永遠のかたわら



 アタラの兄を騙った人型が消え失せたと同時に、ざわざわと波音を揺らめかせながら、海の水が引いていった。先の鏡ヶ湖と同じく、あれが〈呼び水〉であったのは変わりなかったらしい。

 ひとつ、深く息をついてアタラが振り返れば、引く潮に濡れるも厭えず、座り込んだ鏡一郎の姿があった。それに、彼は楽しげに意地の悪い笑みをひく。


「この程度の霊力消耗でざまあないね。ちょっと前は褒めすぎたかな。雑魚神凪に毛が生えた程度だったかも」

「人の霊力をしこたま喰らっておいて、よくぬけぬけと吠えられる。普通の神凪なら、霊力切れで死んでいてもおかしくないからな。俺という、お前のためにあるような存在に感謝しろ」


 へたりこんでいても、淡々とした口調で減らず口を紡ぐ。あの日の少年の面影もなく生意気なものだと、満足げにアタラは笑った。


 それに言い分は、確かに至極もっともではある。アタラの回復に、能力強化。しまいには、水面へ花開かせた最後の術。それに、霊力をごっそり持っていかれたのだ。あの類の術は、カミの中に宿るナレノハテを利用したものとはいえ、主である神凪の霊力も多大に消費する。削り取られた霊力は、いかほど膨大であったろう。にもかかわらず、鏡一郎はそれとは別に、あたり一帯に結界を張り続けてもいたのだ。本来なら、さすがだと、褒めたたえられるべきところである。


 だが、アタラはそれ以上取り合いもせず、鏡一郎を置いて、ふらふらとあたりをほっつき歩きだした。鏡一郎は、ため息まじりに肩をすくめる。


「調子に乗って動き回るなよ。塞ぎは出来たが、しっかりとした治癒じゃない。無理をすればまた傷が開くぞ」

「分かってるよ。自分の身体だ」


 背中のままで答える声は、どこまでちゃんと注意する気があるのか危ういものだ。だいぶ水のひいた地面を見下ろしながら、きょろきょろとうろつく細身の影に、鏡一郎はもう一度、聞こえよがしに嘆息した。

 が、それに重なるように――


「あった!」

 アタラの声があがった。彼が屈んで拾い上げたのは、真白の真珠だ。蒼い月明かりに、艶やかに濡れて煌めいている。だが何より目を引くのはその輝きよりも――

「ちょっと……でかくない?」


 アタラがぎゅっと、雪柳色の眉根を寄せた。真珠は、小さくはないアタラの掌で掴まれて、なお余るほど大きさがあった。真珠らしい可憐さが、この大きさになるとどこか消し飛ぶ。


「ちょうどいい。回復に食え」

「さすがに食べれないよ! こんなおっきいの」

 穿たれたガワを治すのにちょうどいいと、鏡一郎が無理を承知で無遠慮に勧めれば、アタラは抗議して噛みついた。


 ヨモツオニの残す真珠は、それなりに硬いのだ。まるまる口にほうりこんで、がりがりとよく咀嚼すれば、カミならばかみ砕けようという硬さだ。しかも真珠は、質が上がれば上がるほど、硬度も上がる。人型のヨモツオニが残した真珠など、確実に硬いに決まっている。そのうえ掌よりも大きいとなれば、口の中に納まらない。齧りつくしかないが、カミであっても顎と歯が痛まないか、いささか心配になる代物だ。


 めつすがめつ手の内の真珠を眺めまわすアタラの顔には、露骨に、嫌だなぁ、食べるの面倒そうだなぁ、という感情が浮かび上がっていた。


 そこへ、勢い良く駆け寄る足音が響いてきた。誰のものかなど、振り向かずともわかる。

 分かる――ゆえ、鏡一郎もアタラも見向きもしないでいたら、その足音の主は、座り込む鏡一郎の背に、思いきり勢いよく飛びついてきた。


「少尉~! アタラさん~! 好き~!」

「うっとうしい」


 しがみつく巳代次みよじを鏡一郎は雑に引っぺがした。そのままツバキに引き渡せば、彼女はぺこりと頭を下げて、主をずるずると引きずり離していってくれる。

 「親愛がほしい~」と、嘆いてみせる巳代次に、鏡一郎は虚無の目だ。それに、文太もんたが笑いながら、一応の釈明を挟んでやった。


「悪いな、丹内にない。援護はもらってたが、俺らの力じゃなかなか立ち回りの際どい戦闘だったんでな。無事なことに、気持ちが昂っちまったんだろうぜ」

「あいつはいつもああだろうが。甘やかすな」

「懲りないよね……あいつ」

 にべもない鏡一郎に、呆れたアタラが重ねる。だが、度量が広いのか、単にゆるいのか。文太はただ愉快げに笑い声をたてるだけだった。


 その間に、海水はすっかり、船着き場から引ききっていた。神凪だけが触れられるその水は、海へと戻ってしまえば乾くのも早い。鏡一郎の濡れそぼっていた軍服も、アタラの着物の裾も、あっという間に乾いていた。ここに海が寄せたという名残は、壊れた大鳥居と一部ひどくひび割れた地面のみだ。


 文太たちが戦っていた入り口付近にいけば、真珠が転がってもいるだろうが、ここに海の異形が残したものは、アタラが拾い上げた大ぶりのひとつ以外はない。――はずだった。

 しかしふいに、アタラが怪訝に片眉を上げた。


「鏡一郎、なにかある」

 アタラが指さした先、鉄門のほど近くで、なにかがきらきらと月明かりを弾いて輝いていた。

 ひとっ飛び。軽く地を蹴り、空を舞って、アタラがその光るなにかの元へと降り立つ。長い指先が、それをつまみあげた。


「……鱗?」

 蒼い月光の元、拾ったものを翳し見て、アタラは首をひねった。


 それは、親指の爪ほどの大きさだった。薄く、硬く、乳白色に見えるが、角度を変えれば、その白のうちに、別の色が淡く煌めく。光の色彩を溶かし込んだような、綺麗な鱗だった。


「なんだったんだ?」

 しげしげと眺め回すアタラの背に、立ち上がり、歩み寄ってきた鏡一郎の声がした。

「鱗みたいだね」

 振り返り、その青い双眸の前にアタラは指先につまんだそれを掲げた。


「鱗、か……」

 しかつめらしく鏡一郎が呟き、鱗を睨んで見据える。その脇から、ひょいと後をついてきた巳代次が、軽い調子で顔をのぞかせた。

「海の水があふれたせいで、運河の川魚のでも、流れてきちゃいましたかね」

「そんなわけないでしょうが、駄神凪。明らかに不審な鱗だよ」


 鱗は、この世のものとは思えない、繊細な美しさを湛えている。こんな鱗の川魚が、そのあたりの運河を泳いでいてなるものか。

 適当が過ぎる発言にアタラが厳しく切り返せば、「ですよね~」と軽々巳代次は意見を翻した。


「とりあえず、捨てとくわけにもいかねぇだろ? 俺らで引き取ろうぜ。俺が預かっといてやるよ」

 文太がそう、気前よく大きな手を差し出した。彼はその伴神の特性上、軍衣に付属で身に着けている小物入れが多い。アタラが手渡した鱗も、文太自身がしまいこむより先に、ちょろりと現われた小鬼が、頭上に掲げて持ち去り、一緒に腰の鞄に入っていった。


「他になにか不審なものがないか一通り確認したら、郡所ぐんしょに戻るか。朝には間があるが、寝るにはもう、だいぶ短い」

「え~、確認、明日じゃだめですか~。もう俺、へとへとで~」

「頑張んの」

「働け、下っ端」


 おおらかに鼓舞する文太と、相反して辛辣に蹴りつけるアタラに挟まれて、巳代次はめそめそと大仰な泣き顔を作った。その背に垂れた三つ編みも、へにょりとしょぼくれているようだ。巳代次は、重い足取りで、ツバキにしなだれかかりながら、「ツバキちゃ~ん、一緒に頑張ろ」と、捜索を開始した。


「よく付き合ってやるよね」

 もたれる巳代次を迷惑そうに押し戻しながらも、一緒にあたりの様子を調べて回るツバキにアタラがこぼす。

「なんだかんだで、あいつを一番甘やかしてるのはツバキちゃんだからなぁ。結局、相性がいいっつうのは、霊力の質以外に、そういうところもあるんだろうぜ」

 そう文太が笑った。そんな彼の鞄や服の内からは、小鬼たちがまた姿を見せて、探索のため四方に飛び去っていった。指示を出す仕草や素振りもなかったというのに、優秀なものだ。


「こういう作業はあいつらの得意技。すぐに終わらせてくれるだろうぜ。俺には出来た伴神だよ」

 星の欠片のように、白銀の輝きを残してあちこちへ散らばった小鬼たちへ、文太はふわりと頬をゆるませた。その眼差しには、親愛の情が分かりやす過ぎるほど溢れている。


 なるほどと、アタラは改めて、先の文太の言葉に得心した。

 彼自身は神凪ではあったが、伴神を得たことない。だから、神凪にとっての伴神が真実どういったものなのかは、己が経験としては分からない。もう知り得るもこともできない。だが――


「どうした?」

 ちらりと盗み見た視線にすぐさま気づいて、鏡一郎が首をかしげる。赤く彼の呪いが刻まれた紺碧の瞳。そこにかすかのぞく含みの色合いに、アタラは顔をしかめた。

「別に。君ってわりと性格悪いな、って、思っただけだよ」

 腹いせに、真っ向から言い捨ててやる。

 隣にいたのだ。文太との会話が、聞こえていなかったわけではなかろうに。


「相性に胡坐かいて、俺に愛想つかされないよう気をつけろよ。君のそのくそマズ霊力を喰ってやれるのなんて、生涯――俺だけなんだろうからね」

 たとえ七度の先があったとしても、それだけは変わるまい。


 そこへ、「少尉たちも手伝ってくださいよ~」と巳代次の泣き言が飛んできた。それに「駄神凪」と悪態をつきつつも、アタラが地を蹴り、離れた場所の確認に赴いてやる。「俺らも行くか」とのんびり歩きだした文太に頷くも、鏡一郎はわずか、動き出すのが遅れた。


 驚いたのだ。当たり前に、唯一の自負を振りかざした己が伴神に。


「――よく、分かっているな」

 思わず小さく笑みがこぼれた。


 彼の言うとおり、きっといくど生まれ変わろうと、アタラの他に選ぶ相手など――鏡一郎にはいないのだ。

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