一九七話 退屈我が子をあやし寝かしたら


 あの電撃でんげきというよりは亜光速あこうそく出産から一月ひとつきがすぎようとしている。虎静フージンは順調にすくすくと育ってくれている。然樹ネンシュウが、泉宝センホウ皇太子こうたいしが報せてくれた北方にあるしきの扱いにけた国、亀装鋼キソウコウの行動もよほど慎重に運用されているのか、目立った動きがなく平和。


 このまま平穏が保たれればいいなー、というのは考えちゃダメなんだろうが、な。


 それでも考えてしまう。ついこの間、泉宝とごたついたばっかりなんだから余所もちょーっと様子見兼ねて息をひそめていてくれよ。なんつったって起こるものは起こる。


 それこそ必然で。世の中の無情な必定ひつじょうで起こってしまう出来事とは回避かいひしがたい事態なのだから。なにもかも仕方がないほど普通に現れる。人死ひとじにだってそう、ごく自然に。


 当たり前に引き起こされる。ひとの手によって起こり、起こされ、殺し殺され殺しあってしまう。しょうのないというか、どちらかといえばしょうのない生き物。それが人間。


 だろう、そうだろ。そのことも虎静はしっかり学んで大きくなっていってほしい。殿下を超えろどうのより、世界の残酷さに打ちち、本当の意で自立できてくれたなら。


 それが嬉しいし、喜ばしいと思える。だって、世界は、世間は甘ったるくない。ここ後宮こうきゅうでは至上しじょう御身おんみだのと敬われるかもしれない。けれど外界はそんなことないんだ。


 一歩でも外の世界に身を投じたら、そこは地獄と平穏の境目さかいめでしかない。少々ふらついても死にかねない。それが世の中が生き地獄と呼ばれる所以ゆえんだ、と私は思っている。


 悲しくて冷たいようだけど。現実を捻じ曲げて教えることでこのコの致死率ちしりつがあがってしまうならありのままを話してあげたい。真に受けるか、の選択はこのコの自由だ。


 できることなら私より長く生きてほしい。鬼妖きよう天狐てんこたちの妖気ようきによって命の時間が他の人間より長くなってしまうだろうが、このコにも多少の加護があって私より……。


 そう願うのも私の仕事だ。世界に向けてこのコへの慈悲じひを願う。それが母の役目。


「あう、ああ、ああ、あああああん!」


「おーう、よく泣くなあ。抱っこか?」


 不意にそう思ったので虎静を腕に抱きかかえてやるとしばらくぐずっていたがややあって泣きやみ、私の緩く整えている髪をにぎにぎ遊びはじめるので退屈だったらしい。


 ひっそりきつねの「男前よのう」なる声が聞こえた気がしなくもないが気のせいだな。


 なので、がっつり黙殺もくさつして虎静を抱いたまま鼻唄はなうたを口ずさむ。原曲もとは知らない。この先も無縁だろう。旅先でちょっと小耳に挟んだだけで憧れすら抱かなかった母の旋律せんりつ


 赤子に母が歌ってやっていた子守唄こもりうたを少し調子緩めに歌っていく。虎静はだんだんうつらうつらしてくる。が、ここで手から離してはまた盛大に泣き喚くから腕に抱いたままあやしてやる。とろん、としたまなこがしっかり閉じた。くぷくぷ、と寝息が聞こえだす。


 だが、そこからも私は歌い続け、腕に抱き続けた。……なんて浅ましい未練みれん、か。


 私だって、生まれたからには「こう」されてしかるべきだったのに。なんて浅ましいことを考えてしまう。一度としてぬくもりを、親の温かさを覚えなかった反動なんだな。


 こうしてしまうのは。ハオがどう思い、どのように私を見ているかの実際は知れないけれど、彼も自らを私の親だと自負じふするなら私にこうしてくれたか? そう、くだらないことを考える。そんなことある筈がないのに。彼は鬼妖だ。おおいなるあやかしである。


 そんな彼が私などを我が子だと思ってくれるだけならまだしも想ってくれて、愛してくれるだなんて妄想もいいところではないか。なにもらない。――今のままでいい。


 これ以上なんて贅沢だ。罰が当たる。愛するひとと結ばれて子をもうけて、そのコを世話できて……。これ以上になにが要る? なにも必要ないじゃないか。そうでしょ?


 トントン。扉を軽く叩く音。ユエに目で頼んで向かってもらう間に私は虎静を赤子用の寝台に寝かせてやる。すっかりぐっすりすやすや、安眠です。で、誰が来たんだろう?


 視線を扉の方に向けて思わず噴きだしそうになってしまったがすんででこらえた私は偉いと思う。ちょ、予定に入っていませんが!? そこにいたひとたちに目が点になった。


 そこにいたのは上尊じょうそん四夫人しふじんのおふたり、美朱ミンシュウ様と桜綾ヨウリン様だったのだから。えええ?


ジン、体調はいかがかしら?」


「ちゃんと休んでいるの?」


「え、あ、はい。や、ええ?」


 混乱。ど、どどどう、どういうことだよ。たしかに皇帝こうてい陛下は上尊のきさきたちには報せるとおっしゃったけど、来訪されるなんてひとっつも聞いていないんですが、私っ!?


 念の為、月に目で確認を取るが狐は肩をすくめただけで反応終了しやがる。しちまったので私は脳味噌が混線パニック状態でとりあえずへやに入ってもらい、寝台から降りてくつを履く。


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