鳥船と招かれざる客(2)


 鳥船とりふねのため新たな整備が行われているが、元から運河の船着き場であった場所だ。商家の蔵が立ち並び、石垣で固められた河岸かがんには、柳がかすか秋に色づきながら揺れている。石畳は荷車や人夫にんぷが忙しくなく行き交い、船員たちの呼びかけ合う声もかしましい。少し行った先には、船宿も立ち並び、はなやいだ様子であった。


「鳥船ができるっていうんで、活気づいてるんですよ。鉄道に仕事奪われかけてたんで、余計に。だから俺なんて、鳥船の神凪かんなぎってだけで大人気で。おかげで可愛い女の子とたくさん仲良くなれちゃいました。まだなぁんもやってないのにっすよ」

 そう、紺色のたれ目はへらへら笑う。その締まりのない顔は、よほどいい汁を吸ってきたらしい。


 巳代次みよじは鳥船の操舵に高い適性を示したので、船の操縦者として、船の完成より一足早く絹留きぬどめに派遣されたのだ。他にも数十名、神凪や事務処理を請け負う文官が、絹留の郡所ぐんしょに詰めている。


「でも、対ヨモツオニに秀でた神凪は、こっちにはいなかったっすからね。だから中央から、ここに不味い潮目の予兆があるって報せが来たときは、俺、とっとと逃げ出そうと思いましたもん。ほんと、丹内にない少尉が来てくれて、心の底から嬉しいっす!」

「安心しろ、お前は守らん」

「少尉~」

「鏡一郎、そんな頼りにされてたの? いままで伴神ばんしんもいない半端もんだったのに?」


 冷たく巳代次を切り捨てる鏡一郎へ、訝しげにアタラは首を傾ぐ。

 それに、彼に変わって巳代次がなぜが得意げに口をひらいた。


「そこですよ、そこ。丹内少尉が、伴神もいなかったのにすでに少尉でいらっしゃるのは、ひとえに、霊力の高さもありますが、それ以上に、単身でも阿保のように強かったからです。攻めるに弱い神凪の霊力で、低級ツクモガミを超える攻撃力を発揮しちゃいますし、なにより結界展開が職人業なんすよね~。普通、強度に比例して柔軟性や緻密性は落ちてくもんなのに、少尉は強度そのまま、複数人を個別に覆う、皮膜のような結界とか作れるんすよ。意味わからないですよね。他に見たことないですよ? そんな米粒に皇都の緻密画を描くような結界、普通張れるようになりませんって。いっそ気持ち悪い!」


「結界は神凪の基礎中の基礎で、最大の武器だ。磨いて当然だろう。消耗が激しいから、よほどのことがなければ緻密な結界は作らないが……。とはいえ、お前の本心はよく分かった、花里はなさと

「いやだな、少尉。親しみゆえの褒め言葉ですよ~。比類なき才覚をお持ちの少尉が、伴神まで得られたんですから、もうこれはすぐにも大尉か少将か。瞬く間に御大将ってなところですかね!」


 すりすりと、露骨に胡麻の香りただよわせながら纏わりつく巳代次に、鏡一郎は呆れた様で肩をすくめた。

 この後輩は、出会った当初は没個性的で、上官を前に震え、畏まっていたような覚えがあるが、いつの間にか懐き、調子に乗ってきたらしい。


「大尉、少将まではともかく、大将はどうかな。伴神がツクモガミならいざ知らず、俺はヨリシロガミだから。そんな厄介モノが憑いていては、神凪寮かんなぎりょうの頭には据えられないだろうさ」

 後ろから、菫色の瞳が水を差した。冷めた微笑とともに流された視線は、振り向く巳代次に注がれることなく、鉄門の方へと泳ぐ。


 確かに、その瞳の色は、ツクモガミにはないものだ。けれど、たおやかな姿をひと際引き立てる銀の髪は、ツクモガミと変わらない。彼の姿を目にしてなお、いや、目にしたからこそ、巳代次は、彼が忌まれる存在と実感できずにいた。いずれ主を喰らう呪いを持つとは思えない。女好きの巳代次をしてグッとくる、禍々しさと縁遠い麗しさだ。

 そこへ――


「花里様!」

 呼びかけられて巳代次が立ち止まると、仕立てのいい羽織姿の男性が、ぺこぺこと頭を下げながら近づいてきた。五、六十代だろうか。頭髪には白いものが混じり出しているが、恰幅よく、背筋もしゃんとしている。


 この絹留の名主なぬしのひとりで、船問屋をしている男だと巳代次が教えた。歩み寄る後ろに、ぞろぞろと付き従ってくる番頭や、小間使いの数からして、大店おおだなだろう。鉄道の登場により、落ち目になりかけてきた家業が、この鳥船の存在で持ち直し、大変感謝して、巳代次たち神凪に、さまざまに便宜を図ってくれているとのことだった。


「こちらまでご足労とは、鳥船の視察ですか? ツバキ様も、今日も変わらずお美しい」

 巳代次の傍らのツクモガミへも、名主は忘れず賛辞を振りまく。にこりともしないまま、けれど律儀に、巳代次の伴神は頭を下げた。


「今日は視察じゃなくて、案内なんですよ。中央から私の上官が参りましたもので。こちら、丹内鏡一郎少尉。お隣が、伴神のアタラ殿です」

「おお、少尉殿! このような北辺までよくお越しで。私めは、こちらでしがない船問屋をしている松中まつなかと申します。以後、お見知りおきを。さすが少尉殿、お若いながら貫禄がおありになる。伴神様も、お麗し、く……」


 にこにこと愛想よく、水を流すようにしゃべりかけていた男の言葉が、アタラを目にした瞬間、止まった。正確には、アタラの瞳。それをはっきりと映した瞬間だ。


「ヨ……」

「ヨリシロガミだ!」

 松中が飲み込んだ先を、後ろの老齢の男が慄き叫んだ。

 とたん、ざわざわと不協和音のように、不安のさざ波が大きく揺れ広がっていく。

 その空気に戸惑う巳代次が松中を顧みた、その時。


 風を切って投げられた石が、強かにアタラのこめかみを打ちつけた。

 近場の運河で、積み荷の上げ下ろしをしていた船員や人夫たちだった。青ざめた顔、怯えた表情が、石を拾い上げ、アタラ目がけてなげつけてくる。


「出ていけ……!」「厄災が! こっちに来るな!」「中央はロクなことしやがらねぇ! とんだモンを送り込んできやがった!」


 口々に叫ばれ、折り重なるのは拒絶の言葉。震える者はいても、止める者はいない。先に叫んだ老齢の男も、生きているうちにヨリシロガミに出会ってしまうとは、と、血の気の引いた顔でうわ言を繰り返している。


 もう一度、アタラの額に直撃しかけた石を、小さな水晶の結界が弾いて地へ落とした。無抵抗に立ち尽くしていた柳眉が、意外そうに持ち上げられる。


「出ていってもいいが……」

 肩をすくめた黒い軍服からこぼれたのは、低く静かな声。けれどそれは、場を制圧する重みがあった。青い瞳が、そっと、固まった男たちに注がれる。

「ここの商いが続くには、鳥船と神凪が必要だ。いいのか?」


 形のいい唇に浮かんだ、見た目ばかりは穏やかな微笑みに、やり場を失くした男たちの視線が彷徨い、慌てて松中が飛びついてくる。

 とんだご無礼を、とんだご無礼を、と平伏しきる松中に、「冗談だ」と言い捨て、鏡一郎は巳代次に声をかけた。


「郡所へ行くぞ。外を出歩いては、迷惑になるようだ」

 返事を待たずに歩きだす鏡一郎へ、肩をすくめ、気だるげに伸びをしながらアタラがついていく。


「え~……だって、この、あれ……。もう! ちょっと、待ってくださいよ、少尉!」

 状況に追いつけないままに、巳代次は急いで、鏡一郎の背を追いかけた。





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