一九三話 天狐と私の疑問への答、来た


「ところで、ぼうの名前は決まったのかえ?」


「さあ。殿下が張り切ってはいたけど?」


「なんぞよい名をつけてくれるといいがの」


「決まったらまず両陛下へ報告なさるしそこで却下! がでたら考え直すだろうよ」


「……む、う。まあたしかにあの狂喜バカぶりからしてアホな名を考えかねん、しのう」


「だから、名が決まったらまず陛下方に」


 だのと話のお題にあげていたせいか、本日もおいでになったようなのでユエに迎えにいってもらうように頼んで私は一度、赤子あかごの為の寝台に(殿下のおさがり品)吾子あこを寝かせて手早く着替える。今日は交領こうりょう意匠デザインにしておいた。殿下が長居ながいした時に楽だからだ。


 長く居座られたら(ダメではないが)途中でちちをやるのに脱ぎ着しやすい方が良。


 欠伸がでる。今日はちょっとだけ昼寝を挟ませてもらおうかな、とか考えていたら寝室の扉が叩かれて返事をしたら飛び込むように殿下が入ってきてこちらへ一直線した。


 わかりやすっ。いや、マジで本当冗談抜いてわかりやすすぎるだろうよ。秘匿ひとく皆無かいむってのもどうかと思うよ、殿下? もう少し落ち着こうよ。生まれて三日でそんな成長ないって。なのに、殿下ときたら自分が見ていない間にこのコがハイハイしたり、歩く。


 だなどとありえなくて頭っちゃっているようなことをお考えになっている様子。


 だから私は、常識的で現実的な私は苦笑いするしかないわけだが、今日はなにやら様子がことなるのに気づいて「?」と首を傾げた。で、殿下が持っている白い紙に気づく。


 上質な紙だ。それになにが書いてあるのか、なんて訊かねばわからない方が鈍い。


 私が笑うと殿下も笑った。いつも通りの快活かいかつな笑みで私に紙を手渡し、代わりに吾子を抱きあげた。もうすっかり抱っこに慣れてらっしゃるし、おしめだって換えられる。


 出産翌日、いらした時、前日の夜の騒動で興奮こうふんして寝つきが悪くてくたばっていた私がうつらうつらと乳をやり終えて寝台にごろんした時だ。そっとやってきて見事、というかなんというかお約束のように赤子の大用だいように出会ったわけだがこれも父親の試練だっ!


 だのと意味のわからんことを言って緑翠リュスイたちに教わりながら一生懸命換えていた。


 あのね、皇帝こうてい陛下になるひとが、殿方とのがたなのに赤子の世話なんて試練に思ってやる必要ないんじゃないか? とも思ったが突っ込むのも面倒臭かったので悪戦苦闘を笑っておいた私も私だが、許されたい。だってさ、相当疲れていたし、だるかったし、眠たかった。


 その後も紫玉ヅイーと緑翠のふたりに教わって小用こよう湿しめってしまったおしめを換えたり、私が復活して乳をやるのを眺めたりしていた。昼には私も充分眠って回復できたのです。


 できたのですが授乳じゅにゅうを眺められるのははっきりぶっちゃけ恥ずかしかった。ついでに言うと殿下がこの時「今だけ赤子に戻りたいな」と呟いたが正義せいぎ的に黙殺もくさつしておいた。


 なに言っているんだ、あなた。気はたしかかっつーの。なにをおバカ言っちゃっているんだろうか。自分のきさきが子に乳をやっているのを見て羨ましがるだなんて……アホ?


 だのと、心の中がいろいろ黒かったのは疲れていたせいだ、と思われる。その次の日はガン見されようと阿呆あほうな幻聴よろしい呟きが聞こえようと流せた。それこそ清流で。


 そんなこんなを思いだし、怒濤どとう懐妊かいにんと出産だったのも私の特別な思い出にしまっておくにして私は殿下が寄越してきてくれた紙をぺらり、とめくって中をあらためて笑った。


 ついつい笑ってしまうじゃないか。だって、ここまでくるともう天晴だよ、殿下。


 そこに書かれていた達筆たっぴつな字たち。殿下の字だったのだが「虎静フージン」と書かれていたのにはもうあきれも恥ずかしさも吹っ飛んで私も笑うばかり。笑いすぎて月に引かれたが。


 それですらどうでもいい。殿下、私への愛がすさまじすぎやしないでしょうかー?


 と、いうのも訊かない。だって返される言葉に想像がつくじゃないか。ついてしまうのも結構どうかと思うが、いいや。それくらい強く繫がっているあかしだと思えば、いい。


「思い切った名づけだのう、皇太子こうたいしや」


「うん? そ、そうか?」


「親バカなだけでなく妻バカぢゃろ」


「なんだ、いけないのか」


はたで見聞きする身にもなれいえ」


 月の主張はごもっとも。ここまでバカがすぎるとそばで隣で見聞きする方はたまったものじゃないっつーやつ。まあ、うん。たしかに私が月の立ち位置だったらげっそりだ。


 それを思うとよく耐えてくれている。でも、これからまた変化して後宮こうきゅうでの生活がはじまるのならその程度で参ってもらっては困る。と、いうわけで今後もよろしく頼む。


 などとこっそり考えてその日は殿下がつけてくれ、両陛下に認可された名前である吾子の大切な音たる「虎静」をひたすら唱えた。虎、までいかず元気に、と願い込めて。


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