タッチして。もっとして。

エモリモエ

***


「なあ、これ……なんだろ?」


 スマホをいじってた、かっちゃんが言った。


 放課後。

 雨が降っていた。

 ぼくらは教室でかっちゃんママを待っていた。

 かっちゃんの家は遠い。

 区外通学のかっちゃんは、行きは電車で来るんだけど。

 帰りは仕事を終えたかっちゃんママが車で迎えに来てくれる。


 とくに約束しているわけではないけれど、いつもは校庭でみんなとボールを蹴って遊びながら、お迎えを待つかっちゃんにつき合うともなくつき合う。

 かっちゃんとぼくはサッカーが好きで応援するチームもおんなじだ。

 すぐ調子にのってふざるけど、面白いし、やさしいし、サッカーも強いから、かっちゃんと一緒に遊ぶのは楽しい。

 だけど、今日は雨なので、校庭では遊べない。

 しょうがないから、なんとなく教室でぶらぶらしてた。

 じつはさっきまで他のクラスメイトも何人かいたんだけど、下校のチャイムが鳴ったのでみんな帰ってしまったんだ。

 で、いまはかっちゃんとぼく、2人だけ。

 ほんとのこと言うと、校庭で遊べないなら、ぼくも今日は早く家に帰ろう、って思ってた。

 塾もないし、帰ってゲームの続きをしたかった。

 けど、かっちゃんが、

「待っててくれない? 家まで車で送ってくから」

 と言ったので、ぼくは、

「いいよ」

 って答えたんだ。

 だって誰もいない教室でひとりぼっちで待ってるなんて、淋しいにきまってる。

 そんなのかわいそうだし。

 ぼくだって車に乗せてもらえたら濡れて帰らなくてすむ。

 ぼくは雨に降られて濡れるのがあんまり好きじゃない。

 サッカーしてる時はぜんぜん気にならないし、泳ぐのだって好きなのに。ふしぎだ。


「遅くまでごめんね」

 と、かっちゃん。

「さっき仕事が終わったって連絡きてたから、もうすぐ着くと思うんだ」

 だから、ぼくは笑って、

「へーき。ぜんぜんいーよ」

 って言った。

 だけどかっちゃんは気にしてくれているみたいで、ときどき教室の窓から乗り出すようにして校門のほうを見ている。

 ぼくたち5年生の教室は3階にある。

 上階にあるおかげで、校庭をつっきった向こうにある校門のあたりまで見渡すことができた。

 だからかっちゃんママの車が来たらすぐわかるように、ぼくたちは窓のすぐそばでおしゃべりしながら待っていた。


 まだエアコンをいれるほどじゃないけど、なんとなくムシ暑い。

 窓を開けていたから、外の音がハッキリ聞こえた。

 ざんざんざん、と雨の音。

 どこか近くの木の枝で雨宿りをしているスズメたちがしきりと鳴いている。

 誰もいない校庭には大きな水たまりができていた。どんどん雨は降ったので、水たまりも見る間に大きくなっていく。

 校庭のすみにはダリアの花が咲いていて、大粒の雨に打たれてうなだれていた。

 校長先生がせっせと育てている花はダリアのほかにもたくさんあって、もうすぐタチアオイの花も咲く。

 花が咲いたら夏休み。

 早く夏休みになればいいのに。


 雨はざんざん降っている。


「トシ!」

 急に、かっちゃんがぼくの名前を叫んだ。


 振り返ると、かっちゃんは青い顔をしてぼくを見てる。


 どこまで来ているのか、かっちゃんママとやりとりしていたところだったから。

 ぼくは最初かっちゃんママに何かあったのかと思ってドキッとした。


「どうかした?」

 聞いたら。


「なあ、これ……なんだろ?」

「なに?」

「へんな画面になっちゃった」

「えー?」


 スマホの調子がおかしいらしい。

 かっちゃんママが事故、とかじゃなくてよかった。

 めったにしないマジメな顔するから心配しちゃったじゃんか。


 ホッとして、

「エッチなサイトとか見てたんじゃないの?」

 って、からかってみる。

 かっちゃんは、

「ちげーよ」

 深刻な表情のまま口をとがらせた。

「けど、なんにもしなかったら、へんなんならないじゃん」

「なんにもしてないってば」


 あんまり言うから、机の上に放り出したかっちゃんのスマホをのぞいてみると、確かにへんだ。

 よくわからないけど……。


 なんだかキモチ悪いものが映ってる。


「いやな感じだね」

「な? なんかこわいだろ……」

「うん。はやく消しちゃいなよ」

「だよな」


 かっちゃんはさっそくスマホの画面に指で触れた。


 途端に、

「ぎゃっ」

 悲鳴をあげてのけぞった。


「かっちゃん?!」


「いたい! いたい!」

 かっちゃんは手をかかえてうずくまった。


「大丈夫?!」


 たった今、スマホに触ったばかりの右手。

 かっちゃんはおっかなびっくり自分のひとさし指を見て、

「すごく、いたい」

 ぼくに見せた。


「どうもなってないけど」


 静電気とかかな?

 大げさだなあ、と笑うと。


 なみだ目のかっちゃん、

「だって痛いよ」


「なにやってんだよ」

「へんな画面、消そうと思ってタッチしただけだよ」


 思わず、ふたりして犯人スマホのほうを見た。

 キモチ悪いものが映ってたスマホを。


 かっちゃんはうらめしそうに、

「このスマホ、へんだ」

 決めつけた。

「ぜったい、ぜったい、ぜったいにヘン」

 言いながら。


 よせばいいのにスマホに触った。

 しかも痛くした右のひとさし指で。

 触った瞬間。


「あっ」


 スマホに指をつけたまま。

 びっくりしたみたいな、じゃなかったら、うったえるみたいな目をしてぼくを見た。


「今度はなに?」

「痛くなくなった」

「え」

「なんだろ。なんか……」

 かっちゃんは、やっぱりぼくを見ながら、戸惑ったような顔をしてる。


 ちょっと心配で様子をみてたけど、そのうちに。

 そうか、とぼくは思った。

 ふざけてるんだな。

 納得した。

 いつものことだ。


「なんだよ、おどかして」

 笑いながら、かっちゃんの手をとった。


 そしたら。


「痛い!」

 かっちゃんが叫んだ。


 びっくりして、ぼくはかっちゃんの手を放す。

 かっちゃんはあわててスマホにもういちど指をつけた。


「なにすんだよ、痛いだろ!」


 怒鳴られた。

 けど、ぼくはまだかっちゃんがふざけてるんだと思って。

 もう一回さっきみたいにかっちゃんの手をスマホから離そうと。

 手を伸ばしたら。

「やめろよ!」

 ふり払われた。


「かっちゃん?」

 あんまり真剣な顔をしてるから、もしかしたらふざけてるんじゃないのかもしれないって、ようやく気づいた。

 かっちゃんの右手はしっかりとスマホをにぎってる。


 なんだか不安になってきて、

「どうしたんだよ」

 ぼくが聞いたら、

「わかんないよ」

 かっちゃんも不安になってきたらしい。


「なんかしらないけど、さいしょは痛かったんだ。スマホにタッチしてたところが空気に触ったたとたん、たくさんの針で刺されつづけてるみたいに、すごく。でも、スマホに触ってると治るんだ。痛くないし、なんか、すごくいいんだ……」

 とりつかれたように一気にしゃべって、

「わかる?」

 かっちゃんが聞いた。


 わからなかった。


 窓の外はあいかわらず降っている。

 かっちゃんママがいますぐ来てくれればいいのに。

 ちらっと窓の向こうを見てみたけど、校門のところには誰もいない。下校する生徒の姿さえ。

 飛んでいってしまったのか、さっきまでやかましかった鳥の声も、今は静かになっていた。

 ざんざんざんの雨のなか。

 ぼくとかっちゃんしかいない。


 スマホをにぎってるかっちゃんは、見たことのない熱っぽい、うっとりしたみたいな目をしてた。

 にぎっているスマホを見ているわけでも、一緒にいるぼくを見ているわけでもなくて。

 まえに家族で温泉旅行に行ったとき、湯船につかりながらパパが「あーっ」って言ってた顔にどこか似てた。

 あーっ、すごく幸せだー、って顔。

 けど、そんなのヘンだ。

 だってここは教室で、温泉なんかないし。

 かっちゃんはスマホを持ってるだけなんだ。


 なんでだろう。

 なんだかこわい。


「ねえ、かっちゃん」

 声をかけるとかっちゃんは、ああ、だか、うう、だかよく分からない返事をかえした。

「なんか、それ、やめたほうがよくない?」

「うう、ん」

「かっちゃん」

「へいき」

「でも」

「離したら痛いし」

「うん……」


 ぼくはかっちゃんにスマホを置いてほしいのだけど。

 どうしていいか分からない。

 離したら痛いって言うし。

 痛くなったら、それも困るんだけど。

 このまんまじゃ良くない、って感じるんだ。


 なんにもできずに見守っていると。

 やっぱりヘンだ。

 かっちゃんの手とスマホの触れているところが、なんていうのかな。ゆらゆら、ゆらいでいるみたいなんだ。

 うまく言えないけど。そのへんが、ちょっとずつほどけてるって感じ?

 じっと見てたら、ますますそこがあいまいになってくる。

 あいまいになって、ゆらゆらほどけて、だから、それで、かっちゃんの手はスマホになっていくし、スマホはかっちゃんの手になっていく。

 どんどんほどけて……。


「やっぱりやめなよ!」


 ぼくはムリにでも引き離そうと、手をのばす。

 その手をピシャっとぶたれた。

 思ってた以上のちからだったので、びっくりして見たら真っ赤になっている。

 かっちゃんが乱暴するなんて信じられない。


 見ると。

 ちょっと目を離してるあいだに、かっちゃんの手がなくなっていた。

 手首に直接スマホがくっついてる。

 そうじゃなかったら、手首までスマホに埋まってる。


 ぼくはパニックになった。

 このままじゃいけない。


 


 とにかくスマホから引き離そうとして、かっちゃんの肩をつかんだ。

 つかんだと思ったら。

 ものすごい力でふっとばされた。

 文字どおり、ふっとんだんだ。

 そんなの、小学生のかっちゃんの力じゃない。

 とにかくぼくはすごいイキオイで、ドッ、と床まで跳ねとばされた。

 痛かったけど、それどころじゃない。

 すぐに体を起こすと。


 かっちゃんはそこにいなかった。


 さっきまで立ってた、そこにはいなくって。

 机のうえにスマホがあって。

 その上にかっちゃんの首がのっかっていた。


「かっちゃん!」

 思わず叫ぶと。

 かっちゃんの首は目だけを動かしてこっちを見た。


「な、なにしてんだよ?」

 バカっぽい質問だったけど、ほかに思いつかなかったんだから、しかたない。


 かっちゃんはぼくに気がつくと、

「こっちに来なよ」

 いたずらっぽく、ニッと笑った。


「すごくきもちいいんだから」


 ぼくはなんて言っていいかわからない。

 立ちすくんで、かっちゃんを見てた。


 見ているうちにも、かっちゃんはするするとスマホに沈んでいく。

 幸せそうに、ほほえみを浮かべながら。

 そうして。

 ぜんぶが入ってしまって。


 さいごには机の上にスマホだけが残った。


 雨はざんざん降っていて。

 教室にはぼく、ひとりきり。

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タッチして。もっとして。 エモリモエ @emorimoe

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