一七九話 まじめな話のち、お・仕・置・き♪


ジン、無理をするな」


「殿下」


「平気な筈がない。誤魔化ごまかしていつわり笑うな」


「ですが殿下、私、は誰の顔も、きょうだいの顔すら思いだせないんですっなのにそれなのになにがどうして未練みれんが生まれましょう。ありえないものになんかすがりたくない」


 ありえないもの。それは夢であって幻。ひとを惑わして時として心を完膚かんぷなきまでに叩き潰す甘美かんびな罠。おぼれてしまったら底なし沼のそこからは抜けだせず沈むばかりだ。


 そんなの、私、らない。そんな、幻想に縋るなんて愚かしい真似したくないよ。


 だって、間抜けだもの。恥ずかしいもの。惨めじゃないか、そんな阿呆あほう臭い真似。


 だから私は声を大にする。縋りたくない。愚者ぐしゃの道を進みたくない。賢者けんじゃは歴史に学びて愚者は経験に学びをえる。そんなことわざがあったっけ。自ら愚者にちるなんてバカ?


 自分からバカになって、愚かな道化どうけとして語りかけるのか? 返ってくる答なんて知れているのに。ずっと変わりなく化け物と呼ばれる。「小姐ねえさん」など夢見がすぎる。


「静、現地視察しさつは北の戦に詳しい禁軍きんぐん内でも厽岩ルイガンと対をなすツァイ家の沐陽ムーヤンが同行する」


「ツァイ、ムーヤン? 殿、下……?」


「頼む。自分を偽って笑うのはやめてくれ、静。俺の心の臓が潰されてしまう。俺は静にそんな顔をさせたくはないし、もう二度と敵の手に堕としたくもない。だから――」


 だから、殿下は自ら身を引き、その蔡沐陽というひとに私をたくした。ということ?


 殿下がいけば、同行すれば私が必ず殿下を庇い、殿下も私を庇えばそこからあの下世話げせわな邑人たちが私たちの関係を邪推じゃすいしては厄介なことになる。そう、ちゃんと学んだ。


 殿下は泉宝センホウの一件を私以上に引き摺っていて後悔しているご様子だし、きちんと学ばれたのならそれこそ天琳テンレイにとっては僥倖ぎょうこうだろうな。いずれ国を引っ張る天子てんし賢明けんめいで。


 ……ただし、「それ」と「これ」は別だ。


「お話はころりと変わりますが、殿下」


「? なんだ?」


四夫人しふじんたちにあなた様の後宮こうきゅうり方の説明をおこたった理由をおうかがいし、て、も?」


「ぐ、えっ!? ぢょ、静? よ゛せっ」


 なにをよせ、やめろとおっしゃられているかというと以前殿下が私に喰らわせたこともある腰挫こしくじきの本気版だ。まじめにマジで腰を挫くつもりでやっていますので、私は。


 だって、四夫人に選ばれたきさきたち、だというのにあんまりな扱いだと、私そう思いましたんですよねえ、殿下? つくり笑いはそうでも今度のこれは黒い心が前面にでないよう笑顔でふたをしたことによってできあがった笑みだ。これに殿下は危険を覚えた様子。


 なにの危険か、というと。いろいろ? 身の危険と同時に精神の危険を覚えられた模様であります。殿下、せっかくの綺麗なお顔がひきつっているけど、どうしてかな~?


「で、ん、か?」


「違、待っ、静……でる、内臓的なものが」


「そうですか。なにかの芸ですかー?」


「な、ぜそうなる、の、だ? や゛めでぐで、静。本当の本当に、いろいろまずい」


「……ご説明いただけますね。後日各に」


 私の問い、と見せかけた脅迫きょうはくであり、恫喝どうかつ紛いの言葉に殿下は必死で首を縦に振る振りまくった。まあ、本人的にはマジで必死、本当に命が懸かっていたらしいので当然?


 いや、女である私の締め技程度で男である殿下が死ぬわけないんだから、うん。大袈裟おおげさな反応するなー、殿下ったら。殴ってやろう、と思っていたが思わぬ体勢になったのでことのついでとばかり締めあげてしまった。これじゃあもう殴るのは認可されないな。


 うーん、残念。とか感想抱きつつ殿下を締めあげていた腕の力を抜いた、ら。殿下がぶっはああぁ! という具合に思いっ切り息を吐いて呼吸にせ、あえいでゲホゲホと。


 あれ? 私の力そんなに強かったか? おかしいなあ、きちんとちゃんと手加減した筈なのに……。と、いうことは殿下の鍛練たんれん不足、だな。私の加減はおかしくないもの。


 ダメだな、殿下。いくら皇太子だといったって最低限の武芸ぶげいは積んでついでにいうと体力筋力他諸々もつけておかないと他の国の皇太子こうたいしたちにおくれを取ってしまうだろう。


 まあ、まれにあの泉宝の皇太子たる然樹ネンシュウのような優男やさおとこ智略ちりゃくせんを得意とするようなひともいるだろうが、基本はよほどでなくば体力勝負で武芸をみが皇子おうじが多いと思われる。


「静、その、茶会ちゃかいはどうだった?」


「楽しい一時ひとときでしたが、どこぞの誰かさんが説明をすっぽり抜かしていたお陰で最後の最後これまで味わったことがないほど強烈な頭痛をいただきました。ね、誰かさん?」


「うっ、す、まなかった。だからそんな目で見てくれるな、静。まるで俺がうじみた」


「みたい? そのものではありませんか、殿下。四夫人たちの、特に紅楓ホンフェン様の困惑のほどは憐れの域でございましたし、凛鈴リンレイ様にはらぬ心配をかけてしまい心苦しくさえ」


「う、うっ! ……えっと、それでぎょせそ」


「御す? 殿下、これ以上失言を重ねる前にお黙り遊ばせた方がよろしいですよ?」


 気のせいだろうか。殿下がこれまで見たこともない表情、というか私には見せたことがない顔を私に向けた。ついでに言うとすっごい驚愕きょうがくと恐怖をたたえた表情でした。え?


 それってアレじゃあないの? 皇后こうごう陛下、彼女に向ける「ひっ!?」っつーような表情だったんですが。え、私ついにあの領域に足を踏み入れられたのか? え、やった!


 多分、言ったらそれはそれで引かれると思うが嬉しいじゃないか、皇后陛下と同じところ突入できたってことは私に皇后の素質がある、あったってことでしょう? 違う?


 別物なのだろうか、これは。皇后の素質とは別の域に梓萌ズームォン様はいらっしゃる、ってことかねえ。それはそれで目標が先に伸びたってことで私はまだ先を目指せるんだろう?


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る