全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れには三分以内にやらなければならないことがあった
金魚術
そのように宇宙は始まる
全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れには三分以内にやらなければならないことがあった。
私は私たちであり、彼であり、彼らである。
父さんも母さんも、ワイガもネスケも、みんな十時間前に最終便でアルジェを飛び立った。戻ってくる見込みも戻れる可能性もない、カプセルに眠っての旅立ちだった。たぶん、父さんたちは永遠に冬眠から覚めず、船のエネルギーが尽きる日まで冷たい夢を見続けるのだろう。
羨ましい。
私もみんなと眠りたかった。
でも許されなかった。暴走を始めた十五代目に僅かなりとも抗えるのは私だけだったから。
抗ってどうするの?もうとっくに彼女によって世界はほとんど崩壊し、人はみなこの星から船に乗って宇宙のあちこちへ、帰る手段のない片道切符を手に旅立って行った。そして、おそらく、誰もまたこの星に人が暮らせるとは思ってない。
「ユゲル」
父さんは言った。
「それでも誰かが、たとえ私達のためでなくても、彼女を止めないといけないんだ」
勝手なこと言わないで!
誰かが。その誰かってだれ?私以外に誰かいるなら、お願いだから代わってよ!私まだ、14歳なんだよ!
その時のことはほとんど覚えていない。泣き叫ぼうが暴れようが、大人たちは顔を伏せて私を無視した。みんな忙しかったのだ。一方では船の乗員手配や資源の配分があり、一方では十六代目見習いの私を
寝室で泣き疲れて眠った私をよそに、作業は着々と進められていた。十五代目はその間に、北米大陸を蹂躙していた。ここ北アフリカがいつ彼女の次の標的になってもおかしくなかった。
私はどのようにして彼女を止めるのか?
神には、物理的にも心理的にもダメージは与えられない。その全能で、十五代目がこの半世紀の間に何柱の太古の者たちを葬ってきたのか、私たちは十分過ぎるほど知っている。
私が実際に彼女の偉業をこの目にしたのは、まだ見習いになる前、10歳のときだった。アレクサンドリアに顕れたアブィゼルを彼女が光の柱で焼き尽くしたときだ。アブィゼルは前と後ろに嘴の生えた頭をしており、聳える様はまさに天を衝くようだった。私は一目見てこの世の終わりだと思った。
しかし。そんな巨躯を持つ古の者さえ十五代目の敵にもならなかった。天から飛来した彼女が左手をかざすと、緑色の地中海から光の柱が立ち上り、瞬く間にアブィゼルを飲み込んでいた。
ボスポラス海峡で固唾を飲んで見守っていた人々は喝采を叫んでいた。でも私はそんな人智を超えた奇跡を起こす彼女が、その時からすでに怖かった。
そんな彼女に立ち向かう術なんて、普通に考えたらありえない。私たちはその御裁きの前に平伏して、あまねく神の威光を示すべきなのではないかと、そう主張する人々もいた。その通りだったのかもしれない。
でも、多くの人はやはり生きたかった。生き延びたかった。
多くの物理攻撃-最終的には戦術核兵器の使用も-無駄に終わると、私たちに残された手立ては彼女と同じく神の力で立ち向かうことだけだった。そしてその力を多少なりとも扱えるのは十六代目になるべく見出され、育てられた私だけだった。けれど現役の彼女と所詮は見習いの私とでは試すまでもなく力量の差は火を見るより明らかだった。
「光の柱では到底太刀打ちできない」
神機能学者の父さんはそう言った。
「物理同士のぶつかり合いになればエネルギー量が違いすぎて話にならない」
その話をした時には、私はもう泣き喚いたりしなかった。開き直っていたし荒んでいた。こんな一大事に14歳の私を頼るほかない大人たちの無力さをむしろ憐れんでさえいた。
「どうするの?」
「物理ではエネルギー量がものをいう。しかし観念なら?観念にはエネルギー量は関係ない、同じ観念ならそこに差異は無いし大人だ子供だという力による上下もない」
父さんの話ぶりは、いつものようにまどろっこしいものだったけれど、要は御力の中でも思惟するもの、観念として初代神から代々受け継がれる力、「全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ」でなら対抗できる可能性があるというものだった。
信じたわけではない。ただそんなやけっぱちな方法しか、もう残されていなかった。
星幽体は不安定な存在だそうだ。
私は人工解脱によって星幽体となるが、意識を保って力を振るえる時間は短い。およそ三分。その三分の間に「全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ」を想起し、十五代目を屠らなければならない。そう父さんは説明した。星幽体には距離の概念は存在しないらしく、彼女が南極にいても私がここアルジェで人工解脱した次の瞬間には彼女の前に現れるそうだ。神と神性は惹かれ合うらしい。
「本当にすまないと思っている」
父さんは最後に言った。
「でもユゲル、これはお前を見捨てるとか生贄に捧げるとか、そういうことでは断じてないんだ。確かに父さんたちは船に乗って旅立つ、そしてこの星に戻れることはないだろう、でも人工解脱したお前はある意味常に私たちといると同然なんだ。それを忘れないでくれ」
私は父さんを恨む。父さんを止めてくれなかった母さんも憎い。私は父さんには答えず、人工解脱を始めてもらった。ベッドに横たわった私の右腕静脈に、緑色の液体が注入されるとほとんど同時に私は意識を失った。
気がついた時、私の眼の前にはあの、全身を光る甲冑で覆われた巨大な十五代目が聳え立っていた。その姿はかつて地中海の上に佇み光の柱で魔を払った威容と少しも変わらなかった。
私は半ば恐怖のために、反射的に「全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ」を思惟した。私の観念は彼女への恐れで膨れ上がっていた。
彼女の頭上、虚空には雨雲のように黒い固まりが湧き上がった。一体一体が巨大なバッファロー、それが蝗害のイナゴのように空を覆い、彼女へと群れ落ちていった。
対して十五代目は、即座に光の柱を召喚した。飲み込まれる無数のバッファロー、そして私。瞬間、死を覚悟して目を閉じた。
しかし観念としてのバッファローと、星幽体の私に、物理攻撃は効果を見せなかった。ここまでは幸運にも父さんの予想通りだった。問題はバッファローたちに彼女を倒す力があるのかだった。
中空に浮かんでいた彼女は、止めどなく頭上から降り来り、地上からはその御足にまとわりつく巨大なバッファローたちによって地に引きずり下ろされていた。核爆発でさえダメージを与えられなかった彼女に対して、バッファローの群れはその巨大な頭部と先の鋭い二本の角で蹂躙を始めていた。
彼女は矢継ぎ早に炎の海や、塩の柱で獣を追いやろうとしていたが観念であるバッファローの群れには通用せず、足下を崩された彼女にはさらに無数のバッファローが群がっていき、容赦なく攻め立て続けていた。
鎧が削れる金切音、切り裂かれた動脈から噴き上がる血液、骨の砕ける軋んだ音。それらが無数の雄叫びの大合唱の合間から漏れ聞こえてきていた。
地に臥した十五代目は、さらに群がり来る巨獣たちの小山に埋れていった。最後まで小山から突き出ていた彼女の右手の指が砕け散った。
私たちは勝った。そう思うと途端に、彼女への恐怖は、みんなに取り残された恐怖へと移り変わっていた。私はここでこうして、父さんたちとも隔てられ、共に語るものもなく、星幽体として擦り切れるまでの計り知れない時を過ごさなくてはならない。
「ずっと一緒だ」
誰かがそう囁いた。その声は無数の重なりから成っていた。バッファローの群れの言葉だった。
そうだ、人間はこの星ではもう暮らせない。私は、あと数十秒が過ぎれば意識を保てなくなる。これからは私自身も「全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ」という観念となり、この星を見守っていくのだろう。十六代目には成れなかった私は、これからは改めて、人類のいないこの星の初代となるしかない。私は、これからは私たちであり、彼らバッファローであり、そのような在り方として見守っていこう。
あと十秒ほど。意識が遠ざかっていく。とうとう私は、私という存在を離れて、この星に遍くあるものへと飛び立っていく。
まだ意識のある一秒一秒が愛おしい。
その時ふと、私の頭に掠めた疑問。
「全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ」
全てを?
あのバッファローたちは、十五代目を跡形もなく片付けて満足するのか?
もちろん、彼らは「全てを破壊」する。他ならぬ私が思惟した通りに。
薄れゆく意識の片隅で、「全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ」が大地そのものを破壊し始めているのを感じた。
彼らはずっと一緒にいてくれるだろう。この星を破壊し太陽系を破壊して、この銀河を、宇宙そのものを破壊し尽くすその時まで。
そして最後に、彼らの断末魔から新たなビッグバンが生じ、人類が想像さえできないような宇宙が創造されるのだろう。
<完>
全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れには三分以内にやらなければならないことがあった 金魚術 @kingyojyutsu-mi
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