一八六話 みなさんびっくり。このひとも


 ……。角なし。牙もなかった。耳も普通の人間と同じ形。小さな唇、小さな鼻。細くて小さく頼りない手足。ごく一般的で普通の人間と同じ姿の赤子あかごはぐっすり寝ている。


 腹が膨れて寝てしまう。本能のままだな、だのと思ってしまう私は変だろうなー。


 普通、自分のちちを飲んでお腹いっぱいでぐっすり眠っているんだ。可愛いと思って幸せな気持ちになれる。それが一般論だな。可愛いは可愛いが急すぎて頭がまだ混乱中。


 本当に、とか。私のこども、とか。不安と幸せと惑いと安堵がごちゃ混ぜになっているのが誰に指摘されなくてもわかるもの。だってさあ、行為から丸一日後には赤子がいて腕に抱いていて、乳をやって、寝顔を見ているなんて誰が想像できるよ? そいつ変。


 変だろ、どう考えても。それにみんなの反応からしてもここほどの超速度で赤子が生まれるなんて例、あやかしですらないというかなかったんじゃないか? 多分だけど。


 その証拠が紫玉ヅイー緑翠リュスイたちの慌てぶりにでていたし、珍しくというか驚きな具合にあのユエが慌てていたことだし。あやかしとして、人間よりよほど長く生きてきた数百年分余計に経験豊富なみなでもびっくりしたんだな。つまり、私が驚いていても許されるね。


 でも、それもこれも「このひと」の驚きには到底、及ばないものなのでしょうな。


「ジ、ジン……? 月から緊急だと。なにが」


「え? ちょ、月、言っていな」


「ぬしから言うた方がよかろう?」


 いや、たしかにそうなんだろうけど、言えと。この状況、事態をまだ混乱して自分でもしっかり把握して落ち着けていないというのに。てめえ、きつねじゃなくて鬼だろじつは。


 そうは思ったが、月の背についてきている殿下は寝室前の侍女じじょたちの様子からなにかが起こったとはわかっている。ただなにが起こったかまではわかっていないようです。


 私は両腕にある重みをちらりして月に目でとある方々へも「お使い」にいってもらうもしくは伝言をしてもらえるよう頼んでどいてもらった。月はおよそいつもの月らしくない顔で微笑み、うけたまわって殿下の前から避けて去っていった。へやにふた、いや三人になる。


 殿下は私が大事に抱えているお包みに気づいたが、でもそれがなにか、というところまでは想像ついていないし、おそらくもなく予想だにしていないことだろう。だって。


 私だっていまだに信じられない。殿下がわからなくて当たり前。彼だって後宮こうきゅうで生きていた禁城きんじょう殿方とのがた。一般常識くらい当然ある分「これ」が通常ではありえないってのは私以上にわかっているからどうして月が夕餉ゆうげ、をとっている最中さいちゅうだったかもしれないな。


 だけれど夕餉が途中でも引っ張って急ぎ連れてきた理由がわからない。緊急だ、と言われただけで察せられたらすごい。そして、どういう状況かわかったらもっとすごい。


「え、ええと、静? いったい何事だ?」


「あの、突然すみません、殿下」


「いや、静が緊急事態だったのだ。構わない。が、いったいなにが緊急だったのだ」


「あえと、その、う」


「う?」


「……生まれました、子が」


「……。……。……は、い?」


 私が事実を単刀直入に告げた瞬間、殿下の時間が確実に一寸ちょっとだの一瞬だのでなく停止したのが知れた。で、沈黙しばしのち殿下がようやくの思いで絞りだせたのは短い音。


 と、いうか単音が二個だった。なので、私は寝台の上をずりずり移動して殿下のそばにいき、腕に抱えている我が子が見えるようにした。びしっ! 殿下の体が石化した。


 そんな気がする。だって、そういう感じな音がして、かっちーんと固まってしまわれましたもん。だよねー。私も逆の立場だったら同じか叫ぶ、なりの反応したと思うよ。


 私は殿下を見上げ、殿下は私と御子みこを交互に見て口を開いて閉じて、を繰り返す。


 衝撃のあまり言葉が行方不明か、なくなってしまっておいでのご様子。ひたすら口をパクパクさせている殿下はいつもの毅然きぜんとした凛々りりしい黒瞳こくどうに動揺狼狽驚愕困惑を浮かべていらっしゃる。わあ、いろんな感想がたくさんでてきているね、殿下。私、なんて。


 もう、驚いて、感動してでも乳をあげなくちゃだったりのお世話をさせてもらってもうなんかいろいろ感情の波の爆発はし損なったまま不発に等しい感じですぎてったよ。


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