郡所と夕餉
◇
大きな庭と
「いや~なんかすみません。まさかあんなことになるなんて。ツクモガミにはぜんぜん、みなさん好意的だったんですけどね~」
長い廊下を用意した居室まで案内しながら、
「ツクモガミとヨリシロガミじゃ、まったく違うでしょうが。え? こいつ大丈夫なの? 神凪としての基礎知識あるの?」
「上官としても、保証はしかねる」
「言葉に棘~! 容赦がほしい~!」
呆れたアタラと冷たい鏡一郎に、元気よく巳代次は大きな独り言を叫んだ。
「でもあまりにもヨリシロガミへの態度、違いすぎません? 確かに、むかしむかし、この地域でヨリシロガミ出して、で、しまいにゃ結局怖くなって、
「先にそういう情報は伝えておけよ、
「痛て、痛って! だって、今もまだそんなに気にするとは思わないじゃないですか~!」
背後からつま先で小突かれて、大袈裟に身もだえしながら巳代次はわめいた。そんな彼の態度はいつものことなのだろう。仮にも主が攻撃を受けているというのに、付き従うツバキは見向きすらしない。
そのため、アタラはいいように巳代次を小突き続けた。
「ヨリシロガミは自分と契約を結んだ神凪を呪う。その事実と、人身御供を出したっていう罪悪感があわさって、『ヨリシロガミは、己を生んだ地の者が、七度生まれ変わってもそれを祟る』って俗信があるんだよ。神凪なら知ってろ」
「え~、神凪が呪われて周りも喰われるってのは、もちろん知ってますけど、そんな迷信の方は聞いたことないっすよ~。ヨリシロガミなんて、ここしばらく見たこともなければ、いるってのを聞いたこともないですし。俺、アタラさんが初めてっすよ、本物!」
「まあ、それはそうだろうな。俺は本当にたまたま見つけたが……ヨリシロガミは昔に禁じられ、封じられた。いまじゃ昔語りのうちの存在だ。だから、その瞳がツクモガミと違い、紫だと知る者も、神凪くらいだろうと思っていたが……。後ろめたさが残る地域では、そうでもなかったらしい」
「土地に息づくってのは、そういうもんだぜ」
突如、新しい別の声が会話に割り入ってきた。と、ともに、ちょうどさしかかった部屋の障子を開け、快活な笑顔が彼らを出迎える。
「よっ! 久しぶり、
「
「
巳代次が元気に飛びついたのは、鏡一郎よりも背があり、がっしりとした体格の大柄な青年だった。両頬に古傷の痕が残っている。高くひとまとめに結い上げている髪は、癖が強いのかぴょんぴょんと鋭く跳ねていた。黒みがかった青の瞳は、巳代次より少し明るい。彼もまた、神凪だった。鏡一郎の同輩。
「いいことも、悪いことも、その土地で生きるならば、血肉に染みとおるように、語り継がれ、伝えられる。時に頑迷で依怙地なほどな。ヨリシロガミを恐れる地なら、すっかり世間がその特徴なんて忘れていようと、紫の目について、恐怖とともに語り継がれてもいるだろうさ。生まれも育ちも中央のお前らには、実感しづれぇことかもしれないけどよ。でも、巳代次」
びょんと、巳代次の片頬をひっぱって、文太は歯を見せ、にかりと笑った。
「だぁから、俺、お前が出迎えに行く時に、鏡一郎にこの地でのヨリシロガミの件、伝えるように言ったよなぁ。なのに聞けば、すっかり頭からすっぽぬかしやがったみたいじゃねぇか、この忘れん坊小僧が」
「あ、ひょうか! ひょの話聞いたの、文太ひゃらだった!」
頬を伸ばされた間抜け面でも、反省の色なく、巳代次はぽんと手を打った。その有様に、呆れて笑って、文太は手を放す。
「ったく、これだよ。そんなわけで、伝令役を間違えた。悪かったな、丹内。けど、お前が伴神を実体にしたまま連れ歩く
「ツバキちゃんは可愛いから仕方ないの! 俺は世のため人の眼福のため、いつでも実体にしてるだけなの!」
ぎゅっと巳代次がツバキに抱きつくと、初めて彼女の顔に、不快、という表情が浮かんだ。「にゃ」と低く拒絶の声をあげて、すり寄る巳代次の顔を押しのける。巳代次は気にもしていないが、間違いなく、嫌がる猫の挙動である。
ヨリシロガミは生前の姿を取るが、ツクモガミは違う。そこに溜まった神の残滓――ナレノハテの質によって、姿も、精神性も左右された。人のような姿をとっても、人語を話さず、動物のような中身のカミもいれば、逆に、動物に近い姿でありながら、中身は人間と遜色ない知能や精神を持つカミもいた。
だから、意思疎通の行いやすさや扱いやすさも、ツクモガミそれぞれなのだが、どんなに相性がよく、御しやすくとも、
たいていは、ナレノハテが溜まった物体。ツクモガミの本体たるその物体を持ち歩くのだ。
それはヨリシロガミも同じで、ナレノハテの器となった元々の人間の身体はとうに失くしてしまっているが、代わりに生前使用していた物が、
が、鏡一郎は、かすか眉をしかめると、アタラを指し示した。
「こいつの場合、宿り先を身の丈を超える大太刀にしやがっていてな……。実体にして連れ歩く方が、かさばらない」
「わぁ……そいつは仕方ねぇなぁ……」
「え? 俺、そんな持ち運びの便だけで、
納得の文太に対し、アタラは不本意そうに声をあげる。
「ま、ともかく、お前らの部屋はここだ。初日から散々だったろうが、まだ引き潮だし、なんか起こるまではゆっくりしててくれ。ある程度必要なもんは運びこんでおいたからよ」
そう文太は、己が身体で塞いでしまっていた障子のうちを示し、鏡一郎たちを通した。
十分な広さの畳敷き。いぐさの匂いもまだ新しい。違い棚は飾りもなく味気ないが、床の間には一応、花を飾ってくれていた。
「晩飯はいつも広間でとるんだが、丹内はともかくお前の
ツクモガミもヨリシロガミも食事は必要としない。けれど実体となれば、もちろん食べることはできる。その無意味な行為を嫌うカミもいれば、好むカミもいた。
「あ、俺、ほしい」
鏡一郎が答えるより先に、アタラは手を挙げた。
「できればここで一等美味いやつ。そいつが食べたい」
「いいぜ~。ここいらで名産の魚があって……」
そこで文太はふいに言葉を切ると、なんとも微妙に笑顔を曇らせ、視線を泳がせた。
「あ~……でも、万一、こう、腐ったもんが一番美味い的な趣味嗜好で言われてると、ちょっと対応しきれないっつうか……」
「鏡一郎のクソまず霊力の評判は忘れて。というか、俺、別に腐ったもの好きじゃないから。生前から味覚は人並みのはずだから」
力強く、アタラは文太が向けた味音痴疑惑を切って捨てた。なまじ神凪寮中に鏡一郎の霊力の並外れた不味さが轟いているせいで、とんだ風評被害である。
なら期待に応えられると請け負った文太とともに、「それではまた~」と軽薄に手を振って、巳代次もツバキと立ち去っていく。
「アタラ、お前……そんなに食に執着があったのか?」
「――なかったけど、出来たんだよ」
いささか不思議そうに問いかける鏡一郎に、実に不服げにアタラは彼を睨みつけた。
「君の霊力より、美味いものを探してるんだ」
一番おいしいものの輝かしい地位が、クソまず霊力であってなるものか。
汚名返上のため、至高の出逢いをアタラは求めずにはいられなかった。
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