一八五話 生まれた? 生まれたの?


「おめでとうございます、ジン様」


「は、はっ、へ?」


「元気なおのこでございますよ。さあ、抱いてあげてください。あやかしのが強いのでしょうね、私が母御ははごでないとわかって警戒して。もう起きあがっても大丈夫です。さあ」


 緑翠リュスイがそっと、差しだしてきた白いおくるみ。私は握りしめて千切れそうになっている布を放して紫玉ヅイーに手伝われて起きあがり、緑翠からお包みを受け取った。そして途端とたん


「ふえ、ふ、ふぎゃあ、おぎゃあっ」


 元気な、ちょっと瀕死ひんしに近い私の脳髄のうずいには響きすぎる泣き声が聞こえだした。つまりこれって母親に抱かれて安心したってことか? 泣いても母が守ってくれるから、と?


 なんて現金な。ってのは普通じゃない感想だな。誤魔化ごまかしだ、ただたんなる。だって私が親になるなんて。それもこんな、いろいろと思い悩んだり、いつくしみを抱いたりだのいう感慨かんがいを持つ間もない超特急で生まれてくるなんて……。もう、あやかし恐るべしだ。


「っ」


「静様、ちちが張ってまいりましたね。御子みこ様もお腹がすいたようですし、早速ですがお乳をあげてみましょう。最初は母も赤子あかごも慣れないので時間がかかるかと思いますが」


「え。あ、うん」


 紫玉に言われるまま私は斉胸さいきょうの服を(着替えるなんぞなかったし)脱いで片方だけ乳をだしてそろぉー、と赤子の、私の子の口に乳首ちくびを寄せてみた。ら、そのコは開いていない目で見えないながら小さい手で探り探り私の乳をむに、と掴んでしゃぶりついた。


 く、くすぐったい。けどちゅ、ぢゅー、と音を立てて一生懸命吸っているし、パンパンに張って痛い乳房ちぶさに溜まった液体? 力? が吸いだされていくのが感じられた。わあ。


 ええと、紫玉? 慣れないうちは時間かかるって言ったよね。このコ即行でぐびぐび吸って飲んでいるんだが。いや、いいけどさ。多分、本能(?)が強いんだ。たくましい。


「まあ、乳を飲むのが上手じょうずなコですね」


「いいのかなあ」


「よいですよー。この飲みっぷりならご立派な殿御とのごに育つのではないでしょうか?」


「は、ははは、は……」


 紫玉の冗談に私は乾いた笑い。それって殿下二号のような男に育つってことであっているかな。昨晩私のこと抱き潰す、まではいかなくてもかなり愛してくれたあのひと。


 ……。待て、私。のんびりまったり赤子に乳をやっている場合か? これってばいろいろ諸方向にご連絡というかご報告しないとならない一大事じゃあない? ねえねえ?


 でも、赤子は片方の乳では満足しなかったようでもっと、と言うように一度乳首を放して泣きだしたので、私は一旦連絡どうこうは置いて上半身裸状態で逆の乳を吸わせてやりはじめる。左の乳を吸っている赤子は「んくんく」とじつに美味しそうに飲んでいる。


 美味しいんだろうか、乳って。動物の乳は飲んだことあるが人間やらの、母親の乳なんて飲んだことがない私はわりと素朴そぼくに疑問だが、左の乳房の張りもおさまってきた。


 赤子も満足そうにむにゃむにゃしているが、すぐ紫玉の指導が入り、私は赤子の背を優しく叩いてげっぷさせる。で乳と一緒に大量に呑んでしまった空気を吐かせてやる。


 そうしたら、今度こそふあ、と欠伸しておとなしく寝息を立てはじめた。紫玉が一度預かってくれた少々で私は服を正して帯を緩く結び、再び腕にもらってそしたら……。


 ――ぽつ。透明なしずくがひとつ、ふたつと赤子の頬に落ちていく。泣いている、私?


 嘘のような話だが私はどうやら自分が母親になった自覚と同時に安心と喜びで胸が震えて泣いてしまっているらしい。よかった。無事に生まれてきて。めちゃくちゃ急でむちゃんこ早すぎてお母さんは脳がついていかなかったけどね! でも、無事でよかった。


 しばらく無言で泣いていると産後の片づけをしていた緑翠が寝室の外にそっとでていって直後、押し殺していたが歓声が聞こえてきた。緑翠の「しーっ、しーっ!」の声。


 急すぎる超展開がすぎてこちら、私以上に泣いているらしき芽衣ヤーイーのしゃくりあげる声や他侍女じじょたちの喜び悲鳴な声。そして、階段を急ぎのぼってくる軽快な足音がふたつ。


 外で話し声がする。静かな声と落ち着きに欠けている男のひとの声がひとつずつ。


 で、紫玉がそばを離れて扉のところに寄っていき、開けて外に小さい声で何事か言っているのが聞こえてくるが私は我が子を見つめる。つい、その、気になってしまって。


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