二〇七話 出立の日。呟いた「――」


 四夫人しふじんたちから見舞いに参りたい、とふみをもらって。亀装鋼キソウコウからの使者が来てから早四日ばかりつ。その四日は忙しくしていた。泉宝センホウ然樹ネンシュウに会い、虎静フージンの世話をして。


 四夫人たちには亀装鋼が云々は伏せたもののちょっと特殊な事情ができて実家、のような場所に一時帰国できるよう申請し、皇帝こうてい陛下、皇太后こうたいごう様双方にお許しをもらった。


 そういった文面で文を新しくだしてお見舞いはまた帰宮きぐう後に、と約束を取りつけて私は留守るすにする間の役割分担を砂菊シチウユエに頼み、みや侍女じじょたちひとりひとりに挨拶した。


 みな、戸惑いと恐れ、悲しみと迷いをにじませた瞳でいたが私の覚悟を持った瞳に自然と否定的な言葉は失せ、「いってらっしゃいませ」や「お待ちしております」とだけ。


 心配だ、ともいかないでとも言わず、ご無事でだとかもなく私を送ってくれた。その私は新調しんちょうしてもらった女性ものらしい軍装ぐんそうでいる。これから向かう先を考えれば妥当だとう


 ――亀装鋼。天琳テンレイが有する北領ほくりょうのさらに北奥地をおさめる一国へと向かうのだから。


 私は四夫人たちに見つからぬよう宮の裏手の小道に馬を用意してもらって出発する手筈てはずを整えてもらった。虎静はつい先ほどちちをやってぐっすり眠っている。不穏ふおんはない。


 唯一ゆいいつ、不穏をあげるとするならこの曇天どんてんか。一雨ひとあめきそうだ、と思っていると外套がいとうが寄越された。撥水はっすい機能はそこそこだが、熱を適度に逃がして逃がさぬ上等な品であった。


「皇太子が昨日贈って寄越しおったぞ」


「そう。殿下が……なにを土産みやげにしようか」


呑気のんきぢゃのう。これからひとり敵国に乗り込もうかという時に土産の話などとは」


「なにもうれうことがないからな」


 それはこの宮に仕えてくれているみなへの信頼であり、戸惑った様子でもこころよく送りだしてくださった皇帝陛下からのしんこたえたい気持ちがあるからこそ。憂いなど、皆無かいむ


 あるのは、なんだろう。義憤ぎふん、とも違う。私は義に固いそんな女であろうつもりもまったくないので。ただ、この心身で亀装鋼との戦を回避できるならばという爽快そうかいさか?


 誰かの、殿下の役に立てるならなんでもする気持ちは壊れはしない。なにがあろうと奥底はなぎのままに在る。私は水性すいしょうの女。水の鬼妖きようを宿したこの身は水の加護かごを受ける。


 だから、殿下に見送り不要、と申しつけさせていただいた。あのひとのことだ。絶対なにかと理由をつけてくっついてくるつもりに違いない。私は、守られようと思わない程度には冷めているし、殿下の過剰かじょう、重い、暑苦しい愛を今だけは少し遠慮したいのだ。


 それが、私なりの覚悟。あのひとの憂い顔を見たらきっと心の表面が揺らぐ。そうなっては自らにしたお役目を果たせない腑抜けになるかもしれない。そんなの許さん。


 私はちょっと帰邑きゆうし、すぐ帰京ききょうする。ただそれだけ。よって、なんの心配もらないと言ってなにも悪いことなどない。そうこうと頭が忙しい間に馬の荷づくりが済んだ。


 私は殿下の贈ってくれた外套を羽織り、こちらは久しぶりの鬼面おにめんをつけて馬に乗って最後、宮のみなに手を振って手綱たづなを振って馬の首を打ち、走らせる。小道を駆け抜け。


 ふと、視線を感じた気がしてそちらに視線をやる。そこには立派なくすがそびえていてその大木の途中、枝の一本に人影。整えた身なりにかんむりをつけた……――大切な、ひと。


 でも、私は大切だからこそ気づかなかったフリをして馬の速度をあげさせ、一気に駆け抜けてもらい、後宮こうきゅうの門番に言って皇帝陛下の勅令書ちょくれいしょをだして門を開けてもらった。そのまま皇都こうとの街を駆けさせてしばらくも馬を走らせていた。街道かいどうにでて山にかかった。


 そこでようやく、私は馬の速度を緩めて顔だけ振り向いた。あの木がある一点を見つめて、唇がふ、とほころぶのを感じた私はひっそり、とであれ届け、と願いをこめて――。


「いって、参ります」


 零した呟きに未練みれんなどない。悔いもなくただただ覚悟と決意だけがある。あった。


 呟いて私は馬を、今度は速足程度で進めさせてやる。白い毛が綺麗な馬は泉宝との戦で背を貸してくれたのではなく、どこぞの誰かさんが手配してくれたモノ、だそうな。


 なんでも私に似合うだのどうこう。いや、私に白馬はくばて。と思ったのももう二日ばかり前の話になる。そんなふう、思い出を掘り起こされたが、私は黙々もくもくと旅路を進んでいくのに意識を戻した。馬は、雷天ライティェンなどとものものしげに名づけられたこの馬も黙々と進む。


 気があうなあ、雷天。私も今はなにかを言う気になれないしならない。早くも虎静のことが心配になってきたってどんだけだ。大丈夫だ。紫玉ヅイー緑翠リュスイもいるし、私だって。


 さっといって、とっとと帰る。時間が、日にちがどれほどかかろうと必ず戻るの。


 それが私の提示した交換条件。必ず、死んでも生きて帰ってきますからと訴えた。


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