一六一話 昔に比べたら微笑ましい、と


「あ、あの」


「? はい、なにか」


后妃こうひ、と皇后こうごう陛下がおっしゃったということはえとジン様、でらっしゃいますか?」


「失礼。申し遅れました。后妃候補、の静と申します。雪梅シュエメイ様、お体が弱いので?」


「ああ、の、そういうわけではないの。ただ、彼女が、蒼蘭ソウランが「いまさら教養が必要なほどダメだと思われたいわけ?」と言って、他のきさき様方はひとつもでていない、って」


 あの女、どこまで腐っているんだ。


 本当にマジでたいした成分抽出ちゅうしゅつできないだろうから肥溜こえだめにでも落として一緒に攪拌かくはんしてやろうか。微生物びせいぶつの量では汚物おぶつと同等ほどはありそうだし、いい発酵はっこう材料になる。


 殿下へのいらりがあの女に向いているんだろうか、私。それともそこほどいらつかせられたという意であっている? あの女、主人に嘘ついただけでなく陛下にまで大嘘を。


 ま、いっか。アレはアレで片づいた。今私の中で問題なのは約一名の思惑おもわくの方だ。


 殿下の妃選定せんていに口だす無粋ぶすいじゃないが、そんでもかたよりすぎていると思うんですが?


 それに、このひと、雪梅が皇后陛下の言だけで私の名前まで知っていた、ということは殿下が事前に后妃は私で他妃たひたちに「お前たちは四夫人しふじんとして入れ」と宣言でも?


 ちょ、やめてくれない、殿下。恥ずかしいことこの上ないんですけど。しかもまかり間違って曲解きょっかいされたら私が殿下にびて后妃の座を射止めたみたいになっちゃうだろ。


 さらに誤解が誤解を呼んだあかつきにはもう、なぐりあわない戦闘バトルが開幕してしまうよっ!


 いやだー。私は物騒だが平和主義のフリをしていたいと考えられるように、この頃ようやくなったというかなれたんだから物騒に引っ張り戻さないでちょうだい、本当っ。


 言語げんごでも殴打おうだでも負ける気はしない。口悪いし、手足は非常に飛びだすのが早い。


 と、いうか殿下。まず私はあなたを一発ぶん殴って差しあげるべきでしょうかね?


 じゃないとこれってばなによ、公開処刑もしくはさらし者にでもして楽しんでいる説を提唱ていしょうしますが、私。それくらい恥ずかしい。まだたかが候補なのに、確定周知しゅうちって。


 気が早いにもほどがある。皇后陛下は嬉しそうだけど。なんでかは知らねどもさ。


「静様は、本日陛下に御用が?」


「それですが、私もまだ勉強中の身ですので授業を受けに来て雪梅様と同席を、遅れているからよかったら不明点があれば補足してあげて、とそういうところでございます」


「えっ?」


「雪梅様、失礼ながらあの女の言はすべてが嘘とあざけりであると考え直された方がよろしいかと思います。先でまたご一緒する機会があると考えられるのでよろしく願います」


「静様はあの、どれくらい授業を……?」


「? 後宮こうきゅう入りが決まってからずっと」


 私が簡潔かんけつに答えると雪梅妃が気持ちぐらり、とよろめいた気がした。なに、なんだどうした? 急に具合が悪くなったのか。貧血かもしくはなにかで気持ち悪くなったか?


 だが、よろめきの理由はすぐ察せた。真っ青な顔でガタガタと震えだしたからだ。


 で、皇后陛下の背をちらちら見ている。授業を蒼蘭の言いなりでずる休みしたとががくだるかもしれない、って思っているかね。そんなことくらいで怒らないよ、皇后陛下は。


 彼女の背が如実にょじつに語っている。后妃候補と賢妃けんひ予定で入内じゅだいした私たちが早速ながら打ち解け、ているかは激しく疑問だが、それでも対等に口を利けているのが喜ばしいと。


 陛下の時代の後宮は蹴落けおとしあいの嵐だったそうだし、平和でいいわー、ってか?


 そりゃあ、陰口かげぐち悪態あくたいと足の引っ張りあいが常だった暗黒ドロドロ後宮時代を知っている陛下としては私たちの平穏へいおんなやり取りは微笑ましい限りだろう。想像したくない。


 皇后陛下が生き残った時代の後宮の様相ようそうきらびやかな花園はなぞの、と見せかけて弱者じゃくしゃ怨嗟えんさ怨念おんねん呪詛じゅそ、そして冷たくくらい毒が揺蕩たゆた箱庭はこにわ、だなんて。梓萌ズームォン様の話では当時、後宮入りが楽だったのもあり、皇帝こうていちょうきそあらそい、夜の訪問を争って結果、ねやが負担に。


 なるほど、と妙に納得した。当時最も輝いていたのは現上尊じょうそん貴妃きひ美朱ミンシュウ様と上尊淑妃しゅくひ桜綾ヨウリン様。そして、現皇后陛下で皇太后こうたいごうとなる梓萌様の三妃さんひみやへの来訪が多かった。


 美朱様にもお子がいて不思議はなかったが、つきの痛みが重く、時期も不順ふじゅんだったのが悪かったのか、をつけられなかった。代わりに梓萌様は殿下を、桜綾様は優杏ユアン様を。


 三妃のうちふたりが子を授かった、というわけだが皇帝陛下はそれで美朱様を気にかけてくださり、上尊にくらいあげしてからはさらに気遣ってくれるようになったんだとか。


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