メアリー
祖母の手伝いが終わった頃にはすっかり日が落ちていた。
廊下の間接照明がつき、客人達は各々の部屋へ戻って行く。風呂を使う者もいるので一日の業務が終わったわけではないけれど、今日はもう人手不足ではないそうだ。夕方からシフトに入ったバイトさんと挨拶を交わし高野はようやくエプロンを外す。
帰ったら授業の予習でもしよう――。
まだ授業は始まっていないが、暇な時間があるぐらいなら勉強をして時間を潰す。高野はそういう奴だった。
軽い足取りで廊下を歩いていると、客間の襖から飛び出して木の床の上に寝そべるブロンド髪を見つけた。
「あ……」と高野は思い出したかの様に小さく声を漏らす。
数時間前に別れた時はまだ元気そうでハリのあった洋服も彼女が纏う雰囲気も、今となってはスッカリ萎れてしまっている。心なしか空気が重い。
高野に気がついたメアリーはゆっくりと此方を向き、一度目を細めてから口をへの字に曲げて云った。
「……忘れていましたよね、私の事」
気まずそうな顔をして立ち止まった高野を見て、メアリーは芋虫の様に床を這いつくばって高野の足元で止まる。
「――その姿だけ見ると、本当に幽霊みたいですね」
「呪ってやりますから……」
長時間放っておかれた事を根に持っているのかもしれない。素直に謝るのが身のためだと判断した高野は頭を下げた。
「すいません。もうしませんから今日の所は帰って下さい。お願いです、呪わないでください。また明日話を聞きましょう」
「……帰るも何も、私には場所がありません。帰る場所なんて無いんです」
「一日ぐらい野宿でもできるでしょう? 言っておきますけど、僕の家に泊まるなんて甘い考えはやめて下さいね」
「女の子に野宿しろっていうんですか!」
「女の子って……――貴方幾つですか」
パッと身、二十代半ばか後半に見える。大人びていて、とうてい未成年にはみえない。
「女子に年齢を聞くなんて無礼者ですね」とメアリーはイジけた口調で頬を膨らませた。それからゆっくりと立ち上がり服についた汚れを軽く払う。埃は空中を舞い、静かに消えた。
「……ん? まだ何か?」
メアリーは立ち上がったが、格別動く気配がない。高野の目の前で突っ立っているだけである。
「私のことは気にしないで下さい」
「気にしないで……って?」
高野は首を傾げて聞き返したが、メアリーはニコリと笑うだけで動かない。心なしか瞳の奥が笑っていない。つまり怖い。
やるせない思いを抱え、高野は額に手をついた。
「あ、あのさぁ……」
「はい」
「非常に言いづらいんだけどさ……」
「遠慮せず」
「………」
高野は暗闇の中、携帯電話の画面をつけた。ブルーライトが目に入って一瞬眩しくなったが、すぐに目は慣れる。時刻は二時過ぎだった。高野は声を張り上げた。
「寒いから出ていって欲しいんだけどっ⁉︎」
そう言って高野は、部屋の隅に座り込んだメアリーに言い放ち布団を頭から被った。我慢の限界だった。長袖長ズボンで、羽毛の布団で寝ているにも関わらず、寒気が抜けない。畳の上に布団を敷いているだけというのもあるかもしれないが、もうそれ以前の話だ。
確実にメアリーが冷気を放っている。
「申し訳ないです。でも気にしないで下さい」
「気になるよっ!」
高野はガタガタと歯を慣らし、白い息を吐いた。何故このような寒気を自室で感じなければいけないのか。疑問でしかなかった。
「君がここにいるだけで寒いんだってっ! 人の部屋に居座るつもりなら感情のコントロールぐらいどうにかしろ!」
高野は眠たい目を擦って布団から顔だけ出した。
前に、彼奴から聞いたことがある。魂だけの存在である霊は、生身の体がないぶん、感情が温度に出やすいと。暖かい時は気分が良くて、寒い時は不機嫌な時だ。
「そんなの知りません」とメアリーは頬を膨らませて外方を向く。
「……僕さ、自分で言うのも気が引けるけど、比較的冷静な性格なんだ。誰かに腹を立てるって面倒くさいからさ。……でもさ、流石にこれは我慢できないよ」
「え、あ、ちょっと! 何するんですか!」
高野は意を決して布団から出てメアリーに近づく。
「呪うなら数秒前の自分を呪って下さい‼︎」
高野は、ジタバタと暴れるメアリーの襟を鷲掴みして窓辺に手をかけた。
メアリーは後ろの襟へ手を伸ばして高野の手首を掴むが、高野の手首は見かけとは違い骨がしっかりとしていた。女性の力では到底振り払えそうにない。
「ギャアーーー! やめて! 落ちる! 落ちるから!」
高野は片手でメアリーを窓から外へ放り出し、メアリーは地につかない足を暴れさせた。
「わ、わかったから! 私が悪かったから! だからやめて! ぎゃあー!」
「……後悔先に立たず」
高野はそれだけ言って手を離した。高野の手から離れたメアリーは重力にそって……――。
「……あ、あれ?」
空中で止まった自分の体を見て、メアリーは呆けた声を漏らした。窓から放り出されたメアリーは約五十センチほど落ちたところで止まっていた。
高野は面倒臭そうな目でメアリーを一瞥する。
「…自分が霊になったことぐらい、そろそろ自覚して下さい」
「……はい」
ビュウーと、漫画のオノマトペがつくような冷たい風が吹いた。
これは”約束”を巡る御伽話(休載中…) @nokal
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