鳥船と招かれざる客(1)
運河は海には出ることはないので、川の果て、水が枯れ、不自然に途切れる辺りには、例にもれず開かずの
水のない灰色の岩場の上を、漂うように飛び、海を渡る。最初の鳥船は、国の南西部から、隣国へ渡った。絹留の鳥船は、二番目となる予定だ。
栄えある二番手に絹留が選ばれたのは、絹留もまた、海を隔てた隣の島が、目視できる地であったからである。普段は雲や霧に覆われ、遠方までとても見通せないが、たまに暗く黒い海の果てまで晴れ渡った日。かすか島の影が見えるのだ。
「本当に……時代ってのは変わるもんだね」
呆然と、開かれた鉄門を見やりながら、アタラがぼやいた。
「あの川と海を隔てる開かずの門が、開かれる日が来るとは思わなかった」
仕立てたばかりの
「ここに来るまでに乗った、あれも、ほら、汽車? あれも、なんか、うん、なんか、こう、ほら、すごかったけど」
「語彙が消失してるぞ」
「ちょっと震えた……」
「あんなに乗るのを嫌がるとは思わなかったがな」
駅舎の柱に縋りついて、絶対乗らないと言い張る大のカミサマの髪を引っ張り、帯をふん捕まえ、なんとか列車に放り込んで、北端部の窓口となる駅まで辿りついたのである。『あらあら初めてなのかしら。
「あれはほら、なんかちょっと、長虫の腹の中に入ったような心地がして、どうも……ね。速いのはすごかったけどさ」
ぶつぶつと、アタラは口の中で言い訳を転がす。
乗って動き出してしまえば平気かと思えば、意外とそうではなく、ずっと押し黙って、そわそわと窓の外をうかがっていた。
そうやって汽車に揺られ、丸一日、落ち着かずに過ごしたからだろう。その後、駅から絹留にくるまで駆った馬上では、別人のように生き生きとしていた。
「言っておくが、帰りもあれに乗るからな」
「え~……」
アタラは露骨に不満の声をあげたが、鏡一郎に取り合ってくれそうな様子は微塵もない。唇を尖らせたまま、アタラはつれない主から鉄門と海の方へ、また視線を戻した。
開いた鉄門の手前、運河の終わりには、造船途中の船底が見える。いまは川を行く船と変わらぬ木造船に見えるが、あれが海渡る鳥船となるのだ。
そして鉄門の向こうに覗くのは、灰色の岩の海原だ。ヨリシロガミであるアタラの目にも、海の水は見えるが、いまは引き潮。川の側近くまで海は来ていない。目を凝らせば、ごつごつとした岩の山脈の遠く、かすか寄せて返す波打ち際が臨めた。
だが、鳥船が目指す海の向こうの島は、心地良い秋晴れながら、霞む靄に覆われていた。
「――まあ、そう簡単に
「それは昔の名だ。いまは
掌を眉の上に、伸びあがって島影を探していたアタラへ、抑揚ない声が言った。青い瞳は、やはりアタラと同じように、遠く、姿ない島の方を見つめている。
「八百年も経ってるんだ。島の名もうつろう」
へぇ、と、それに頷きかけて、違和感にアタラは口をつぐんだ。
自然とこぼれでた、島の名。それが昔の名ならば、聞き知ってるはずもないのに、当たり前に呼んでいた。
(――初めて……じゃ、ない――な……?)
強く唸り過ぎた海風が、銀色の髪を吹き上げる。
この風を、この海の風景を、アタラは知っている。ずっと、昔。消えた果てた記憶のどこかで。それこそ――
(八百年……か)
アタラは風が戯れに乱す銀糸を押さえ、鏡一郎の涼やかな横顔を見つめ上げた。
その時。
「
背後から明るく駆け寄ってくるかけ声があった。
緩慢に振り向く鏡一郎にならって、アタラも振り向く。
ぶんぶんと手を振りながらやってくるのは、見慣れた黒い
その後ろにしずしずと付き従っているのは、赤い瞳に、さっぱりと短い銀髪の女性。ツクモガミだ。青年よりも高いすらりとした背丈に、華やかな紅葉の着物を纏っている。その首元には大きな金色の鈴が下げられ、頭部にはつんと猫の耳が伸びていた。
驚くほど人目を引く姿だが、これでもツクモガミとしてはあまり珍しい部類ではない。だからか港の人々も、ちらりと目をやりながらも、さして驚きもせず、すぐに自分の作業に戻っていっていた。
「お久しぶりですっ!
「花里……お前、相変わらずだな」
軽やかな足取りで、元気溌剌と鏡一郎の前に立った巳代次。だが、どうにも軽薄なその敬礼に、すげなく鏡一郎は肩をすくめた。
「可愛い後輩の歓迎、もっと喜んでくださいよ~」
「お前の辞書では、鬱陶しいを可愛いと言うのか?」
薄い唇にそっと浮かんだ笑みに、へへっと愛想笑いで誤魔化して、巳代次は回れ右をした。
「さ、
そう話を変えて、先を行く。
そんな巳代次に代わるように、ぺこりと猫耳が頭をたれた。それに免じて、鏡一郎は調子のいい後輩の背についていってやる。なんの茶番かと呆れた顔をひっさげたまま、アタラもそれに続いた。
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