ぬくもりの記憶

 

 ◇



 子どもは、昔から苦手だった。

 機嫌を取るようなのも苦手だったし、話を聞いたような顔をして、まったく聞き分けてないことなどザラにある。癇癪を起されたり、泣かれたりするのも億劫だったが、大人しくこちらに都合のいい子どもも、なにを考えているのか分からず、不気味に思えた。


(ただ、そう、ただ――)

 知っているのだ。自分は。

 その小さな手が、無防備に慕ってくれることを。それがとても柔らかいことを。抱くその小さな身体が、とてもあたたかいことを。


 知っている。知っているのだ。

 苦手でも、愛おしむべきものだと。相手をすることは厭うても、命を懸けて守るには、十分すぎる存在だと――。


(俺は……知っているんだ……。昔から――)

 だって、そのぬくもりを、ずっと抱いて眠っていた。


 ヨリシロガミは、ナレノハテの器。神の力の残滓と、無念を溜め込む。それは苦痛の記憶。恨み呪う感情の亡霊。

 元は物のツクモガミたちは違うようだが、元は人間のヨリシロガミにとって、それは強烈な毒だった。相性がいい神凪の霊力があれば多少やわらぎはするが、神々の憎しみの情念は、たったひとりの人間の心など、簡単に摩耗させ、蝕んだ。


 ヨリシロガミが壊れやすく、果てに神凪や人をのろうて喰らうのは、きっとそこにも因果があるのだろう。強さを求めて注がるナレノハテ。それは、過ぎる怨嗟えんさを人の身に与える。


 それは封印の中で眠っていても、変わらず悪夢として彼をさいなめた。ある種、夢である分、よけい性質たちが悪かったかもしれない。寝ている身には、夢はうつつと変わらない。


 ヨモツオニに八つ裂きにされる感覚は生々しく、胸を激しく突く慟哭と恨みの情は、彼を焼き焦がし苦しめた。

 いつ覚めるともしれない、どこかの神の凄惨な終わりの記憶。嘆き。苦しみ。


 それでも、彼が長き眠りから目覚めた時に、まだ〈人)らしくあれたのは――

(……あれは、あったかかったなぁ……)

 小さな小さなぬくもりに、縋っていたからだ。

 それが彼の冷えた身体をあたため、痛む心を撫でてくれていた。


(でも、あれが誰のだったかは――思い出せない……)

 苦しみに手放さないように。憎しみにそぎ落とされないように。

 大切に大切に、そのかすかなぬくもりを大事に抱え過ぎていたからか。それ以外を、思い出せない。


(あれは……誰、だったのかな……)

 遠く、人であった時の朧な記憶をたぐろうとして、行き詰まる。

 そんな揺蕩うアタラの意識にそっと、かすかな歌声が響いてきた。


 穏やかな音色。優しい歌詞。低い声音には、少し似合わない。

 子守り唄だ。


(あ、これ……)

 知っている。

 そう微笑んで、アタラは重い瞼を持ち上げた。



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