蒼月の出逢い



 あらかたの調べを終えて、鏡一郎はそっと水際から立ち上がった。


 後検分あとけんぶんでは、潮の出たところから完全に水が引いたのか、次に海水が流れ出る箇所への手がかりがないかを調べる。中央であれば、得手えてとする専門の神凪かんなぎが行うが、郡所ぐんしょは人手不足だ。潮見しおみには自信がないという者も多く、対応が後手に回っていたので、鏡一郎がその役をかって出てやったのである。


 今回は、引き潮の日でありながら、ずいぶんと海水が流出した。それと因果があるかは分からないが、専門ではない鏡一郎でも、潮を読みやすかったのは不幸中の幸いだったろう。引いた海水の名残りの気配。それを辿り、読むことで、次に海水が噴き出す位置がだいぶ絞れた。


 おそらくは港。鳥船とりふねが造営中の場所だ。ヨモツオニに鳥船を襲おうという意図があるとは思えないが、結果は同じだ。鳥船を守るためにも、被害を拡大させないためにも、満潮の襲撃に備えを進めなければならない。


 けれど鏡一郎は踵を返さず、そのまま湖を見つめた。


 昨夜の渦巻き逆巻く有様からはほど遠い、鏡のような静謐な湖面。それが、秋に色づきかけた木々の梢を映している。

(こんな場所だったのか……)

 実際に、己が目で見るのは初めてだった。けれど鏡一郎はずっと、この場所のことを知っていた。


 ここで出会ったのだ。

 ヨモツオニを切り裂く、真珠色の大太刀。それを手にした、思いのほかほっそりとした神凪の青年。

 蒼い月明かりに儚く美しく浮かび上がった、その顔かたち。長い黒髪に、黒みがかった青い瞳。それが、水面のようにさざめいていた。 

 目を奪われた。たぶんあの時――


(呪われた)


 青年は、彼を見下ろし言ったのだ。

『なんだ、子どもか。名前は?』

 黙る彼に、笑う玲瓏な声音。秋風のように涼やかで心地よかった。

『口が利けるなら、名を告げてよ。君は、誰?』

 口を開く。彼に応えたくてなにか紡ごうとして、けれど――


「鏡一郎」

 名を呼ばれ、振り返る。大太刀はなく、髪や目の色は違うが、そこにはずっとずっと前から、よく見知った青年がいた。


「傷はどうした? 回復には、もうすこしかかるだろう?」

「そんなことより、聞きたいことがある」

 歩み寄る青年の鋭い菫色の双眸は、八百年前と違って、彼を見上げた。


「鏡一郎。君はどうして、八百年前を知ってるの? 俺を――知ってるの? 君は、誰?」

「ちょうどその答えを、思い出していたところだ」

 鋭い誰何すいかに、思わず薄く笑みを引く。彼はそう尋ねたことなど、覚えてもいないだろうが。

 その証拠に、白い柳眉は不審げにひそめられた。


「俗信によると、ヨリシロガミは七度生まれ変わっても呪うそうだな」

「は? 急になに言って、」

「魂の行きどころも、死の果ても、いまだ俺にも分からないが……ひとつ確かに、生まれ変わりというのは、あるのだということは知っている。だから、七度生まれ変わることも、呪われ続けることもあるのだろう」


 話を誤魔化すなと、噛みつきかけた語勢を制して続ける。その言の葉が、ひとつひとつ紡がれ繋がるごとに、アタラの顔色がゆるやかに驚愕へと変わっていった。

 まさか、と。よもや、と。過っただろう予感に、鏡一郎は答えを与えてやる。


「お前が二の君だった時にここで拾った子ども。あいつが、俺の七度前の前世だ」





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