アイアムユア

惣山沙樹

アイアムユア

 会社の飲み会が終わって、二次会の流れに飲み込まれないようそっと抜け出し、馴染みのショットバーに来た。さっきの飲み会では瓶ビールを傾け、上司の何度目かわからない自己啓発めいた持論に相槌を打ち、忘れ物のチェックまでさせられたのだから、一人で飲み直したくもなる。

 真っ直ぐなカウンターだけの小さな店。先客が居て、背の低いウイスキーグラスで何かを飲んでいた。髪の長い女だった。俺は彼女と一つ席を離して座った。


「ハーパーソーダで」


 メガネをかけた男性マスターが俺におしぼりと灰皿を差し出してくれた。マスターが氷をグラスに入れたところで、俺はタバコをカウンターの上に置いた。


「お兄さん、あたしと同じ銘柄やん」


 先客の女だった。確かに、彼女もハイライトの箱を置いていた。


「ああ……せやね」

「奇遇やね。一緒に飲も」


 俺が返事をする前に女は席を詰めてきた。お喋りならさっきでもう沢山だったのだが、女の顔は悪くないし、ラフな白いパーカーにデニム姿にもどことなく好感が持てた。


「お兄さん仕事帰り?」

「うん。飲み会やった」

「勤め人は大変やなぁ。くたびれた顔してるで」

「せやからここに来てんて」


 女は優愛ゆあと名乗った。年齢を確認すると二十八歳、二十五歳の俺より年上だった。なので、お兄さんは改め名前で呼ばれた。


「ほな、とおるくんかんぱーい」


 軽くグラスをぶつけて一口飲んだ後、俺たちはタバコに火をつけた。優愛は足を組み、スニーカーの先をぷらぷら揺らしながら尋ねてきた。


「透くんはこの辺住んでるの?」

「うん。歩いて帰れるで」

「あたしは電車で二駅。まあ、終電逃したらタクで帰るけどな。ハーパー好きなんや?」

「ソーダ割にするんやったらこれが一番やな」


 しばらくは酒談義が続いた。優愛が飲んでいたのはジェムソンというアイリッシュウイスキーで、俺は飲んだことがなかったので二杯目はそれにした。優愛もお代わりした。手際のいいマスターにより、灰皿は何度も新しいものになり、俺たちは遠慮せずにタバコを吸った。

 その日は他に誰もお客が来ず、貸切状態だった。金曜日の夜は大抵混むのにな、と俺は思った。ジャケットのポケットに入れていたスマホが振動したので確認すると、会社の飲み会のお疲れ様連絡だった。俺はそれにキッチリと返事をした。そこで、日付が変わってしまっていることに気付いた。


「優愛ちゃん、終電は?」

「あ、無いわ。別にええけど」


 優愛は俺の手の甲を人差し指でつうっとなぞった。


「嫌やなかったら、透くんの家で飲みたいな」


 俺は唾を飲み込んだ。




 結果として、コンビニに寄り酒とタバコを調達した後、俺の家に優愛を連れ込んだ。ワンルームに無理やり詰め込んだソファに並んで座り、もう一度乾杯した。優愛は唐突に学生時代の話を始めた。


「あたしの名前さ。英語で自己紹介したら、あなたのものですっていう意味になるんよな。中学の時にそれ知ってめっちゃ恥ずかしかったわ。せやから授業中にイングリッシュネーム作った」

「何っていうん?」

「ジェニー」

「そっちで呼ぼか?」

「嫌やなぁ透くんは」


 優愛はきゅっと俺の腕にしがみついてきて言った。


「……アイアムユア」

「本気にするで」

「ええよ。好きにして」


 別にいいだろう、こんな適当な一夜を過ごしたって。仕事に追われてすっかりご無沙汰だったし。ぴちゃり、ぴちゃり、と湿っぽいキスをして、優愛の瞳を覗き込んだ。カラコンなのか何なのかわからなかったが、漆黒といっていいほど深い色だった。


「なぁ……透くん。お願いあるねん」

「何?」

「首絞めて」

「……はっ?」


 俺は何度もまばたきをした。お互い酔いは回っているはずだが、その言葉は冗談ではないと声色でわかった。


「絞めて欲しいん?」

「うん。みんな引くけど透くんやったらいける気がして」

「ほな、ちゃんと股締めや?」

「……あはっ」


 ベッドに移動して、優愛のパーカーとデニムを剥ぎ取り、彼女には俺のシャツのボタンを外させた。素肌を触れ合わせて楽しんだ後、俺は優愛の首に両手をかけた。

 こっちだってこんなの初めてだ。加減がわからない。殺してしまえば洒落にならないから、まずは軽く絞めていった。


「もっと……して……ええよ……」


 喋る余裕がある内はまだ大丈夫か。徐々に力を入れた。ヒュウ、と息の漏れる音がして、それに動じてしまった俺は手をゆるめた。


「くふっ……ビビった? 可愛い」

「年下やからって舐めんといて」


 今度は思いっきりやった。優愛は呼吸を求めてパクパクと口を開け閉めしたが、人間、二十五メートルプールくらいなら息継ぎなしで泳げたっけな、等と考え、離さなかった。いよいよ顔が青白くなった頃にやめた。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ」

「……これがええの?」

「うんっ、ええのっ」

「ほなさ……しながら絞めるで?」


 それが、俺と優愛の最初の日だった。




 それから三年が経ち、俺と優愛は下着姿でダブルベッドに突っ伏していた。


「あかん。慣れへんヒールはあかん。マジ疲れた」

「優愛、お疲れさん」


 俺たちの結婚式が終わり、既に同居していた新しいマンションに帰ってきていたのだ。


「透ぅ、とりあえず一服しよ。持ってきて」

「はいはい」


 同じ銘柄なので一箱持ってくればそれで済む。優愛のタバコに火をつけてやって寝ながら喫煙だ。俺は言った。


「二次会のあれ、何なん? 結婚の決め手は世界で一番優しかったからってやつ」

「だってそう書くしかないやん。首絞めるんが一番巧かったからって正直に書けばよかった?」

「それは、まあ……困るなぁ」

「透やって、芯が強いところとか適当なこと書いたやろ」

「バレたか」


 灰をシーツにこぼさないようこまめに灰皿に落とし、会話を続けた。優愛が俺の頬をちょんちょんとつつきながら言った。


「それにしても、あれ百点満点の返しやったな」

「何のこと?」

「股締めやって」

「ああ……そんなこと言うたな。酔っとってん」


 二人でぐりぐりと吸い殻を灰皿にこすりつけ、ついばむようなキスをした。

 もう、これ以上余計な言葉は要らない。俺と優愛は夫婦なのだから。

 優愛はごろりと仰向けになった。俺は馬乗りになって、優愛の首に力を込めた。

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アイアムユア 惣山沙樹 @saki-souyama

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