二〇五話 冷たく、重い、食卓を囲み


 殿下や陛下たちと同じように。一将軍だけでなく、皇族こうぞくの端くれとして思いやらねばならないのだと思い知ったわけだ。我ながら悠長ゆうちょうすぎるな。アホ臭くて愚かしい限り。


 そうこうやっている間に芽衣ヤーイーが帰ってきて食事を毒味しはじめる。彼女は悲しそうな顔を必死でつくろっていようとするが赤みの乗る頬にはらはらと涙の大粒が流れていって。


 見かねたユエが芽衣をさがらせて自身が毒味を手早く済ませて食事を他の侍女じじょたちに言って給仕させる。虎静フージンを抱いたままの私と、対面に座す殿下の前に食事が並べられる。


「いただきます」


ジン……っ」


「殿下、いただきましょう。せっかくの食事が冷めては尚食しょうしょくの者らにも申し訳ない」


「……。終わったら、話をさせてくれ」


「――……はい」


 おい、どうした私。いつもの豪快ごうかい豪傑ごうけつのようなさまは出張か、家出かなにかかよ?


 こんなしおらしい、弱った姿や声などではダメなのに、わかっている。わかってはいるというのにどうしても声が張らないし、うめくような声しかでない。辛くて、痛くて。


 だって、あいつらは、亀装鋼キソウコウの連中は私を寄越せ、と言った。捧げろ、と。まるで供犠くぎのように。だから殿下は言った。私が生贄いけにえになる必要はない、と言ってくれたのだ。


 あのむらで、さびれ果てていつ人々に捨てられてもおかしくないくらい水源すいげんに恵まれずに努力もせず、贄にして生き残った私にすべて押しつけて自分たちはのうのうと褒美ほうびたまわっていたあいつらにもう、赤子の頃、産み落とされてすぐ贄にされた過去を覚えていた。


 殿下、優しい方。温かいひと。いつも私を守ってくださる御方おかたは私の不遇ふぐうを、不幸と悲しむべき過去を、私がもうとっくに今幸福だからと捨てたことを覚えていてくれた。


 カチャ、カチカチャ。食器と皿がかなでる音がいつもより高く、大きく聞こえるのはこのたくに会話がひとつとしてないからかな? 食事は美味しい筈なのに何味も感じない。


 私はどうやら相当に衝撃を受けていて己の身に降りかかる不慮ふりょを嘆いている様子。


 そんな神経細くない、と思っていた。なのに、実際の私は意気消沈いきしょうちんしているという間抜けさ加減だ。こんなんじゃ、四夫人しふじんたちの見舞いを受け入れるのも難しくないかな?


 悲しいよ。辛いよ。痛いよ。苦しいよ。喉をせりあがってくる悲哀が嗚咽おえつにならないよう細心の注意を払う。払って食事を終えた。いつもより少ないのは許してほしいね。


「静、もうよいのか?」


「ん。さげてくれ」


「……そうか。うむ、そうしよう」


 言って月はフォンに食器を持たせて一緒に退室していってくれた。さげて、とはさがってに同義だと察してくれたからだ。こういう細かな心遣いをしてくれるのは本当にありがたいものだ。このみやにいるあやかしたちの中で最年長の月ならではの気遣い、だろうな。


 沈黙。食卓の上が綺麗にされ、茶碗だけが取り残された卓上にもやはり会話はないままであり、そのまま重苦しい空気がただよっている。もう、どうしたらいいか不明だ。


 なにもかも、わからない。それに決定権は私にないのは知れたこと。戦の回避が叶うなら私ひとりの身柄は安いと誰でもわかる。わかった上で理解を拒否するかたはいるが。


 どうしたらいい? どうればいい。私はできるなら天琳テンレイとどまりたいと思い、ここで虎静の成長をひとつずつ、ちょっとずつ確認していきたいと願っているけれど……。


 こういう場合、どう対処するのが正解だ。相手国、亀装鋼を叩き潰す、というのが手っ取り早く安直あんちょくな対応だが、はっきり言って難しい。相手はしきで戦力を常人の数倍、へたをすれば十数倍まで底上げし、増長ぞうちょうさせている軍団だもの。一般兵では話にならない。


 いかに熟練じゅくれんの、古参こさんつわものがいようと式の力とは常人のしゃくではかれない種類のモノ。


 それこそ同じように練度のある式使いがいなければ話、笑い話にもならないほどのモノとなる。私が、私自身が鬼妖きようを宿すからこそわかる。当然の、一般常識なのだから。


「静、俺はお前を差しだすつもりは」


「私の自由は国より重いですか?」


「……それは、とても卑怯な例えだな」


「では、いっそ情など捨てなさいませ。その方が双方共に楽でいられましょうから」


「そう言う、ということは本心は違うな?」


 なに、言っているんだ、殿下。そんなの。


 私、そんな我儘わがまま言う気ない。ない、けど。


「いや、ですよ。そんなの……っ」


 当たり前じゃないか。せっかく幸せになっていいと言ってもらって、実際も幸せでたまらないくらい、すぎるくらい幸せなのだからそれをしまない阿呆あほうな女がいるものか。


 ほいほい、と自分の幸せも我が子も放って贄になります? そんなの自分から主張するわけないだろうが。わかり切ったこと言わないでよ、意地悪殿下。嫌いになるから!


 到底、なれっこないけど。これまで生きてきた十八年でこんなにも惹かれるひとなどいなかった。あやかし、というわくを入れてよければハオはもちろん、月も好きだけどさ。


 いつも私を思いやってくれる偉大いだいなあやかしたち。私を一等大事だいじに大切に想ってくれる者たち。それがくすぐったくあり、嬉しくあり、心地よくてでも居心地が悪い気もする。


 こんなに想われていいのか、とか。贅沢じゃないか、とか考えることはたくさん。


「その本心を大事にはできないのか、静?」


「だって、そうしたら」


「国や俺たちのことはいい。民のことに心割くのは俺や父上、男の仕事だ。お前が背負せおうものじゃない。そこをどうかわかってほしい。父上には俺から言っておく。だから」


 だから、私の我儘を優先していい? そんなこと許されないとわかっている、私。


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