一九五話 稀代の鬼妖、父親の宿業を覚える


「なんの用だ、きつねよ」


「ほっほう? さすがは稀代きだいの鬼。わらわ以上に傲岸不遜ごうがんふそんよ。まあいい。時間もないので端的たんてきに訊きたいことがあったのぢゃよ、ぬしに。ああ、無理にとは言わぬと断っておく」


 こいつ……、我がジンの中に閉じこもっておらねばその細首ほそくびぐきりと捻じってやるというになあ。だが、ない時間をつくってでも訊きたいこととはなんだ? 興味があるぞ。


 我が相手の質問を待っていると天狐てんこが意外なことを訊いてきた。は? みたいな。


「ぬしは静を愛しておるか?」


 なにをわかり切ったことを。この狐、実は阿呆あほうなのか、にぶいのか、バカなのかあ?


 我が愛もなく、情もなく人間如き下等生物の延命に手を貸すものか。いや、あの瞬間は同情が勝っていたが、一心同体となったあとはもう、溺愛できあいと言っても過言でないぞ。


 静以上に可愛い者はなく、これまでは在った。だが、静の産み落としたややのなんと可愛いことか。我が娘の子だからだな、この感情は。静によく似ておるよう思えるな。


 ……これが噂にのみ聞いた「親バカ」というものだろうか。いいバカだな、これ。


 我が子のことで平素はご立派な頭がすっからかんも同然になるのならばこれはこれでありだと我、感想。いやいや、親バカをしておる場合ではない。狐が不審がっておる。


「無論。我の一等大事ないとよ」


「では、静のややに施しをしたか?」


「いや。わかっておればしたかもしれぬが息つく間もなく生まれていきおったでな」


「そうか。なれば静の心配は杞憂きゆうぢゃな」


 ……ああ、なるほど。静が我が子に我の影響があるかどうか心配しておったか。中にいるというか入り込みすぎた場所にいるせいで気がつけなんだ。が、どういう心配だ?


 まさかのもしもで我が「悪影響」だとかそんなことを思うてはおるまいな、静よ。


 もし、そうだったら、我へこむ。これまでの永い、永すぎる時の中でもひとつとして落ち込んだことない我だが、静が我の妖力ちから影響を「悪」だと考えている、そう思うと。


 これ、これが俗にいう「お父さんのと一緒に下着洗わないで」による絶望なのか?


 静、一気に思春期ししゅんきすっ飛ばして歳頃の娘から女になった我が娘に今になって思いだしたように拒絶される、かと思うと我、地獄の果てまで落ち込んでいあがれそうない。


「? なんぢゃ」


「我は静に嫌われておるのか、狐よ」


「はあ? 意味不明ぢゃぞ。この娘がどこでどうぬしを嫌うことができようものか」


「静は我をどう、思うておるだろう。恨んでおるだろうか、無理に生かしてきたと」


「……。かようなる事実は妾、知らぬ」


 ため息。ぼそり、と「あやかしも人間も父親というのは同じことを考えおるのう」だのつけ加えられたように聞こえたが、狐は知らぬ存ぜぬの態度なので気のせいかもな。


 しかし、そんなことを確認する為に静の昼寝きゅうけい(……かは知れぬが)の隙をついて質問をしてくるとは。まっこと油断のならぬ狐だ。我が、静を、愛しているか、か。そうだな。改めて訊かれるとは思わなんだが、そういえば、そうか。このコは、人間なのだな。


 我とは違う。弱くはかない生き物であったわ。いとも容易たやすく壊れてしまう繊細せんさいな命だ。


 だからこそ案じてしまうのだが、それが世間の父親が鬱陶うっとうしがられる原因なのか。加減が難しいことだ。心配で心配で保護したいのにすぎればウザい。父とはじつせつない。


 会話は、密談みつだんは終了した。そう判断して我は狐が繫げた道を断った。これ以上は静が気づくか睡眠の妨げになってしまうかもしれない。そう思ったが為だ。間際に狐の声。


「守るばかりでなく非情さをもって突き放すのも親たる者の務め。わかっておろうが」


 無論だ。これまでも突き放すべき時は突き放してきた。静の幸せを願っている。だがそれは、それだけは静が自分自身で見つけてこそだと思ったが故になにも与えなんだ。


 そのことでずいぶん淋しい思いもさせた。辛かったであろうに、悲しかったし苦しかったであろうに、静は泣き言ひとつ吐かなかった。それで救われるわけでないと悟り。


 それがすでに歳に相応しからぬ達観たっかんだ、と気づくこともできないようになっていた静が可哀想だった。あのむらでの酷な扱いがそうさせたのか、我の水性すいしょうがそうさせたのかわからない。わからないながらに悲しかった。が、大丈夫だ。あのコのそばにはもう。


 あのコを想ってくれる、大事に大切にしてくれる人間もあやかしも大勢いる。それは静が自分で集めたしんであり、しんによって集った者共だ。だから、もう我は不要かもな。


「ぬしの役目は果てぬ。親なのだからな」


 最後に聞こえてきた狐の声はもしや我の願望がつくりあげた幻か否か。間際の声も掠れていたが、この声は囁きのようなそれだった。しかし、嬉しいことよ。親、か――。


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