土地神?


「と、土地神……?」

「名ぐらい聞いた事あるだろう?」と狐お面は声を低くして云う。顔を直接見れなくてもわかるその威圧感に、メアリーはかろうじて頷いた。


「人の子の辞書には『土地ごとにそこを守護する神』と書かれているが、おおかた間違いでは無い。オレはこの土地限定に存在する土地神だ。故に、何処ぞの土地の者か知らん奴が来た所で、そう易々と願いを叶えられるわけじゃない」


 というか、そもそも何故その様な下らない噂話が広がったんだ、と狐お面はぶつぶつと文句を垂らすが、メアリーの耳には入ってこなかった。


 じゃあ、ここまで来たのは何だったの?

 その噂を聞いて希望だけを抱いて今日まで歩いて来たというのに、その時間は何だったの?

 願いを叶えられないのなら私は、何でまだ現世にいるの?

 メアリーの胸の内には混沌とした想いが渦を巻いていた。狐お面は面倒臭そうに手の平をお面の前に当て、大きく欠伸をした。


「で、でも……願いを叶えてくれるって!」


 メアリーが机の上に勢いよく手を置き、机の上のガラクタが軽く飛び跳ねる。


「子供か。ガキか。赤ん坊か。オレが一から話さねばわからぬのか」

「だ、だってぇ……」


 諦めきれない心を持ちつつ、メアリーは足の力が抜け椅子の上に腰を落とす。ヒックと方を震わせ、今にも泣き出しそうだった。狐お面は思わず身を引いた。


「ええい! うざい! 泣くな! 鳴くな!」

「わ、私だって、泣きたくて泣いてるわけじゃ、ないんですぅ…!」


 狐お面は面倒臭そうに頭の後ろをかく。


「オレはあくまでこの地の土地神なんだよ! よそ者を助けてやる道理など無いわ!」

「だ、だからぁ……ヒック……そこをなんとかぁ!」

「オレは便利屋では無い! 願いやら願望やらは何処ぞにいる神に願え!」


 泣き喚くメアリーを目の前にして、怒りを抑えきれなくなった狐お面が勢いよく椅子から立ち上がった矢先。


「あ……」


 狐お面がポロリと落ちた。

 メアリーは突然現れた人の顔を見てピタリと息を止めた。涙で霞む視界も、自然と明確になり瞳に少年の顔がうつる。

 先程通ってきたばかりの鳥居と同じ様な朱色の髪色と切れ長な目。目と並行で吊り上がった細い眉は前髪で見え隠れしていた。スッと通った鼻筋とへの字に曲がった口元。肌の色は健康的……というよりも青白い白さだった。

 加えて狐お面の来ている服が学ランなので、メアリーはツッコミざるを得なかった。


「………………中学生?」


 刹那、頭上に鈍い痛みと音が響いた。


「いったぁ…………」

「無礼者! オレは土地神だ! 人の子よりもずっとずっと尊い存在なのだぞ! それを、頭の中に花畑しかない能天気な野郎共と一緒にしやがって……――」


 だって、狐のお面に学生服なんて、どう考えてもコスプレにしか見えないじゃない、とメアリーは砕けた口調で反論する。自分に歳の離れた弟がいたからか、急に目の前にいる神様に親近感が湧いてしまった様だ。


「もう御前の顔など見たくない! 出て行け! 何処ぞでのたれ死んでしまえ!」

「ええ……。それも正に中学生言いそうなセリフなんだけど…………」

「出てけ!」


 鋭い一言が飛んできたと思うと、メアリーの目の前に突然大きな物が飛んできた。避ける事もできずに顔面にくらったメアリーは一度天井を仰ぎ、ゆっくりと床へ背中から倒れていった。最後に目にした星々はうざったいくらいに眩しく輝いていた。





「――で、僕の所へ戻って来たと……」


 日が暮れた黄昏時。海の向こう側へと太陽が沈んだ頃、街にはポツポツと街灯がつき始めていた。春とはいえど、日の登りはまだ短い。五時を過ぎたあたりからあたりは暗くなり始め、住宅の電気が外へと漏れ出す。


「だって……行く所、無くて」

「いい歳した大人がそんなメソメソ泣かないで下さい」


 お昼過ぎに家へ帰って来た高野は、今日の夕飯は肉じゃがだよと祖母に声をかけられ二階から一階へ階段を降りた所だった。玄関にポツンと立つ女性の姿を目にし、思わず二度見した。女性はメアリーと名乗った。純粋な日本人ではないと察していたが、やはり女性は日米のハーフだという。


 玄関に居座り続けられても困るので高野は致し方なく、メアリーを襖へ通した。散々泣いたのだろう。メアリーの目元は赤く染まっていた。


 彼奴もタチが悪い――。ここまで女性を泣かせる必要はないだろうに……。


「夕希―? まだかねー? 婆ちゃん待っとるよー」


 目の前で首を垂れるメアリーを見て、どうしようか悩んでいた矢先食堂の方から祖母の声が飛んできた。


「はーい! 今行きまーす」

「……お婆さんと二人暮らし?」

「うん。僕ちょっと用事があるからここで待ってて」

「あ、はい――」


 メアリーはソファーに腰を下ろし、膝の上で拳を握った。此処に霊を残していくのは少々不安だが、祖母が自分の事を呼んでいる。そっちを優先するべきだと判断した高野は廊下へ出て小走りした。



 高野の家は、所謂旅館だ。代々受け継がれて来た伝統ある一家で、今は八十近い祖母と高野の二人で経営している。もっともバイトは沢山いるのだが、正社員の様な存在はいないためシフト制でまわっている。人手不足には波があるのだ。食堂の暖簾をくぐると流し台の前に可愛いフリフリのエプロンを着た祖母が立っていた。歳の割に程よい筋肉のおかげで姿勢が良く、目も歯も健康だ。先月の健康診断ではオール五である。

 流石としか言いようがない。


「僕は何を手伝えばいい? 婆ちゃん」

「料理は完成するけん、皿に盛って食卓に置いていってくれ。熱いけん、気ぃつけるんぞな」

「おっけー」


 棚の上に置きっぱなしのエプロンを腰に巻き、高野は皿を準備し始めた。ガタガタと強い風が窓に当たり、盾付きの悪い格子が音を立てる。

 最近春風が強く、その風に乗って花粉がやってくるので花粉症持ちの人には辛い時期である。

 鍋の蓋を開けると良い匂いが鼻の辺りを彷徨い、高野のお腹の音が鳴った。


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