二〇六話 外に放られるなんて冗談じゃない


 殿下は私が許されざる願いを抱えて窒息ちっそくしそうになっているのを見透かし、私の息が少しでも楽なように計らってくれると言ってくれる。優しい提案で。そして、同程度。


 同じだけ、むごい提案だ。結局、私は蚊帳かやの外にだされるようなもの、なんだもの。


 私という当事者不在で話は進められて決着するんだろうか。ひどい、なあ。ひどすぎるよ、殿下。私だってあなたと同じものを見たい。あなたと同じそしりを受けたいと思っているというのにそれを、覚悟を、勇気を、決意を踏みにじるようなことを言うなんてさ。


 きっと、殿下に悪気わるぎはないんだろう。わかっているけど悲しいし、辛い、悔しい。


 なにひとつ、決められない。自由にしていいと言われながら不自由でるなどと。


 どんな拷問ごうもんよりも惨たらしい、と思うのは私だけでしょうか、違うのでしょうか?


 わかりたくない。理解なんてしたくない。だが、殿下の声は次期じきであれどてんの声。無視するわけにはいかないだろう。私は茶碗に触れた手をそのままにうつむいて顔を伏せる。


 虎静フージンを残していくわけにいかない。私は天琳テンレイで在りたい。その気持ちはぶれない。それでも、世の中は残酷にできているものだから。たかが女ひとりの心身自由にかかずらってくれるほど優しくはない。だからこそ世界は広大なまま、維持いじされているのだから。


 世界の均衡きんこうを保つ為にいつも誰かが、なにかが犠牲ぎせいになってそれらの上に私たちは立っている。それがわかるからこそ殿下に惨く優しく突き放されても私は揺れてしまう。


 いいの? いいわけない。命令違反は国家叛逆はんぎゃく罪で追放される? ならば結局一緒じゃないか。だったら、もう、私は諦めるべきなんじゃないか。泉宝センホウではうまく躱せた。


 然樹ネンシュウ皇太子こうたいし執着しゅうちゃくをうまく躱して今なお優良ゆうりょうな関係を保てている、と思っている。


 だというのに、然樹皇太子のは偶然ぐうぜんに私を気に入っただけだろうが、こちら、亀装鋼キソウコウの皇太子は名指しで私が欲しい、と言ってきた。なぜ? 私の中に鬼がいるからかな?


 そうでないと説明がつかない。鬼娘を探していると使者ししゃを名乗ったやつらは言っていたか。ユエに聞いた話、鬼というあやかしは美しくんだ特別濃い妖気を持つのだそう。


 亀装鋼がどういうつもりで、なにを目当てに私という鬼飼う娘に目をつけたか知れないがはなはだ迷惑。むしろ迷惑以外になにもないくらいには。本当にどういうことなんだ。


 先ほど殿下は「節操せっそうなし」と向こうがたの皇太子を評していた。どういう意味のだ?


 ……まさか、だが。せい奔放ほんぽうだのとかそういう手のことを言わないだろうな? んな話クソすぎて吐きそうになるわ。はあ、相手が亀装鋼でさえなければ気が楽なのにな。


 てか、性に奔放云々での節操なしだったら本当にいやすぎる。私一応もう殿下に身を預けたんだぞ。それを抱くというか抱けるのか? この純潔じゅんけつ潔癖けっぺきを女に求める世で?


 どう、しよう。違った意味でいやな汗が噴きだすですよ。いかん。まじめに打開策だかいさくを練らねばちょっとした、どころでなく超絶いやな変態狂宴きょうえんの図ができあがっちまうよ。


 ただ、問題はやはり変わらず亀装鋼の戦力かなめに置かれる、重点を置くしき使役しえきした兵たちの練度のほどだろうな。まず間違いなく天琳の一兵卒では相手にならない強者つわものだ。


ジン、まだなにかあるのか?」


「一将軍として具申ぐしんします」


「……なんだ」


「亀装鋼と戦って勝てるとお思いですか?」


「……。難しい、だろうな」


「生ぬるいことをおっしゃいますね、殿下。こちらが式に通じない以上勝ちの目はありますまい。特に相手は玄武げんぶ信仰しんこうするだけでなく武に優れるとされる北の者たちです」


 私の指摘に殿下はぐ、と押し黙った。思い当たることがあるのだ、彼に。式を義務化ぎむかする法案を通して声にした時、彼に北の民は非難ひなん囂々ごうごうと浴びせかけたと聞いている。


 北領ほくりょうの者は武に重きを置く腕自慢が多い。武人ぶじんはもちろんのことだが、のうたみでさえ農具という得物えものを操って戦うことに長けた民族性みんぞくせいゆうする。そこに術師じゅつしのようなあやしの力を使う式をつけろ、とくればそれは面白くない、我慢がまんならなかった。おそらくもなく。


 最悪の最悪を考えるなら天琳の北領が亀装鋼についてしまう可能性すらある。式の戦力分ただでさえおとっているというのに、敵となった自国民に背後を取られる危険性も。


 そうなれば苦戦以前に戦にすらならない。


「静、どうしろと言うつもりだ? 陛下に」


「いまさら無理をして話に混ぜようなどとしてくださらなくても結構ですよ、殿下」


「! のけ者にするつもりなど……っ」


「ええ。承知しております。ですが、そういう御心積おこころづもりなのかあ、と思えました」


 殿下は私を守ろうと必死になっているようだがそんなことしなくていい。私は私をわきまえている。吾子あこを産んだ今、私は天琳にとって絶対必要ではない。もう世継よつぎがいるのだから。――用済み。そうくくるのは簡単だ。皇太后こうたいごう様方の気持ちをまた踏む考え。


 私などを娘、と妹だ、と言ってくださった三妃さんひたちには申し訳ないが、それでも無辜むこの民が万死ぬことを考えれば、私はいってしまうべきなのだ。そしていった先で……。


 私は私の本分ほんぶんを果たすべく動くつもりだ。殿下はなにか勘違いされているようだ。私がいまさら他の男に、殿下以外の殿御とのごに髪一筋すら触れさせるとでも思ったのかしら?


 殿下、私へ対する不敬ふけいで罰しますよ? 私は殿下だけの女だ。殿下が選んでくれた以上に私が自分で自分を定義した。この御方おかたに相応しい女になりたい、と。そう誓った。


 そうして誓って覚悟して腹をくくったからには二言にごんなし、と堂々胸を張りたいではありませんか。例え嵐が来ようと、激しい風に吹かれて揺さぶられようとぶれないよう。


 表面こそ揺らごうと奥底の、水底みなそこはびくともしない。そういう深く強い女になりたいのです、私は。それは悪いことではない。殿下は私の冷えた態度に二の句がげない。


 そんな殿下を追いだしてもらって私は早速皇帝こうてい陛下に奏上書そうじょうしょをしたため、本宮ほんぐうに届けてもらった。みやの空気は重い。が、みな私が平常通りなので黙々仕事にはげんでくれた。


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