ウエディングロリータ

飯鹿一「いいじかはじめ」

ウエディングロリータ

 夏のこもれびが好きだ。芝生に落ちた影まで濃い葉色を映して、公園の池の水面まで一面の翠に染まるのは、涼しげできれいだし、芝生の上にふわりとカップ型に広がった私のジャンパースカートのレエスが映える。私はおおきなボンネットの奥から母娘を見た。子供が「おひめさまだ! おひめさまがいる!」と私を指差し、私も優雅に微笑みかけてみせた。「こら! 駄目でしょ!」母親が子供を鋭く叱って、引っ張っていく。そんなことで、傷ついたりはしない。しばらく読書をしていたけれど、汗をかいてきたので、公園を離れた。香水のラストノートにパニエに絡まる芝の香りが混ざって、薔薇そのものの香りに近づいた。

 淡い桃色のボンネットから垂れ、首元で括ったシルクが、夕立間際の風に揺れる。今日この服を作るのに貯金の半分と一年もの製作期間がかかっていたので、慌てて自宅ワンルームに帰った。

洗う段階になって、着なければ良かったと後悔したけれど、とても気持ちは晴れていた。私自身が小さい頃に指さした、あのお姫様は今でも気高くいて、重いレースとフリルは卒業して、今は着物に凝っていらした。携帯は部屋に置いていたから、朝に母からメールが入っている事に今更気づき、その内容がどうにかして私を結婚させようというものだったから、返事を保留する。

 私は今年三十路に入る。別段勉強が出来はしなかったけれど、裁縫の腕は人一倍あった……いや。私には”お姫様”という純粋な憧れがあったから、誰より上手になった、というのが正解か。母はそれこそ私が制服のスカートをはく事すら嫌がるような人だ、こんな格好をしていると知ったなら、卒倒すると思う。

黙っていること、それが一番の親孝行なのだ。

 かつてのお姫様、早苗さんはこの部屋の大家さんだ。今日は不安なら着いてこようかと言ってくれたけれど、私には私が憧れる私というもののひとつに、孤独すらも甘く舐める、と言うものがあったので、その旨を伝えて断った。

「そうだ。早苗さんに見せないと」

私は鏡に写して撮った写真を引っ張り出す。襟にレースを沢山寄せたコットンのパフスリーブに、薔薇を描いた白いレース(手編み!)の長手袋、腰の後ろにおおきなりぼんを結ぶ、コルセットのようになっているジャンパースカートだけは唯一淡い桃色で裾に向けて少し濃くなり、ちらり見えるパニエもシルクのズロースも全部白。大好きな薔薇の見た目に近づけた。靴だけは手作りとはいかず、ショップを歩き回ったし、顔のつくりだの小じわだのを、メイクでねじ伏せてはいるものの。

「はわー」

写真の中で、私は、確かにお姫様だった。

 早苗さんに誘われて、私はご飯を食べにいった。彼女は独身で、親身で、なにより優しかった。私は子供のように駆け寄り「見て、見て」里芋の煮物をひっくり返している彼女に「待って。危ないよ」笑顔で叱られる。彼女が、在りし日の私と文通をしてくれたから、今、私はこうして生きている。はるか昔鉄の定規で折られ、曲がっている小指すら、彼女は「あらあ、かわいい」と笑顔でいい切ってくれるから。

「私の若い頃には、買って着るしかなかったけれど、今の娘は凄いねえ」

「丸一年、半分徹夜だったよ」

「やっぱり。若さは大事ね。本当に薔薇の妖精さんだもの」

早苗さんは涙ぐんですらいた。二十歳を越えて母の手によるざんばら髪の私に驚き、渋る母に花嫁修業と偽ってこのアパートに引き取ってくれた。お家賃はきちんと払っているし、今日ごちそうになったなら明日手土産を持っていくようにしているし、何より近所にピアノが無い事が最高にいい。叱る父母が居ないのは、更に輪をかけて、いい。

 この一揃えは、私が理想とする私と一緒になるための一着だ。だから市販のものでは誂えないとここに来て直ぐに宣言した。必死で貯金と技を磨いて、三十路にしてやっと、私は私になれたのだ。

「良かったね、きれい。良ければお洋服を一緒に見に行きましょうよ。今はお店も沢山あるでしょう?」

早苗さんはここからはじまると信じてくれていて、それがまた、嬉しい。

「違うよ、早苗さん。これは私が、理想とする私と結婚するための服だから」

一生に一度。茹だるような夏空に遅れて咲いた。私という花はそれでいい。

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ウエディングロリータ 飯鹿一「いいじかはじめ」 @kumanaka2023

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