一七八話 ああ、やはり私は冷たい水性の女


「その」


「はい」


「現地に視察しさつにいってつとめにつとめられるように改善されていれば信用回復のを与えるのに残す。なにひとつ取り組まずいるのならば焼き払われようと致し方ない、そうだ」


「なるほど。視察には私と誰が向――」


「っ、ジンがいくことはないだろう!」


「では、他にあのむらの過去と現在を忖度そんたくなく見比べて判断できるひとはおいでで?」


「……そ、れは」


 殿下、お優しい殿下。私を派遣はけんしたくないお気持ちは察します。私とて進んでいきたいわけではない。ただ、適任だから。それだけだ。それ以外にはない。他意、なんて。


 命じられたことを淡々とこなす。それでいいんじゃないか? ダメなのか? どうしてダメなんだよ。だって、心をこめて接したってなにが変わるでもない。あいつらは私のことなんてずっと動いてしゃべって時折意見する生意気な貯水庫ちょすいこくらいにしか思ってない。


 私の意思など瑣末さまつでしょうに。皇族こうぞくのあなたたちはこれまで通りそうしてこの国、天琳テンレイを守ってこられたのでしょう。なにを迷い、戸惑い、困ることがあるのでしょうか。


 ……私に、あいつらをどうしたい、こうしたいなんて希望はないけどね。やつらが私の妖力ちから以外に無関心だったのと同じ、否、それ以上に私はやつらへの関心がなかった。


 親に当たる存在やきょうだいたちにも。一切関心を抱かなかった。その方が楽で。


 それはひょっとして間違っていた、のか。私は、私こそが愚か者で怠け者だった?


 わからない。一般教養は叩き込んでいただいたが、常識は別だった。世間様が言うご大層な一般常識というのが私には備わっていない。悲しくて、痛くて、仕方ないけど。


「殿下、お気遣いのほどは嬉しく存じます」


「静……」


「ですが、いずれ決別であれなんであれ道を決めて進まねばならないことなのです」


 そう。いつか必ず、そうしなければならない時がやってくる。これはちょっと想定外の間でやってきてしまったというだけのことだから、大丈夫。私は、大丈夫ですから。


 私は殿下が安心できるようににっこり笑う。で、それも束の間。私はすぐ表情が驚愕きょうがくに染まる。殿下に腕を掴まれて彼の胸の中に、腕の内側にさらわれたからだ。え、あの?


 困惑し、混乱する私に殿下はしばらく黙ったまま私を抱きしめていた。ちょっと苦しいほど強い、腕の力。でも、どこまでも優しい抱擁ほうよう。想いの強さを再認識させられる。


 殿下が私を想ってくれる気持ちの強さ。そして、それに比例しているか、は正直まだ曖昧にしか愛というものを理解できていない私なので気持ちの強さに、ずれがあるかもわからない。わからないけど、わかることもある。私は腕を伸ばして殿下の背に添えた。


 彼の着衣ちゃくいの背を握りしめる。ぎゅ、と強く思いっ切り掴んですがって痛み噛み殺す。


 生まれ故郷こきょうに危機が迫ろうが微動もしない心を恥ずかしく思うべきだろうか。それともあの邑のクソぶりを正当評価しているだけだ、と自己肯定して褒めてやるべきかな。


 わからない。わからないが、なんの思い出もない、苦しみと痛みと惨めさと空虚くうきょしかなかった邑が消えると思った瞬間、どうしてか胸がおどるのと同じだけ潰れそうだった。


 どうしたいのよ、私? あんな場所を残したいとでも言うのか。あんなクソっ垂れた人間のうみが腐ったような人間共が暮らしているだけのあんな邑を救いたい? バカな。


 そんなわけない。ありえないくらい誰の顔も浮かばない。つまり思い入れもない。


 そんな地に未練みれんなどない。……ない、筈。


 ないんだよ。あるわけないだろ。それともなに、この緊急時に私はまだ、捨て切れていない期待を持っている、とでも? 両親は、もうどうでもいい。でも、弟妹は――。


 あのコたちはなにも悪くない。なにも聞かせていない両親が悪い。その道理どうりがわかってしまうから期待する。してしまう。小姐ねえさん、と呼んでもらいたい。そんな、未練。


 浅ましく、醜い。ああ、結局私も人間だ。こんなふう期待してしまうなんて、あのコたちが言うことなんて想像つくだろうに。無視してでも確認したいんだろうか……私?


 どうして? なぜ、期待する。いまさらじゃないかそんなもの。「式無しきなし」だの「鬼」とさげすまれてもなにひとつ言い返さなかったのに。なんで、こんな間際まぎわに惜しくなるの?


 顔すら思いだせないきょうだい。私を小姐あねと認識していないきょうだい。……だというのに、無性むしょうに悲しくて、つらくて胸の奥がじんわりじわじわ潰れていく。そんな心地。


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