一六六話 どうせ、どうにもならない


 ……。いいや。どう転ぼうが私に決定権はない。それは皇帝こうてい陛下や皇太子こうたいし殿下の判断することであり、決めるべき仕事だ。私は決定にしたがうまで。進んで助けたくはないが。


 あのむらで味わわされた泥汁どろじるの味が口の中に蘇ってきた心地。不快で腹立たしいな。


 あんな場所、あんな腐った地を守る必要があるんだろうか、という気持ちと私のことがうわさとなってあの邑にやくを降らせるとなれば邑の連中は面白くないだろうな。それも。


 私という水の引手ひきてがいなくなったあと、あの邑はマジ機能できていたんだろうかと感じるほどになにもしないなまけ者の集団だった。そして、口を開けば私をののしるクソ共だ。


 心配なんてない。どうでもいい。じつの両親やきょうだいですら。だってそいつらは私にとってそういう存在としてってくれたことなんてひとつとしてなかった。なのに、いまさら私にすがるなんて都合つごうがよすぎる。出陣るとなれば地の利がある私になる筈だし。


 そうなれば、私が鬼面おにめんをして現れればやつらはこれ見よがしに吹聴ふいちょうしたり、私に全責任を押しつけたりするに決まっている。あそこの人間はんで腐ったにおいがするやから


 けど、だからといって素顔でいったところで状況が大きく変わるとも思えない。むしろわるくすれば私の現立ち位置を知ればたかってくる。あいつらはそういうの、なのだ。


 やつらは私の偏見へんけんだ、とか主張するだろうが、実際やつらが私にした仕打ちでいえば私の主張の方が正当だ。産み落とされてもない私を生贄いけにえにした。生き残った私を利用し、搾取さくしゅしてきた。てめえらの理不尽りふじんがんとして認めず、私がすべて悪いと言い張った。


 鬼の娘、生かしてやっているのに恩知らずにも逆らうならでていけ、と私を追いだしてくれたのに、いまさら引水いんすいする者がなく上納じょうのうする作物さくもつに困るから助けろ、なんてね?


 そんなはじ知らずで寝ぼけたことは普通言わないと思うが生憎あいにくやつらは普通じゃないので通りかねない主張なのである。亀装鋼キソウコウが、あの因縁いんねん深い地をほろぼしてくれたら……。


ジンよ、ぬしこそらしくな、いや、それでこその人間らしさであろうな。あの腐れ邑での因果いんがはそれこそぬしを果ての果てまで追い詰めてしまう。さぞかしみじめな心地よな」


「わかっているなら言うな。私が自分でわかっているさ。弱くて惨めで憐れだって」


「……そこまでは言うておらん。当たり前にぬしはあそこをにくむべきなのぢゃから。それをあく、と断じる者こそひとの心が寸分すんぶんたりとてわかっておらん真正しんせい阿呆あほうぢゃろ?」


 ユエの冷静な言葉で沸騰ふっとうしかけた脳が冷えていくのがわかった。わかってはいる。私だってバカじゃないが、いっそ、本物のバカになれたらどれだけ心が軽かったことやら。


 バカまっしぐらで本能と気の向くままにあの邑を私が手にかける。そうしなかったのは人間らしく在れ、と言ってさとしてくれたハオの言葉に従ったからだ。平和が維持いじされるなら私ひとりが惨めで悲しいのは仕方がないし、どうしようもない。そう、あきらめていた。


 けど、状況は変わった。私には大事だいじだ、と言ってくれるひとができて、私もそのひとのことが好きで……。浩の諭す通り手をあげなくて、血を流させなくて、殺さなくてよかったと思っていたのに。なのに、こんな時にこんな話を聞くなんてホントいやな感じ。


 邑がひとつ焼かれるだけならばもう、放っておいていいんじゃないか、と思うよ。


 あんな場所あったってなくったって誰もそんしないし、とくもしない。殿下が言っていたじゃないか。あそこは特等とくとう美味うまい農産物をつくるから慰労いろうの包みを渡していたのだと。


 そして、それは私が邑にいた時まで。以降は通常のにすら困っているからお慈悲じひをいただきたいむねを携えて使者つかいが来たこともあった(月の盗み聞きによると)らしいが。


 これについては皇帝陛下も疑問を抱いた。つい一年と少し前まで豊富ほうふな、北の奥地には似つかわしくないほどの豊穣ほうじょうを受けていた地がなぜ枯渇こかつしたのか、特等品がつくれない状況になったのか、についてをとばりの向こうから問い質したが、使者は口をにごすばかり。


 一度その場は開かれ、のちに殿下が陛下に説明したそうだ。私から水の恵みをしぼり取っていたばかりか、特殊調合が必要なあやかしの水を農業のうぎょう用につくらせていてそして。


 私がその邑で実際どのような暮らしぶりであったかを私のみやに入り浸ってえた情報をすべて流して罰金を科してもよいと思いたい、私に惨めと残酷をいた罰にと訴えた。


 が、陛下は殿下の私情しじょうがおおいに混ざった意見を聞くだけ聞いても私が訴えないなら私的してき制裁は認可できない、と冷静な判断をくだされた。うん、それが普通の処遇だな。


 ただし、それこそずるをしていたことを釈明しゃくめいもせず、ただ免除めんじょを願うおろか者に優しくしてやる義理ぎりはない、との判決も同時にくだされたようだ。後日、邑に自助努力じじょどりょくをせよ。


 がくがない農民にもわかりやすい文言もんごんをわざわざ文字を読みあげる文官ぶんかんをつけて届けさせたそうなので。……そう、陛下は、陛下が正しい。殿下の無念も私の憤怒ふんぬも及ばん。


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