもやもようなものが、ふっと消え去っていったような。


「おい、クラスで写真撮るって! 来いよ!」

「わかったよ、行くってば」


 あれから、粳田は元気になった。

 問題だった父親と離れ、おばあちゃんと二人暮らしになって、かえって良かったのだと言う。

 クラスで真面目に授業を受けるようにもなって、周りの見る目も変わった。


 今日も粳田に声を掛ける人は多い。

 卒業式、高校生活最後の日に大勢から別れを惜しまれる彼は間違いなく人気者だ。


「おまえがいないとしょうがないんだから。早く来いよ」


 制服の袖を粳田が引っ張った。

 クラスの皆は、戻ってきた僕と粳田を見て「仲良しじゃん」とはやす。

 僕はなるべく反応しないようにして皆の中に混ざった。


 写真を撮り終えた後は、思い思いに別れを惜しむ和ができる。

 僕はそのまま気配を消すようにして、クラスメイト達から離れた。

 校門を出て、歩いて帰ろうとした時。今度は肩を掴まれる。


「何一人で帰ろうとしてんだよ。寂しいやつ」

「別に寂しくない」

「卒業したら東京戻るの?」

「そうだけど」

「ふーん」


 いつの間にか隣を歩く粳田の金髪が風に揺れた。


「俺も東京行くから」


 向こう行っても友達な、と。

 粳田は、ごく自然に言ってのけた。


 中学の頃の挑戦。

 そして、居ても立っても居られなかったあの日の逃避行。

 どちらも無駄じゃなかったんだと、今日やっと分かった気がする。


「そっか」


 桜の舞う季節。

 もう冬は失せて、暖かい陽の光が僕と粳田を照らしている。

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卒業式 空峯千代 @niconico_chiyo1125

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