伴神




「呪われたというなら、八百年前からお前に呪われていた」

 淡白なため息とともに、鏡一郎はそう言い捨てた。

「七度だ。七度もお前のために人生を費やした。その間、溜めに溜めた霊力と、磨きに磨いた修練のおかげで、今生では、稀有な強い力を持った神凪かんなぎ……と、扱ってもらえてはいるがな。やはり――地道な積み上げは、一番効くようだ」


「……うん。情報過多で理解と感情が追いついていない。整理させてもらおうか」

 優雅な笑みを携えて、平静を装いながら、アタラは深く息をついた。


 鏡一郎の前世に及ぶ話は実に端的に、簡潔に語られたが、アタラが訪れた時の明るい夕暮れ空は、すっかり薄闇に星を抱き、月が淡く蒼い輝きを纏いだしていた。


「え? つまり? 君は七度も生まれ変わっておきながら、俺を忘れず、探してた、と? 雑魚神凪扱いされたことを根に持って、人生七回分もの霊力溜めながら? あの日 《海境うみざかい》へも、うっかり入り込んだわけじゃなく、俺を探しに来てたってこと?」


「そういう話を、いましたな」

「重い」

 直截に、言い放つ。遠慮も忖度も歯に着せかける衣の一枚もない。はばかりなく顰められた柳眉に、思わず鏡一郎は声を立てて笑った。


「だろうな。お前に話せば、そういう反応になるだろうと、カガミの記憶がなくても、出会ってからの時間だけで充分わかる。正直、俺としても、どうかと思いはしているところだ。七度も生まれ変わると、最初の方の己など、感覚としては地続きの他人でな。生まれも育ちもそのたび違う。今生は、別の生き方をしてやろうと、考えなくもなったが……遠く隔て、もはや他人に思えても、どこかは繋がってしまっているらしい。思い出してしまったが最後、見たこともないお前が、視界をちらついて邪魔で仕方なくてな」


 あの日、あの時、あの蒼い月夜で、目を――奪われた。呪いのように刻まれたその姿を、消せなかった。

 赤く、呪いの紋を結ばれた紺碧の瞳は、淡く細められ、目の前に立つ己がヨリシロガミを見つめた。


「だいたい、そうやって、もう七回も俺の人生を費やさせてるんだ。そろそろ探し当てないと俺が報われない。そう思って、探した」

「あれ? ちょっと待って。もはや惰性で探してない? 七度の受け止め方変わってくるな?」


「惰性で探すにしては、難易度が高かったが? 《海境》になぞいるな。もっと難易度を下げていれば、俺も七度も人生を費やさなくて済んだ」

「そんな探し方する奴がいるとは思わなかったからね!」

 いい迷惑だ、とばかりに肩を落とす鏡一郎に納得がいかなくて、ついアタラは噛みついた。


「だいたい、その術、寿命を縮めるんだろ? 七回のうちにどこかで、その術を解こうと試みたりしなかったの?」

「五回目ぐらいの時に考えはしたが……その時にはもうそこそこの霊力になっていてな。それこそ、伴神ばんしんがいなくても、ある程度はヨモツオニの相手ができるようになっていた。どうせいつか手離すにしても、あと数度短命に終わる程度なら、誤差のうちだ。いまでなくてもいいと思ってな。やめた」

「君の損得勘定の基準が、生命維持についてぶっ壊れてることは分かった」

 あっさりとした申告に、アタラも淡々と呆れを返した。が、ふと、疑念に眉を寄せる。


「というか、さ。今ちょっと気になったんだけど、君、前世の時も伴神いなかったの?」

「カガミの時は、霊力が弱かったうえ、気持ちがそれどころではなかったからな。そのあとは、お前も知っての通りの状況だ。どれほど霊力が強くなろうと、喰えるカミがいなかった」

「筋金入りのクソます霊力じゃん。ねぇ……むしろそれを美味しく喰えてしまった俺は、なんなの?」

 怖い、と身を引くアタラは、薄々その理由に勘付いているようだった。鏡一郎はいささか意地悪く、口元を緩める。


「不思議はないだろう? お前のために溜め込み続けた霊力だ。お前以外の口に合わなくて当然だな」

「どうりでね! どうりで七色の味だと思ったよ! いつも同じじゃなんだよ、君の霊力! 欲しい味が来る。その時の最適解! 俺の好みにすんなり合わせてくる味覚! その理由を知るとほんと重い! とたんにしつこい味になったような気がする……!」


「実際は?」

「今は起きぬけの怪我人なので爽やかな味わいが欲しいところ、本当にすっきりと控えめな甘みで大変美味しいですよ、この野郎」

 捨てばちに、舌打ちとともに告げられた高評価は、鏡一郎としてもかつて聞いたことのない単語の羅列だった。凛と涼やかな顔が、小さくしかめられる。


「……本当に、お前が喰っているのは俺の霊力か疑わしくなるな……」

「正真正銘君のだよ!」

 しみじみと呟かれ、アタラは苛立たしげに、自分でも認めたくない事実を叩きつけてやった。


「あ~あ……君にこれからどう接していいのか分からなくなった」

「いまのいままでの、その態度のままでいいだろうが」

 がりがりと銀糸の頭を乱暴にかきやるアタラへ、鏡一郎は肩をすくめた。

「なにかが変わることを願ったり、ましてお前から、なにかを返してもらうことを期待して話したわけじゃない。疑念を持たれたなら、下手に誤魔化すものではないと考えただけだ」


 秋の夕暮れは、入日へ傾けば瞬く間に夜へと滑り落ちる。少し前まで木々の梢にかすか宿っていた夕陽の残照は消え、鏡ヶ湖かがみがこは闇の帳に包まれていた。満ちかけの蒼い月が、湖面で静かに揺れている。


 水面が淡く反射する蒼い輝きが、アタラの銀色の髪を濡らして煌めいていた。

 それに――いつかのどこかの己が、あの日を思い起こして、胸を揺さぶる。

 あの日の彼とは、もう姿は違うのに。あの日の己と違い、いまは彼を見下ろせるのに。

 それでもあの夜の記憶を騒ぐ己の片端に、鏡一郎は苦笑まじりの溜息をついた。


「あとは……お前の中に、俺は残っていないだろうと思ってな。過去から受け継いだ俺のどこかが、少し、悔しかったんだろう」

 生まれ変わりを明かした理由を、そう口に滑らせる。


 彼が生涯見つめ続けていたのは、その兄だ。兄の代替品として生き、兄の伴神となるため死を選んだ。そうして捧げた一生の中で、たった二年、気まぐれに遊んだ幼子のことなど、思い出せすらしていなかったろう。


 だから、図星だろうと、鏡一郎は少し揶揄を含めて彼を見やった。けれど――想像した苦虫を噛み潰した顔は、そこにはなかった。


「――そうでも、なかったよ」

 ぽつりと、本当にぽつりと小さく落ちた囁きは、鏡一郎がなにかを問う前に、気恥ずかしげな微苦笑を交えて、彼へと歩み寄ってきた。

 何の脈絡もなく急に伸びてきた冷えた指先が、ぴたりと鏡一郎の頬に張りつく。


「――あったかいねぇ、鏡一郎」

「お前が冷たいからでは?」

 ヨリシロガミも、ツクモガミも、カミの身体は、人より冷たい。当たり前だろうと訝しげに眉根を寄せた鏡一郎へ、アタラは軽やかに笑った。


「それはそうだけど……まあ、そういうことだ」

 ぽんぽんと、頬から離れた掌が、広い鏡一郎の背をたたく。

「君にはずいぶん――助けられてたみたいだからね」


 そのぬくもりを、ずっと持っていた。己を忘れても、兄を忘れても、それだけはずっと抱きしめていた。

 空虚さに凍え、眠る中。苛む悪夢に魘される中。ずっとずっと――八百年、抱きしめ続けていたのは、たったひとつ、あの夜のぬくもりだった。

 彼の残した――記憶だった。


「――……諸々くそ重いけど、君の伴神でいることは、まあ……悪くない。しょうがないから、その重いの、ちょっとは肩にのせといてやるよ」

「恩着せがましいな」

「破格の対応へ、素直に感謝しろよ」


 ぴくりとも喜色にゆれない無表情を、菫の瞳は憎たらしげに睨みつけた。

 でもそれが、彼がカガミではなく鏡一郎で、己が二の君でも、ましてスイレンでもなく、アタラだということなのだろう。


 彼を見下ろすのは、紺碧の瞳。澄みとおった、まじりのない青。遠く失われた海と、同じ色。いつか彼が、焦がれて届かなかった兄の色。

 けれどいまそれは、静かにアタラを映している。


 同じではない。もちろんそれは分かっている。鏡一郎にとっても、そうだろう。彼を見上げるのは、人ならざる菫色。少年を見つけ出した二の君とは、もう違う。

 それでも、それだからこそ――


「俺を呼んでよ、鏡一郎」

 淡く纏う、蒼い月明かりに微笑みを溶かして、アタラは鏡一郎を見つめ上げた。

「君が俺の名を呼べば、俺は、応えるから」


 君のともたる、カミとして。






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