おれの華麗なる一日

フカ

四月九日




暴力ってなんだろう。おれは地べたに転がりながらそんなことを考える。春先で、太陽光は温かいけど荒れてる風は冷たくて、コンクリートはひんやりしてる。うつぶせになって伸されてるから、垂れた鼻血がデコボコのアスファルトにじみじみ染みた。

あごと目線をちょっとだけ上げて、機嫌の悪い政宗くんが残り四人をボコしていくのをぼんやり眺める。政宗くんの短ランがひるがえり、長い手足が踊る。

政宗くんはデカい。百八十六センチだそうだ。百七十にも満たないおれの抵抗なんてハナから届かない。

政宗くんはほぼワンパンで四人をさくさく倒していく。政宗くんは普通に急所を狙う。喧嘩するとき話しかけたり、確認しない。いきなり顔面を狙う。いきなりあごを揺らす。田舎だ。この辺の人間はみんな政宗くんを知っているし、政宗くんがボコす人間も顔と名前が知れている。最後のひとりになった田島も、政宗くんも三軒向こうと裏の裏に住んでいる。昔はいっしょに学校に行ったり、帰りに河原で石投げをした。田島の母さんが政宗くんの親父とどこかに逃げてからは、こんなふうになってしまった。

田島のフックを政宗くんが体を反らして避ける。政宗くんはステップを踏んで、体をひねると腹にパンチがめり込んで、田島はちょっと宙に浮く。そのままぐっと堪えたけれど、政宗くんの左パンチが田島の顔にまともに入って吹っ飛んだ。おれはばかだなあと思った。こんな二人の喧嘩に割って入って、止められるわけがなんにもなかった。だからおれもみんなみたいに、地べたにころころ転がっている。


政宗くんが田島の顔面を踏んでいる。おれの兄貴がおれの親父におんなじことをされていたのを思い出す。兄貴の銀縁眼鏡がひしゃげて、フレームがだめになる。おれは親父にタックルをして台所の床にぶち当たる。起き上がった親父が叫んでおれの首を絞める。兄貴が親父の肩を掴むと裏手が飛んできて、ひしゃげた眼鏡が吹っ飛んだ。その後はおれは覚えてない。ただ、兄貴の眼鏡のレンズは無事だったから、まだ兄貴はそのいびつな眼鏡をかけている。セロハンテープをつけてそのまま、もくもくとプラモデルをつくる。

兄貴は十七、おれは十五、田島も十五で政宗くんは十六だ。おれのうしろの席なのに、先々週におれが十五になったとたん、政宗くんは十六になった。変なもんだなと思う。でもおれが十六になっても、きっと百八十六センチにはなれない。兄貴もおれと同じくらいだ。親父はけっこうデカいのに。


晴れた頭上に飛行機がとおる。目だけ上げて、短い飛行機雲を見る。記憶が兄貴の部屋にとぶ。戦闘機のプラモ。いまは爆弾は落ちてこない。

兄貴の部屋にはプラモがたくさん飛んでいる。高校に行かず、日雇いに明け暮れている兄貴が、ごくたまの休みになると日がな一日作っているから、ちまちま増えていく。

兄貴は出来たプラモデルをおれに見せてくれる。ウサギ小屋についてるような金具の部屋の鍵を開けて、部屋に入れてくれる。名前と機体がちょっとずつちがうゼロ戦を、兄貴は古い順に造っている。

兄貴のプラモは本物みたいだった。おれは不器用で作れないから詳しくはよくわからないけど、本当に、戦いに行って日暮れといっしょにようよう帰還したみたいに、空気があった。触ったら駄目そうな出来のプラモを兄貴はおれの両手に乗せる。機体の腹、翼に、実物みたいなかすれや傷跡があった。どうやって塗ってるのかなんにもわからない。すげえ、口から勝手にそう出る。兄貴は眼鏡のむこうでわらう。



おれの記憶が飛んでるあいだに田島がやられて全滅したから、政宗くんは髪をかきあげておれのほうに歩いてくる。帰るんだろう。政宗くんが三歩進むと、道の向こうから軽トラが来る。ずいぶん速い。おれはずりずりと横にずれ、道を開ける。猛スピードの軽トラは、おれの横を通り過ぎずに政宗くんを跳ね飛ばした。どかん、とデカい音がして政宗くんは吹っ飛ぶ。割れたライトの破片がおれの頭上に降りそそぐ。軽トラのドアがばがんと開いて揺れる。

「こんくそがきゃおまえ翔二になんしよっ#%※た@¥!!%ⅷ$ら!!!!ら!!!!」

田島の親父だ。顔色がおかしい。頭に巻いてたタオルを地面へぶん投げる。

おれは首をひん曲げて政宗くんのほうを見た。漁港のすみにべちゃられている、イカみたいにくちゃくちゃになった政宗くんを田島の親父は蹴って転がす。さらに政宗くんはくちゃくちゃになり、田島の親父はら!!!!って叫ぶ。

喧嘩のときはしんとしていた、周りの家の戸口がつぎつぎ開いた。

田島の親父はぴょんとジャンプして政宗くんへ着地する。やな音がして、ひゃくてん!!!!!と田島の親父がガッツして叫ぶ。かっ開かれた、真っ直ぐ前を見ている目玉が血走っている。中腰で、体のわきに開かれた腕の拳に青く血管が浮いている。

おれは怖くて怖くて怖くて、這いずったままゆっくりゆっくり距離を取り、道がコンクリから草地になったら飛び上がって走って逃げた。


全速力で走って五分後、おれは自分ちの前に着いた。体を折って膝に手をつき、息を吸って吐いてをする。ぎゅっと瞑ったまぶたを開けてまばたきをすると、玄関からなにか染みていた。ガタガタの引き戸の下から道端に、水かなんかがしみ出している。ぎこぎこ音を立てながらおれは戸を開けた。

三和土たたきに親父が転がっていた。青い作業着がメッタに刺されて穴がいくつも開いていた。

三和土から一段高い廊下の端に兄貴が立っている。

霜降りグレーのスウェットが赤くまだらになっていた。右手に持ってるなにかが夕日を反射する。

三和土から見える兄貴の部屋の扉が開いている。

おれは靴だけ脱いで捨てて、兄貴の脇を通って廊下を駆け抜けた。扉の前でなにか踏む。顔をしかめて足をどけると、曲がった部屋の鍵だった。

兄貴の部屋は荒れていた。大地震でもあったみたいにぐちゃぐちゃだ。

黄色くなった畳のうえに、大破したゼロ戦がいくつも落ちていた。拾い上げるとプロペラが曲がり翼は折れて、操縦席の天蓋が粉々に割れている。

指の先がぬるっとした。右翼と、操縦席のなかに血が飛んでいる。

振り返ると、廊下のほうへも点々と血が落ちていた。


血のあとをたどって玄関に戻る。兄貴は相変わらず突っ立ったままで動かない。近寄って、右手を見ると、兄貴が日雇いで使ってるデカいカッターナイフがあった。黄色と真っ赤の二色になってる。おれは兄貴の指を剥がしてカッターナイフを廊下に落とす。兄貴は真っ直ぐ前を向いて、腹減った。そう言うと廊下のへりに腰掛ける。

おれもなんだかくたびれたから、兄貴の隣に座る。血溜まりのなかの親父は夕日に照らされて、てらてらしている。放り出された白い靴下の足先に、暗緑色のプラモの破片がくっついていた。

どうしよう、兄貴十七だよなあ、と兄貴のほうを向いた途端、親父がうめいた。あんなに穴ぼこだらけなのに、まだ若干息があった。でもおれは、なんかこう、キッショ!と思ってしまってそのままにした。たぶん三十回は刺されてるのに、まだ生きてるのが、正気かよというか、気味が悪くて触りたくなかった。


おれも腹減った。そう返事してまた、暴力ってなんだろう。そう思った。うんうんと考えたけど、おれの少ない頭の中じゃ、暴力はやっぱり力で、大きいほうが勝つんだな。それぐらいしか出てこなかった。だからつい、親父を刺したばっかりの兄貴に、暴力ってなに?って聞いた。

「手え出したら出される」兄貴はそう答えた。

そうかあって返事して、おれはまた考える。手を出して出されて、また手を出して繰り返し。それのいちばん先頭にいたのは、誰なんだろう。


引き戸を開けっぱなしにしたから、隣の鎮守ちんじゅのおばさんが三和土を覗いて回覧板を地べたに落とす。悲鳴が聞こえる。それでおれは我に返って、考えるのをやめた。





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