可惜夜



 カガミを拾った青年が、二の君と呼ばれ、この国の名のない王弟おうていなのだということは、のちほど彼があてがってくれた世話係から教えられた。


 二の君は気まぐれな男で、やしきに住まわせ、世話役を手配してはくれたが、本人は常にカガミの前に姿を見せるというわけではなかった。ただまったく音沙汰がなくなるということもなく、ふらりと現れては貴重な書籍を与え、これを学べばいいと言い、時たま神凪かんなぎとして、術の指南をかって出てくれた。


 しかし、頼りになる大人というよりは、勝手気ままな年の離れた兄という感覚が妥当であったろう。

 『別に子どもは好きじゃないから、俺は君の面倒をみてやらないよ』と、当人の前で臆面もなく言い放ち、神凪の鍛錬中に術を失敗すれば、声を立てて下手くそと笑う。

 鏡一郎として思えば、相当しょうもない大人の部類に振り分けたくなるところだ。


 それでもカガミが、二の君を慕ってやまなかったのは、最初の出逢いだけが理由ではない。二の君は、カガミと一緒に楽しんでくれたのだ。


 側仕えは共にいても息がつまると、時々、己れが羽を伸ばしたいと思った頃合いで、カガミを連れだし、野山で狩りを楽しんだり、馬に乗せて遠駆けをしてくれた。別に二の君は、カガミを楽しませようと思ってしていたわけではなかったに違いないが、それが、彼には嬉しかった。気遣いでなく、共にいる相手にカガミを選んでくれている。それが、誇らしかった。


 なにもなかった己が毎日に、楽しいと面白いとを豊かに積み重ねていくような――そんな時間を、二の君は意図せず与えてくれたのだ。


 神凪としての鍛錬の方も、カガミの至らなさを笑いながらも突き放さず、態度のわりに懇切丁寧に、指導を行ってくれた。


『結界は神凪の基礎中の基礎で、最大の武器だ。磨いて当然だよ』

 カガミは、霊力も弱い上に不器用で、結界のひとつも上手く紡げなかった。その不出来さは、指導に嫌気がさし、諦めろと諭してきても、致し方ないほどであった。が、二の君は、意外なほどそこは放り出さず、根気よく手解きしてくれた。


『まずは小石を弾く壁を一枚。君の力なら、その程度の結界が編めれば上出来だ。その小さな成果を積み重ねていけば――そうだな、来世かその次ぐらいには、そこそこの結界を張れる術者になれてんじゃないの』

『俺は……いまがいい』

『雑魚なのに焦るなって。地道な積み上げが、一番効いてくんの』

 不甲斐なさに不貞腐れるカガミに、軽やかに彼は笑った。見上げた秋風に黒髪なびかせる横顔が、とても穏やかだったのを覚えている。


『君は、さ……俺がいなくなれば、後ろ盾が消えるんだ。拾った手前、そこそこ自力で生きていけるよう、仕込んどいてやらないとね』

 そう頭をなでた手の意味は、その時のカガミには分からなかった。ただ、時をずっと隔てて振り返れば、たぶんあの頃は、二の君の甥が――王太子が、またひとつよわいを重ね、言祝がれていたころだったのではなかろうか。彼の死が、一年ひととせずつ近づいてきている。――そんな日だったのかもしれなかった。


 けれど、甥の七つの祝賀を待たずに、彼はこの世の人ではなくなった。ツナミが来ると、予見されたからだ。


 ツナミとともに襲い来るヨモツオニに対抗するために、ヨリシロガミを生み出す。そう噂を漏れ聞いた時、カガミはかすか、自分が選ばれるのではないかと怯えた。

 ヨリシロガミになれるのは、神凪だけ。この国の神凪は、多く国の兵として抱え込まれているから、そこからひとりを選ぶとなれば、軍の中に不和が生じかねない。それは、一丸となることが求められるツナミを前に、さけるべき事態であるはずだった。


 そんな中、カガミは、この国とまったく無縁の地から転がり込んだ神凪だ。よすがとなるのは、二の君ひとり。彼が国のためとカガミを差し出すなら、誰も否を唱えないだろう。ちょうど都合のいい贄だった。

 そう考えが巡ってしまう程度には、カガミは学を与えられていたし、二の君の言動の端々から、兄への敬愛を感じ取っていた。


 だから恐れた。生贄となることを。けれどどこかで、二の君が差し出すというのなら、仕方ないと思える気もしていた。


 だが、実際は違ったのだ。贄には、二の君がなると聞かされた。決定までの仔細は分からない。よもやそんなことは、知ろうとも知らずともどうでもいい。ただ、己が贄となるかと怯えた時よりずっと――ずっと、そちらの方が恐ろしいことだったと殴りつけられた心地だった。


 いなくなってしまうのか。自分を置いていってしまうのか。カミになる苦痛を、良しとして受け入れてしまうのか。誰かのカミになってしまえば、もう――カガミとの時間を、過ごしてくれなくなるのではないのかと――……。


 顔を合わせて尋ねたいことが山ほどあったのに、とうとう明日が祭儀の日という時まで、二の君がカガミを尋ねて来てくれることはなかった。

 だから、自分から足を運ぶことはしなかった彼の居室へ、初めて勝手に赴いた。


 赴いたはいいものの、あまりにいつもと変わらぬ彼の様子に、なんと言葉を紡げばいいのか、分からなくなってしまった。泣いて縋ればいいのか、怒って引き留めればいいのか――そもそも、そんなことを、己ごときが迫っていいのか。

 分からなくて、だんまりのまま、立ち尽くしていた。


 それをを見かねた溜息が、寒いだろうと、彼を同じ夜着よぎの中に引き入れてくれた。

 白い満月の夜だった。差し開いたままの襖戸ふすまどからこぼれいる月明かりが、細く白い二の君の輪郭をぼんやりと照らし出していた。その有様を、見るともなしに見つめているしかできずにいると、寝ろと苦笑された。


 赤子のように背を叩かれ、子守り唄を紡がれた。優しく、甘い旋律。穏やかな声。胸の奥から、つっと痛みとともに込み上げるものがあって、堪えたくて彼に抱きついた。すると、歌を止めた声が、くすぐったげに笑ったのだ。


『カガミ、お前、あったかいね』

 嬉しそうに、言われた。どうしてそれが彼の頬をほころばせたのかは、分からなった。


 二の君は、幼いぬくもりを刻むようにカガミをもう少し引き寄せると、ぽんぽんと背をたたいて、小さくこぼした。

『可惜夜ってやつかもね……』

『アタラヨ?』

『明けるのが、惜しい夜ってことさ。お前がこんなにもあったかいなら、もうちょっと、夜着あっためるのに使っておけばよかったかな』


 なにかをはぐらかした笑顔だった。それが分かって、不満で――カガミは思い切って言ってみたのだ。

『俺を……二の君の代わりには出来ないのか?』


 声は掠れた。覚悟のわりに、それは外で囁く虫のに霞みそうなほど、小さく弱々しかった。

 けれど、言わなかったことにできないことは、柔らかく背をたたく手が止まったことで、思い知らされた。


 かすか固まった時間を、軽やかな笑い声が破った。

『うぬぼれるなよ。君みたいな雑魚神凪がなるヨリシロガミなんて、たかがしれてる』


 役に立たぬと一蹴される。同じ神凪でも、カガミは黒い瞳に青がかすか入り混じった程度の脆弱な霊力。それに対し、二の君の瞳は黒交じりの海に近しい色。代わりになど、なれるはずもない。歴然とした違いがそこにあった。


『俺が、なるんだよ。譲らない』

 揺るぎない響きに、突きつけられる。こんなそば近く抱きこまれているのに、彼は遠く彼方、及ばないのだ。月には手が、届かぬように。


『せめてもう少し、使える神凪になってから言うんだね。いまの君じゃ、とんだ寝言だよ。とっとと寝な』

 とんとんとまた、彼の手のひらはカガミの背を黙らせるように叩いた。

 カガミは、彼の胸の内、夜着の中に頭をうずめる。


 相手にもしてもらえなかった。

 それに、譲らないと言った言葉の中に、決意に――どこか悟った。生み出したヨリシロガミと契約するのは、もっとも強い神凪だろう。それは間違いなく現王――彼の兄だ。

 彼は、兄のために、依り代となる。


 かの王には、王のためにと命を捧ぎ、慕う者たちは数多あまたいるのに。

 カガミには、彼一人しかいないというのに――。

 彼が選ぶのは、兄なのだ。


 ぎゅっと唇を噛みしめ、その腕の中で、目をつぶった。

(うぬぼれるな、か……)

 弱い己では、彼の代わりに立つことすらできない。彼を引きとどめる、理由にすらなれない。


 あの明るく蒼い、満月の夜。カガミを見つけ、名を与えた、その瞳。見つめ射抜いたその存在。

 あの時、きっと彼に呪われた。どうか見捨てないでほしいと、そばに置いてほしいと――思ったのに……。


(アタラヨだ……)

 明けなければいいと思う。けれどいずれ、夜は明ける。


 眠るつもりも、眠れる気もまるでなかったのに、気づけばあたりは明るくなっていた。夜着にくるまっていたのは、カガミひとり。隣にあった姿はない。


 月のようなかの人は、朝陽に溶けるように、消えていなくなっていた。






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