血の轍
オレアンダーを通して彼の恩師のヒースから呼び出しがあったのは数日前のことだった。
晩秋の昼下がり、クシェルはエゼル大学の来賓室の前に立っていた。
ノックをすると、中から返事が聞こえる。
扉を開けると、柔和な笑みのヒースが出迎えてくれた。
「一度君と話してみたかったんです」
眼鏡のつるに手をかけると、ヒースはにっこりと微笑する。
「先日はお世話になりました」
クシェルが頭を下げると、彼は椅子に座るようすすめてきた。
ローテーブルを一つ挟むと、ヒースは微笑を浮かべたまま一枚の書類を差し出してきた。
「これは?」
何かの契約書のようだ。よく見るとオレアンダーの署名がしてあった。
「それは僕の下で研究を続けるために正式にここの学部の教授となった契約書なんですよ」
「一体、どういうことですか?」
話が見えずクシェルはヒースに訊ねた。
「あのローゼラインに目をつけられたんです。君を守るためにも東の我がクライネルトにつくしかないと思ったのでしょう。これはオレアンダーの覚悟です」
あのオレアンダーが僕に頭を下げてくるなんてとヒースは感慨深げに呟いた。
彼がそんな行動に出ていたとは、彼の本気をしりクシェルは胸を静かに熱くした。
「まあ優秀なオレアンダーがこのままいてくれるなんて喜ばしいです。今まで年単位の契約でしたからね。これからは馬車馬のごとく働いて貰わなくてはいけませんね」
ヒースのメガネの奥の瞳が怪しく光ったような気がしてクシェルはギョッとしてしまった。
「なーんて。改めてようこそクシェル君。我が大学校へ!あ、私、魔法学部の学部長もしてるんですよ」
急に明るい声を出したヒースは両手を握ってくると腕がちぎらんばかりの勢いで振ってくる。
醸し出す空気が急に変わりクシェルは目を白黒させた。
「はい、よ、よろしくお願いします」
「ノア君みたいな優秀な子をうちの学校へ寄越してくれたでしょう?おまけに学費もしっかり払ってくれてるようですし」
若いのに関心関心と頭まで撫でてくる。彼からすれば自分など子供のようなものなの
だろう。現に年齢の近い息子ウィリアムが実際にいるからだ。
クシェルはヒースの距離感の取り方がいまいち理解できず困惑してしまった。
「…いえ、当然のことです。弟がいつもお世話になっています」
クシェルが改めて頭を下げるとまじまじと見つめられて閉口してしまった。
「それにしてもあの根無草のオレアンダーが番いを連れてくるなんて。ふふっ家族が出来ればいっそう仕事にやり甲斐も出るでしょう」
「だといいんですが」
彼にとって自分が横に立つことは本当に正しいのだろうか。クシェルは時折思い悩んでいた。
「いや、相当君のことを気に入ったんでしょうね。私がすすめる見合いが嫌で、仮の番の実験に没頭して誤魔化していたのですから」
「え?」
クシェルは思わず声を上げた。
「もしかして、オメガを取っ替え引っ替えって話は…」
「ふふ、見合いを避けるためだけに実験参加を重ねていたんですよ、彼」
なんでもオレアンダーはギレスの特性のため、長寿であり不老らしい。これも彼が特定の番を持ちたがらない理由だったそうだ。
褒められたことではないものの、取っ替え引っ替えの真相がただの多情というだけではない事がわかりクシェルは少し胸が軽くなった気がした。
和やかな空気が続いていたが、一転して、かしこまった様子で向き直ってくるとヒースは声を固くした。
「今回の婚姻がギレス家の復興となることを願ってます」
ポツリと溢した彼の言葉にクシェルは弾かれたように頭を上げる。
「あの、でも俺との子だからローゼラインの血が入ってしまうのですが、いいんでしょうか」
西の悪き魔女と言われた血が混ざるのはあまりいいことではないのではと妊娠が発覚してからクシェルは懸念していた。
「他の魔術師が彼女らを警戒するのはその思想の危険さ故。血は関係ないです。むしろ四大魔法一族の血統なのではたから見れば素晴らしいことです」
淡々とした様子で返すヒースにクシェルは救われる気がした。変に気遣われ取り繕われる方が返って辛いからだ。
「ローゼラインの人間がオレアンダー達の領地を汚してしまったので、とても気掛かりでした」
関わりは一切なかったといえど、同じ血を持つ一族がしでかしたことにクシェルは責任を感じずにはいれなかった。
「ギレス領の復興を早くするには一刻も早い土地の浄化が必要です」
ヒースは言い切ると真剣な表情を見せた。
もしかしたら彼はクシェルがギレス領の復興に興味があることを見抜いていたのかもしれない。
「浄化は難しいのでしょうか?」
クシェルは思わず身を乗り出すとヒースは神妙な顔で頷いた。
「土地の浄化にはギレスの花葉術を使いこなす人間が多いほど早いんですよ。…でもオレアンダーにバレると怒られるのでここだけの話にして下さいね」
周りを気にしながら控えめな声で告げてくる。確かに彼の発言は今後の妊娠の強要ともとれるからだ。
しかしクシェルにとっては耳寄りな情報であることは間違いない。
何にせよオレアンダーの望みを早く叶えることができるのだから。
「妊娠出産は危険が伴う。もちろん痛みだって。ただ君たちの場合恩恵も多いのです」
「と、言いますと」
ヒースの説明によるとクシェルがギレスの血を引く子供を身籠るほどにギレスの生命力の血が身体を巡る。するとクシェルの寿命も長くなるらしい。
「オレアンダーと一緒にいられる時間は増えるってことです」
ギレス領を浄化するためにはクシェルがオレアンダーの子供を沢山産むのが近道であり、オレアンダーと長く連れ添うための解決策といいたいのだろう。
この話をしたいがために自分一人が呼び出されたのだとようやく理解した。
本題を話せたせいかヒースはどこか肩の荷が降りたような表情をしている。
「なんにせよ、やっと孫を抱けそうでホッとしてます。あの子の父君とは旧知の仲でね。まあ息子のようなものです」
ヒースはオレアンダーの父を思い出したのだろうか、やけに懐かしそうな表情をした気がした。
「失礼ながら伝え聞いた話ですと君とノア君もご両親はご逝去され、クシェル君がノア君の親代わりをしていたと」
気遣わしげに聞かれると、クシェルゆっくりと頷いた。
「ええ、親と呼べる人は俺が十歳、ノアが五歳の時に亡くなりました。そこからは身寄りのない生活でした」
「それはさぞ苦労されたことでしょうぜひ僕を親代わりだと思って頼ってくださいね」
「…ありがとうございます」
クシェルは彼の気遣いに深々と頭を下げた。
「それにしても君もノア君も供物にされずに良かったです。お母様に感謝ですね」
ヒースはしみじみと呟いた。
ローゼラインの掟では男児が生まれれば供物にされるという。
「ローゼラインには悪魔信仰でもあるんでしょうか」
クシェルは表情を固くして、ヒースへと訊ねた。
「まさか。ただ噂に聞くところによると、男児の身体数体から一人の女性アルファを作る技術があるのではとの噂があります」
「…えっ」
悪魔教よりそちらの方がよっぽど怖いし悍ましい。
「君達兄弟が悪き魔女の一部にならずに本当に良かったです」
ヒースは微笑むも、クシェルは自分をルーツを知るほどにやるせなさを覚え、複雑な思いがあった。
「無事にみんなで家族になれるなんて、夢みたいですね」
ヒースは優しげな微笑を浮かべる。彼は抱擁力もありそうだし能力もずば抜けて高いのだろう。しかしそれでいて眼鏡の奥に隠された計算高くしたたかそうな表情がクシェルは少しだけ気になった。
そろそろ次の仕事の時間が迫っているそうで、ヒースから別れの挨拶をされた。
「というわけで公私ともよろしくお願いしますね。いやぁ勢いだけで始めちゃった学部なので、なにぶん人が足りなくて。オレアンダーやノア君達にも色々雑用をお願いしてるんです」
「噂はチラホラと聞いてます」
二人ともヒースからの雑用に苦言を呈している事が多々あったがさすがに言えずクシェルは口を紡ぐ。
「君は腕のいい狩人って聞いてます。えーっとなんでも『熊殺し』って流派?称号なんですかね?らしいですね」
ヒースにまで熊殺しの武勇伝が伝わっているとは思わずクシェルは苦笑いした。
「ええ」
「もしかしたら研究のために魔法生物を狩ってきて貰う仕事も頼むかもしれません。その時はよろしくお願いします」
そのまま言い切るとヒースは移動魔法で姿を消してしまった。
「つ、疲れた」
嵐の様に過ぎ去った学部長を見送りクシェルは来賓室の椅子に沈み込む様に身を預けた。花びらがチラリと舞ったかと思うとまるで見ていたかの様なタイミングでオレアンダーが姿を現した。
「お疲れ様。何か変なこと言われなかった?」
心配そうに見つめてくるも、彼からここだけの話と言われたのでクシェルは首を振った。
「いや…なぁ、あの先生いい人そうだけど、なんかちょっと怖い」
「とてもいい人だよ。でも俺もたまに怖い。恩師なんだけどね」
ローゼラインに対してとても強い後ろ盾ができたように思うも、一歩間違えると呑み込まれてしまいそうだ。
今後付き合いが濃くなるであろうクライネルトの魔術師に改めてクシェルは畏怖の念のようなものを感じるのであった。
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