電撃戦

 和暦一九四〇年 五月十日

グンマ帝国によるトウキョウ・サイタマ連合への攻勢作戦は、周辺諸国へ強い衝撃を与えた。

 戦車や機械化歩兵の集中運用により、機動力を大幅に増したグンマ軍は、開戦二日目にして首都・さいたま市へ突入。さらにはトウキョウ・サイタマ両軍による防衛線、〈荒川防衛ライン〉を突破し、戦線に張り付いていた両軍主力を分断する形に。


 トウキョウ軍は、後方に控える第一軍を浸透したグンマ軍装甲部隊へ差し向ける。グンマ軍の手薄な後方を狙い、逆包囲するという反攻作戦であった。しかし、これはグンマ軍が側面を警戒していたことにより阻止される。それどころか、装甲師団の遊撃によって手痛い反撃を受け、連合軍は多数の死者を出すこととなる。

 包囲かのサイタマ軍は、じりじりと秩父山地へ追い詰められていく。補給もなく、包囲解除も失敗し、逃げ場はない。それでもトウキョウ・サイタマ連合軍は懸命に抵抗した。


 同年 五月二十九日

さいたま市の陥落に伴い、残存兵力は東京都へ全面撤退。トウキョウ二十三区への主要交通路の防衛に徹した。

 これにより、包囲下にあった連合軍約十五万人はグンマ軍へ投降。一部の部隊は、重装備を捨てて秩父の山地へ。数万人が、かろうじてトウキョウ方面への脱出に成功した。


 ここで、既にイバラキを制圧した〈チバ王国〉がグンマ帝国側で参戦。宿敵サイタマの領土を奪い取るため、十万のチバ軍が流山より侵攻を開始した。

 束の間、侵攻は早々にとん挫。計画の準備不足によって指揮系統が混乱し、たった数万のトウキョウ軍が守る葛飾区、江戸川区への進撃は失敗した。

 しかし、荒川以東のサイタマ領獲得には成功した。


 最早、雌雄は決した。日本列島の誰もが、トウキョウに勝ち目はないと。

 ――ここで、新たな参戦国。チバの拡大を恐れた〈カナガワ〉が、連合軍側で参戦を表明した。潤沢な工業基盤を抱えるカナガワの力添えは、理由はどうあれトウキョウ連邦にとっては非常に心強い。

 関東の戦火は、未だ途絶える様子を見せない。


 ――北の大地でも、大国が動き出す。

 〈ホッカイドウ社会主義共和国連邦〉――通称〈ホ連〉が、東北地方へ侵攻。ホ連軍がアオモリへ上陸する。それに呼応するようにグンマ帝国が、フクシマ国境に兵力を集結させ始める。


「この二国間で、東北地方に関する何らかの秘密協定があったのではないか」

 

 他国の政治学者は、このように考えた。



 次の火種は――東北連合か。

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関東戦記 ― 第二次都道府県大戦 ― hard(ハルト)少佐 @yamami_syosa

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