あの日の選択



 ヨリシロガミが無事に生まれたと聞いたのは、誰からだっただろうか。カガミの記憶は曖昧だ。

 それからツナミが訪れた時も、カガミは無力だった。神凪かんなぎのひとりとしても戦えなかった。ただびとと同じように、庇護されるひとりだった。

 二の君が封じられたということも、人づてに聞かされた。自ら海の果て、淡見島あわみしまへと繋がる《海境うみざかい》に、身を鎮めたと伝えられた。


 あの島のことを、それ以来、未草島みくさとうと呼ぶように変わっていったのも、皮肉なことだ。あそこは、この地の人々にとって、未草スイレンが眠る島となったのだ。


 だが、カガミはその話をあまり信じはしなかった。特に、自ら――という部分をだ。ヨリシロガミは神凪を呪う。ツナミが過ぎ、役目を終えたと、切り捨てられたのではないかと訝った。たぶん、そう思いたかったのだろう。

 戻ってきてすらくれなかったと、受け入れたくなかったから――。


 カガミの存在を聞き知った、彼の兄王の計らいで、邸にいてもいいことになったと言われたが、やがてカガミはその国を出ていった。

 彼から授けられた学があった。及ばずながらも、手解きを受けた神凪としての術があった。


 それを元に、カガミは国々を渡り歩き、神凪として研鑽を積み、知恵を探した。

 ヨリシロガミを人に戻す方法。それを見つけ出したかったのだ。


 だが残念ながら、それは手がかりすら掴むことはできなかった。

 けれどカガミは、霊力と術を扱う才覚はなかったが、見出した知恵を繋ぎ、新たに紡ぐに優れた才を有していた。その才能は、与えられた学を栄養に、成長と共に密かに花開いた。


 諸国を巡り歩き、様々な神凪の術を見聞し、時に失われた術まで探り出していた彼は、あるひとつの呪法じゅほうを生み出すに至ったのだ。もし彼がそれを他者に残し、伝える道を選んだら、禁術きんじゅつとなっていたかもしれない、危ういもの――。


 それは、己に呪いを与えるものだった。よわいを縮める呪い。一度かければ、生まれ変わっても、その呪いは術者について回る。代わりに、その呪いと共に、自分の霊力も、次の世の己に繰り越せた。生まれ変われば変わるほど、その身に霊力が溜まっていく。生きる時間と引き換えに、来世に己が霊力を託し、積み上げる呪法だった。


 二の君をヨリシロガミから人に戻したいと、願っていたと思っていた。けれど本当は、《海境》に消えた二の君に、もう一度会いたかっただけだったのかもしれない。

 あの明けるを惜しんだ夜を――もう一度だけでも、取り戻したかったのかもしれない。その幼い願いを、カガミは生涯、終わりにさせてやることができなかったのだ。


 《海境》は陸と海の境目。禁域に足を踏み入れればそちらに渡ることも出来るが、常に同じ《海境》に出られるとは限らない。広大で、得体のしれない狭間のどこかには繋がるが、それは同一の場所ではないのだ。禁域を超えた先は、いつも不確かに、波のように揺れては変わる。


 だから、《海境》で人を探すなど、無謀に近い所業だった。いくど足を踏み入れても、探し人が立ち入った《海境》に繋がるとの保証はない。そのうえ、力がなければ、そこにいるヨモツオニに喰われるか、戻るための境界を渡れなくなるか――。

 弱い神凪には、とても可能な芸当ではなかった。


 だから、カガミは、呪われた方法に手を出したのだ。

 今生で叶わないなら来世で。来世も無理なら、その次で――。


 繰り越された霊力と記憶は七度に及び、そしていま、鏡一郎が、《海境》の果てで、アタラと出会ったのだ。


 あえて足を踏み入れた《海境》。駆け抜けた長い長いうろの先で、蒼く月明かりに濡れた大太刀を見つけた時の感情を、鏡一郎は七度の人生のうちで一度とて、味わったことはない。


 朽ちこぼれた姿でも、見誤るはずがなかった。あれは、カガミの時にいくども目にした、二の君の愛用の大太刀だった。


 あれを抜けば、どうなるか。鏡一郎には分かっていた。

 誰が姿を見せるかなど、引き抜く前から、それよりもずっとずっと昔から、分かっていた。


 彼の宿る、大太刀を引き抜く。

 他に選ぶ道など――もとよりあるはずもなかったのだ。





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