一九二話 この天狐は通常営業(?)だ


 ここには赤子あかごさらう獣も悪意あるひとの侵入もはばむあやかし侍女じじょたちが詰めているので滅多めったなことで大事おおごとにはならないとは思うけど、そこを心配するのは母の役目だから。


 そういう点においては私にも母親の自覚があるんだ、あるのが当たり前なんだーなんて思っちゃったが、普通のことじゃないか、そうでもないのかはわからない。だって。


 母なく、育った私だから。誰かに教わらなければ母親なんて大役たいやくこなせない、できないんじゃないか。そう、心配し、不安に思っていたが本能ほんのうの方がよほど正直で物知り。


 赤子が今なにを求めているか、なんとなく察せるのだから。授乳じゅにゅうのあとだから小用こよう大用だいようかもしれない、だとか。そろそろ寝るのに飽きてくるから起きるだろうな、とか。


 そうして備えていられるので特別身構えて緊張している、ということがあんまり。


 自然体で振る舞えているらしい。なによりですね、とかなんとかここ数日を思いだしながらユエが冷ましてくれた白湯さゆを静かにすする。はあ、美味しいねえ。寝起きの白湯。


 ……なんかばばくさいが勘弁。なんて誰にするともなく願いつつ茶碗ちゃわんを置いて子が泣く前にちちを左右変えてやる。すぐ反対の乳にしゃぶりついて一生懸命吸って飲んでいく姿があまりに無防備でちょこっと怪しく思えるが、このコにあやかしの力はあるんだろうか?


 今のところそれらしい力は発揮はっきしていないながら紫玉ヅイーたちの話によるとすべてに共通している、ほどでもないがあやかしにどれくらいの力が宿っているか、は不透明だと。


 少なくとも赤子の時にわかるほど強力なさまは見受けられないそうで力が発現はつげんして幼児くらい歳になってからじゃないか? だとか言っていた。……ふむ、まあたしかにね。


 私の乳から妖力ようりょくをえているわりにこのコから妖気ようきらしきものは感じられないのでよほど奥深くに秘められているか、もしくは妖気の受け皿が私と同じよう大きく深いのか。


 つまり、強いあやかしと手を取りあうことができる体質からだは備わっているが、私のように内側にハオを宿しているだとか、そういう手の特異とくい体質たいしつではない、なさそう。つまり。


 ほぼ人間と同等。特筆とくひつして妖気の受け皿が私に似て莫大ばくだいだ、という点が挙がるか?


 だったらいいんだ。このコが私のせいで将来不利をこうむりさえしなければそれだけで私は安心できる。その頃私がどうしているかは不明だが、あの夢が正夢まさゆめだったならたくさんの子に恵まれることになるだろうか。だったら、今はこのコだけを目一杯愛そう。


「んく、く、ふは、ぅー、けっぷ」


「はい、上手じょうず上手」


「上手はぬしぞ。引くほど手慣れおって」


「そうか? 日に何回もやるんだぞ、これ」


「で、あっても慣れすぎぢゃろ。まっことたくましい母御ははご殿ぢゃて。のう、ぼうや~い?」


「うー?」


 冗談じょうだんめかす月が首を傾げて吾子あこを覗き込むとつられたように赤子の方も首を傾げようとして据わっていない首がかっくんしそうだったので、私は慌てて支え、月をじろり。


 睨まれたきつねはだが悪びれるでもなく吾子の鼻を指の関節付近でつまみ、放しを繰り返していき、ややあってくしゃみが「はくちんっ!」したのを高らかに笑って見てやがる。


 こいつ、赤子に容赦ようしゃというのをしないのか。普通というか当然思考で赤ん坊に手を抜くんじゃないか? なのに、こいつはまるでというかお構いなしで通常営業(?)だ。


 通常の、他の、周囲に対するのと同じ態度で接している、のは月なので「赤子だからと特別扱いなどわらわはせぬぞ~?」という宣言になるだろうな。未来の天子てんしにも無加減。


 うーむ、どうしたものか。いや、いいのかもしれないが? まわりにうやまうばっかりの人間ならぬあやかしばかりじゃない方がこのコの為かもしれない。世間せけんとは広く残酷。


 それを幼い頃から身にみて知っている方がいい。私のように知りすぎて妙にさとってはならないが、甘やかしてもらえるという不自然な当たり前は世の中にはありえない。


 ここに、このごく限られたゆりかごの中でのみ実現しているだけ。世間にでれば途端とたん冷たい声や力にさらされる。そうなった時潰れるようじゃ男児だんじとしてダメすぎるから月がこうして耐性たいせいをつけるがごとく動いてくれるのはいいことだ。が、首はやめろ。危ない。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る