春を待つ心
紆余曲折あった二人がオレアンダーの隠れ家で住み始めたのは秋の終わり、冬の訪れを感じさせる頃だった。
共に厳冬を越え少しずつ寒さがゆるみ始めたのを感じたある朝のことだった。
起床したクシェルは寝巻きからオーバーオールへ着替えると窓辺に腰掛けた。
窓から見える庭は溶けかけの雪が朝日を受けてキラキラと反射している。
「体が冷えちゃうよ」
すかさずオレアンダーが駆け寄り、毛布を身体に巻きつけてきた。
つい二ヶ月前はお腹もそこまで出ておらず身軽なクシェルだった。
庭できのこ達と鬼ごっこをしたり、狩に出ようとしてオレアンダーにこっぴどく叱られてしまった時のことが嘘の様だ。
「お腹、出てきたね」
「ああ」
つい少し前まではローブで隠せたものの日に日に存在感が増し、とうとう隠しようがなくなってしまった。
オレアンダーが嬉しそうにクシェルのお腹にそっと手を当ててくる。
細められた彼の琥珀の瞳はどこまでも甘く、蜂蜜のように溶けてしまいそうだ。
向かい合って朝食後のお茶を飲んでいると唐突にオレアンダーが口を開いた。
「俺はクシェルとの出会いをやり直したいと思ってた」
「え?なんでだよ」
クシェルが首を傾げると、オレアンダーは眉根を下げた。
「だって研究者と被験者だよ。何より金銭のやり取りがあったし」
「確かに脅迫まがいだったしなぁ。まぁそもそも俺が延焼させたのが始まりだけど」
魔法暴発、延焼、脅迫、人体実験。
振り返って見ても二人の出会いはこの上なく物騒でロマンスに欠けた単語が立ち並ぶ。
「あ、笑ったな。もう、この子に馴れ初めを聞かれたら何て答えればいいのさ」
オレアンダーは眉根を下げ困ったような顔をする。しかし魔法が飛び交う世界を生きていくこの子からすれば、案外大したことではないのではと思ってしまう。
──この子はそういうことは気にしない気がする。
親の勘なのか楽観的なのか。クシェルはそこまで気にならなかった。
「今思い返して見れば、初めて会った時のオレアンダーはムカつくけどカッコよかったな」
「ムカつくけどは余計。それにそんなんじゃ騙されないんだから」
オレアンダーは頬を染めながらも子供のようにむくれそっぽ向いてしまった。出会った頃の彼からは想像もつかない姿が可笑しくてクシェルは笑いがこぼれてしまった。
拗ねたような表情のオレアンダーに向き直ると、クシェルは彼の髪を梳くようにゆっくりと撫でた。
「俺にとってオレアンダーと会ってからの毎日は特別だよ。こんなに笑ったり怒ったり、考えたりすることなんて人生の中でなかった」
かつてクシェルは自分の人生を生きることをどこか諦めていたことを思い出す。
「…クシェル」
ハッとしたような表情をするオレアンダーと視線が絡み合った。
いつから彼はこんなにわかりやすい表情をするようになっただろう。
そう思うと共に過ごしてきた日々がいっそう愛おしく思えてクシェルの胸はじんわりと温かくなった。
「俺にとっては出会い方よりもオレアンダーと過ごした月日が大事だよ。それはこれからも変わらない」
クシェルは彼の胸の中に身体を預けると慣れた手つきで彼は迎え入れてくれた。
「そうだね、これからはもう一人増えるし、きっともっと特別なものになるよね」
いつも通りの綺麗な顔のままにこりと笑みを浮かべるとオレアンダーが強く抱きしめてきた。
じんわりと結露した窓が白くなり、二人で冬の温かい甘さをしばらく噛み締める。しかし甘い時間は長くは続かなかった。
『オレアンダーさま〜、クシェル〜おはよ〜』
久しぶりに聞いた甲高い声にクシェルとオレアンダーは顔を見合わせた。
窓から庭を覗くと、冬眠していたキノコの精達が列をなしてこちらへ向かってくる。
どうやら眠りから覚めたようだ。
本来きのこは一部を除き、冬を前に枯れ、菌糸となり越冬する。しかし魔法がかかったキノコの精達は例外でそのまま冬眠し厳冬をやり過ごしてきたらしい。
オレアンダーはそのためにキノコの精達のために庭に小屋を作り、ご丁寧に全員分のベッドまで作っていた。毎年そこで春を待たせていたのだ。
「うちは元々大家族みたいなものだったね」
呆れたように笑うとオレアンダーは、騒がしいキノコ達を宥めに庭へと足を向けた。
『オレアンダーさま〜抱っこ〜』
『遊んで〜』
「こらこら、重いって」
オレアンダーの腕や肩では飽き足らず、頭に乗り出す者まで現れる。
『クシェル〜早く』
『あそぼ〜』
「みんな、クシェルに乗っちゃダメだよ。お腹に赤ちゃんがいるんだから」
オレアンダーがすかさず釘を刺す。するとキノコ達は顔を見合わせ、群れを成したままクシェルの元へ走っていく。
「な、何だ?」
きのこ達はおっかなびっくりしているクシェルを力を合わせて抱え上げるとオレアンダーの元へと差し出した。
『抱っこしてあげて』
『オレアンダーさま、抱っこしてあげて』
きのこ達の言葉に可笑しそうに笑うオレアンダー。その胸にそのまま抱き止められたクシェルも釣られて笑みを溢した。
『仲良し、仲良し、オレアンダーさまとクシェル仲良し!』
きのこの精達はまるで祭りのように騒ぎ立てた。
クシェルが朝日の指す庭を見回すと積もっていた雪が溶け、見慣れた庭の姿に戻りつつあった。
「見てクシェル、クロッカスの蕾だ」
オレアンダーの声音が心なしが弾んで聞こえる。やはり彼も春の訪れが待ち遠しいのだろうか。クシェルはこの庭で初めて見る花の蕾を見つけようと目を凝らす。
そこには名残雪をかき分け、春の訪れを告げるクロッカスの蕾が顔を出していた。その健気な様が自分の身の内にいる子と重なり、クシェルは静かに微笑んだ。
春まであともう少し。
二人で初めて迎える季節はもうすぐそこまで来ている。
了
仮初のつがいは魔術師を恋い慕う 桃田りんね @watariko
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