つまらない大人にはなるな

イオマンテ

現在進行形

大人は汚れているという言葉をよく耳にする。私に言わせてみれば、子供の頃に持っていた個々の色が様々な経験によって新しい色が合わさったり、削られたりしてできるようなものなので、汚れているも何もないのである。結局は全体だけをみて協調性がないだとかいって一つ一つの色をしっかりと見ていないだけではないか。

大人といっても固定された定義は成人を迎えるということであるが、それもまた年齢が十八に達すれば誰でも大人にはなれる。先ほどの話を引用するのであれば、一色の綺麗な純粋な色を持っているような人でも年をとれば誰でも簡単に大人になれるのである。しかし、私も今は十七。この定義に従うとすると、私の期限はあと一年もないのである。では今しか書けないものを書いてやろうではないか。大人には書けないもの、今しか書けない、感じること、味わえないというものは確実に存在するのだ。

さてそろそろ本題に入るとしよう。

あなたはサンタが本当に存在すると思いますか?

あえて敬語で質問を問うてみる。これ読んでいるような子供がいたとしたら、きっと私と気が合うことだろうが、大体はいわゆる大人とか、学生とかと言われる部類の少し変わった人間ではないか?そもそもサンタという存在をないものとして生きてきた人もいるだろうからざっと説明をしておこう。

いわゆる日本のサンタというのは、クリスマスに日頃から良い行いをしている子供にプレゼントを与える白髪の髭が特徴的なおじいちゃんのことである。家庭によって差が出るもので、プレゼントが置かれている場所は枕元やツリーの下、靴下の中など様々である。たまにクリスマスの前や後にサンタがミスをして届けてしまう、または届け忘れという少々気分が落ちる例外もあるが、基本は可愛らしい包装をされたプレゼントがいかにも不自然に、ぎこちなく置かれているものだ。

また、家での侵入経路も不明で、絵本に出てくるサンタは煙突からひょっこりと登場しがちだが、現在の日本の屋根に煙突が付いている家はよほど洒落てる家だとか、趣きのある家だとかだけだろう。

サンタは両親説、祖父母説などがあるがどれも意地の悪い大人が考えたものである。子供の頃に無邪気な心で信じていたものを大人によって裏切られたということに大きなダメージを受けつつ、そのダメージを受けた子供が大人になって、その子供にまた同じことをする。なんてつまらない成長の仕方なのか。みんなユーモアやセンスを子供時代に忘れてきてしまっているのだ。大体、サンタがいないなんて、大人の嘘かもしれないのに、それを素直に受け入れて大人なるから全く面白味にかける大人が出来上がってしまうのだ。なぜサンタがいないものだとそこで思考が止まってしまうのか。信じる心はなぜ大人になればなるほどすだれていってしまうのか。

子供の頃に見た映画の主人公が仲間を裏切っていた。当時は最低な主人公だとしか思っていなかった。それを大人になって見返した時に、ああ、こんな風に思っていたからこうしたんだと、いわゆる主人公の裏の心情を理解できるようになった。これは精神的な成長によって起きるものだ。しかし、それはそれだ。サンタなんて、夢と希望を与えるものなのに、子供の頃に信じた気持ちを大人になってなぜ裏切らなければいけないのか。

私は大人、これから大人になる人、そして自分自身に言いたい。つまらない大人にはなるな。

こんなまだ十七のクソガキが言えたことではないが、本当にこの世にはつまらない大人が存在するのだ。それも沢山。成長する過程で色々な経験をし、嬉しいことや辛いこと、目を背けたいことに出会う。ギリギリまだ未成年、子供である私はそういう大人を見ると本当にかわいそうだな、コイツ今まで何して生きてきたんだと思う。その人の人生を値踏みするのような思考をする私が悪いのか。いや、そう思わせるような行動をする方が悪いのだ。大人だってこんなクソガキにボロクソ言われたくないだろう。だったらつまらない人間にはなるな。

私の家はそれこそサンタの存在そのものが危ういものだった。小学校の頃なんて親と一緒に暮らさず離婚している祖母と一緒にマンションに住んでいた。うちの母方の家は離婚一家で、仲が悪く最悪の家庭環境。父方の家もぶっ飛んでいて、社会の常識というものをまるでわかっていない。そんな家庭で生まれ育った両親がまともなわけないだろう。母は躁うつ病で入退院を繰り返し精神的に不安定。一方父はギャンブラーとモラハラ気質で、まともに子供の面倒を見れない。最悪な家庭でしょう?笑ってしまう。こんなにネチネチしている昼ドラよりももっと泥沼な家、あまりないだろう。しかも、今は家庭内別居中で、今月までに離婚することが決まっている。金がないから離婚したくても簡単にできないので、サンタなんて信じるもなにもなかったのだ。

お陰で十七年の間に見たくないものばかり見てきた私は可愛げのないクソガキに育ってしまった。読んでいて笑ってしまうだろうし、気分のいいものではないだろう。それは本当に申し訳ない。荒々しく自分はなんでもできると確信し、この文をスマホで夜な夜なポチポチ打っている姿こそが最大の黒歴史である。でもいいじゃないか、それが十七の誰も奪うことのできない特権である。

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