t→+0
竹環
t→+0
秒針には三分以内にやらなければならないことがあった。
百八十回進み、時計を三周することだ。勿論、急ぎすぎてもいけない。三分できっかり三周。それが三分であり、それが秒針の仕事だ。残念なことにそんなルールすら守れない、役立たずなポンコツ針は山ほどいる。でも俺は違う。
なぜなら俺はただの秒針ではない。宇宙の時間を司る時空の三針が一人、秒神なのだ。
だが今の俺には、もうひとつやるべきことがあった。俺は一秒に一歩、いや、一歩で一秒進めながら、宇宙時計を回る。気分は最悪だ。
奴らが近づいてきた。声が聞こえてくる。
「ダーリン!もうこれで一生離れないわ……!」
「あと三分の我慢だよハニー」
俺は奴らの隙間に割り込んだ。
「お前ら、いい加減に……!」
言い切る前に、通り過ぎる。
「しろぉーーーー!」
叫び捨るもむなしく、奴らには聞こえていない。
さて、あと三分で、やつらをなんとかしなければ、宇宙の時間が、止まってしまう。
*
宇宙の始まり、ビッグバンと共に俺たちが生まれた。理由なんか知らない。その前も知らない。ただ、そういう風に世界はできていた。創造神がいるならそいつに聞いてみたい気もするが、どうでもいい。
長神と短神と秒神。三つの歯車が噛み合って廻ることによって、時間は進む。誰か一人でも欠けたり、仕事をサボったりすれば、その瞬間、宇宙の時間は止まってしまう。31536000秒を、これまでに大体147億回。俺たちがこれまでに司ってきた時間だ。
俺たちは最初こそ、ただ淡々と仕事をしていただけだった。でも、百億回も廻る頃にはすっかり慣れ、退屈になりだした。俺たちは宇宙を観察し、星星を眺めるようになった。やがていくつかの星には文明が生まれた。
俺たちは時々、文明や文化を模倣して遊んでいたが、最近ではある星がブームだった。その星のここ数百億秒の文化は、特に面白かった。
特に、恋愛というやつだ。生殖に関わる心理反応だが、生殖のためとはまったく限らない。それが中々興味深く面白いものであるのは俺も否定しない。そのうち、長神と短神は自分も恋愛がしてみたいと言いだした。ここまではいい。するとやつらは人間の恋愛ドラマを真似しだした。ここまでもまだいい。最初はそれも、まぁまぁ面白かった。
最悪なのは、どうやらそれがいつの間にか、“ガチ”になってしまった事である。
そんな事を思い出していると、また奴らが近づいてきた。
「お前らなぁ、宇宙の時間を操るものとして……それでいいのかよ?」
長針が振り向いた。
「お前には解らぬか、解らぬだろうな、この愛の素晴らしさが……!」
「うるせぇよ」
わかるわけねぇだろ。
短針も鬱陶しそうに俺の方を見た。
「このままくるくる廻ってたって、何にもないじゃない」
「確かにそうだけど、そういうもんだろ?」
「諦めてよね、私たちもう決めたんだから。ねっ、ダーリン!」
「もちろんだハニー」
俺は呆れて言葉もなく、また遠ざかる奴らを眺めた。熱烈に見つめ合う二人の頭の中に、もう俺も宇宙もなさそうだ。あと二分、正直俺はもう打つ手がなかった。
某星の単位にちなんで長神が一周するのを一時間とすると、奴らがくっついていられるのはその間に一分間しかない。奴らはそのうち、離れたくないわダーリンアイラブハニーチュッチュなどとやりだすようになった。このところに至っては一時間に一度、必ず悲劇の再会と別れが開催されていた。鬱陶しい。
この時点でもう既に俺のQOLは瀑下がりだ。なのに、やつらはついに行くところまで行ってしまった。もう離れたくない、なら――「もう二度と離れなければいい」ってわけだ。
長神と短神が完全に停止してしまえば、俺にはもう成すすべはない。どれか一つでも止まれば、時間はもう進むことが出来ないのだ。
停止は虚無だ。そこでは何も動かず、何も認識されず、光は一ミクロンも進まない。それはもはや存在の消滅に等しい。
恋は盲目というが、あれはマジだ。奴らはもはや宇宙のことなんか考えちゃいない。
残り1分半。
正直、諦めていた。
奴らの雲行きが怪しくなってきてから、それなりに説得してきた。仕事の重要性。世界への意義。だが奴らの「愛」とやらの前に、そういった大義も無力だ。むしろ、いつの間にか二人の仲を引き裂く悪役という設定にされ、何度も撃退されてきた。まったくふざけやがって。
まぁでも、結局のところ俺としては、宇宙が止まろうが、続こうが、どうでもいい。短針も言ったように、ここで悠久の時を刻むのと、永遠の静止との間に、そんなに違いがあるとは思えないからだ。
宇宙がどうなろうと、それも別に知ったことではない。文句なら神に言うべきだろう。時間の管理者が、揃いも揃ってろくでなしだった事について。また奴らに近づいてきた。
俺はもう諦めきって、奴らの間を無言ですり抜けた。熱烈な視線の間に挟まる時、ちょっと気まずいが、奴らはもはや俺に気づいてすら居ない。
もう何を言っても無駄そうだ。
一分以内に、やれることはもうない。まぁいいか、と俺は思った。宇宙の終わりなんてのは、だいたいこんな風に下らんものなのかもしれないな。
俺は最後の暇つぶしに、例の星を見ておくことにした。青い海の星だ。特段珍しくはない、いくらでもあるような星だ。だが……。
俺はある小さな、赤い屋根の家に目をやる。その中に一人の女の子がいる。その子は床に座り込んで、腕につけた古い時計をいじっている。
それは死んだ父親の形見のものだが、あまり良いものとはいえない。ポンコツの秒針が狂っているのだ。だから彼女は、早すぎるその針を正しく合わせるために、一日に一度、僅かに針を止める。今がその瞬間だ。彼女は耳を澄ませ、目を凝らしている。集中に息を潜める。再び正しいタイミングで、針を動かさなければならないのだ。
長神にからかわれたことを思い出す。「いつもその子を見ているな。だが秒神よ、相手が人間では叶わぬ恋……」やかましい。そんなんじゃねぇわ。
彼女と、目が合う。
時を刻む音が、俺たちの間で同調し、一致する。
気がつけば、残りは10秒。
彼女が待っているのもまた、10秒だ。10秒早く進んだ秒針をその間止めて、また動かす。
しかし残念ながら、そのあと時計が再び動き出すことはないんだ。
8秒。
ロクでもないやつらが、仕事を投げ出しやがったからな。
6秒。
少女の澄んだ瞳が、瞬きもせず俺を見ている。
5秒。
彼女は特別だった。一日に一度、彼女と俺は見つめ合う。要するに、彼女はなぜか宇宙に流れる時間を捉えることができる。
4秒。
そんなやつはこれまで、見たことがない。正直、俺はその時間が楽しみだった。
3秒。
そんな時間も、これで最後か。と思った瞬間、
2秒。
俺は気付いた。
1秒。
どうせ終わるなら、
0.9秒。
辿り着かなければいい。
0.5秒。
彼女は待っている。
0.1秒。
永遠にこない時を。
0.09秒。
でもまぁ、こんなのも悪くない。
0.005秒。
俺はなんとなく、奴らのやろうとしたことが解った気がした。
0.000001秒。
俺は忘れてた。
0.00000009998秒。
どんなところにでも永遠があるということを。
0.00000009997秒。
俺は彼女と見つめ合っている。
0.0000009996秒。
そうか、確かに宇宙なんてどうでもいいな、と俺は思った。
→+0秒。
t→+0 竹環 @taketamaki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます