久しい故郷、だったけど

二〇八話 長く短い旅路の先にあった光景


 約束を示したからには絶対に守る。破ったりしたらまず間違いなく各諸方向しょほうこうよりお叱りが飛んでくる。死んで土に埋められたとしても、地獄に落ちてもとどろいてくるだろう。


 だから絶対に、死なない。そして、身も心も売らない。私がやるべきは、ひとつ。


 その為に私ひとりが亀装鋼キソウコウに出向く必要がある。きっと大丈夫だ。私はひとりじゃないのだ。いつも一緒にいてくれる、同じ体に偉大いだいなりし水の鬼妖きようよ、私に加護を。


 ひとつだけ神頼みならぬよう頼みをして雷天ライティェンをひたすら走らせていく私の背で天琳テンレイ皇都こうとが小さくなっていく。振り向かない。いってきます、に未練みれんはない。でも、離れる。


 短い間のことだ、と言い聞かせようと離れてしまうのは淋しいし、名残惜しくなってしまうから思いを残さない。未練を残さない。心も一緒に強く抱いて持っていき帰る。


 ――必ず、帰りますからね、殿下。


 待っていて。そして、普通の女が味わう不安を少しでも味わってみるのも一興いっきょうではありませんか? みな、心細い。みな、不安だ。みな、淋しいし辛いし痛いのだ、って。


 それが他の兵役へいえき者の伴侶はんりょたちへの態度に直結する。心配しすぎだのと言う気が失せましょう? そういうことなのですよ。己が大切な者が身命しんめいして戦う、というのは。


 今回違うのは私は展開てんかい不明の戦は卓上たくじょうにのぼるのではなく、確実な一手を打つ為に動いているという点。それでも心配になるなら、より普通の女の気持ちがわかるでしょ?


 馬を走らせて二刻にこくほど経った。最初の休憩きゅうけい地点に設定しておいたさわが見えてきた。


 徐行じょこうを指示し、めて降りる。沢に近づいて雷天に水を補給させ、私も水に手をつけて水質すいしつを確かめてから口に運び、一口。ついでに顔を洗っておく。めん、つけたままで。


 ちと傍目はためには滑稽こっけいだろうがいいさ。こんな場所で休憩するのいないんだから。ふ、と息ついて私は腰にさげていた麻袋またいから人参をさい状に刻んだものをだして雷天に与える。


 ポリポリ、カリカリ。人参が噛み砕かれ、というか噛み潰される音が耳に心地よく響いていく。雷天は一回のポリポリで満足した様子。なので、私も再びまたがって先を急ぐ。


 その先、道中は平和そのものだった。ほんの少々、一年の旅路で見ていなかった皇都から北領ほくりょうへ直行する道中。綺麗な景色けしきを見たり、茶店さてんで休憩したりがあったりとあり。


 予定通り一〇日とかからず、八日と四刻しこくほどで目的地が見えてきた。周囲を山野さんやに囲まれたちょっとした盆地ぼんち。そそり立つ雄大ゆうだいで深い森や山々が壁となり、一番近い水源すいげん地であるみずうみまでひとの足なら往復おうふく一日かかる利便性最悪で農耕のうこう不向ふむきすぎるという地が。


 そりゃあ、単純な往復時間だけで一日潰れるなら誰だって楽をしたいでしょうね。


 実際に水をんで、むらにすべて供給する、できるように汲んで戻るのには邑にいる畑仕事の中でも力仕事をさせる牛たち全五頭を使ったって、いって汲んで帰るだけで数日仕事になりかねない。だからこそ「やつら」は私という「水の根源こんげん」を使うことにした。


 この時やつらに人道じんどうだの道徳どうとくだのいう考えは一個も浮かんでいなかったのはまず間違いない。そうじゃなきゃにえに立てておいてさらに利用しようなんて非情ひじょうを思うものか。


 あいつらの頭がおかしいのは今に、というか過去にはじまったことじゃなかったのは知っているっつーか知っていたつもりだった。……が、眼下がんかに広がるアレはなんだよ?


 なんだ、あの長蛇ちょうだの列は。つか、列の先頭に当たる位置にいるのは天琳の国の人間じゃないな。黒衣こくえが示すのは水で冬。そしてなにより北を象徴しょうちょうする貴色きしょくだった筈だよな?


 離れたここからでも見える煮炊にたきの湯気ゆげ。こんな場所にまで届く人々の感謝する言葉や声は喜色きしょくに満ちている。中には叩頭こうとうしている者もいる。それも過半数が、だったり。


 これでしらけるな、という方が無理だろ。思わず、久しくなっていなかったが能面のうめんのような冷えた無表情になったのが自分でわかった。あの黒服の連中はおそらく亀装鋼の。


 なるほど。鬼の娘がここにいた、という証言をくれた邑の連中に平素へいそ口にできないさいやつみれを入れたかゆといった「えさ」を配ってやっている、か。……魚以下のから頭だな。


 なんて、ちょろいやつら。ただ、私は生まれた瞬間からこの邑の「人間」ではなかったので羞恥しゅうちも湧かない。これが一瞬でも属していたというあかしでもあれば違っただろう。


 普通の神経だったら羞恥と屈辱くつじょくまさってこの施しに真っ赤になって激昂げっこうした筈だ。


 でも、そうしない。と、いうことはやつらにはずかしい、という頭がないっつかねえんだろうよ。じゃなきゃ、こんな施しを受けて平気でいられるわけねえ。ほこりも、羞恥心もなにもない証拠だ。敵国に情報をらしただけでなく、謝礼を受け取るだなんて。


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