一五七話 皇后陛下授業に相席するのは


「いらっしゃい、ジン


「お邪魔いたします、皇后こうごう陛下」


「あら。もうすぐあなたが皇后陛下よ?」


「気が早いのと他のきさき様方に睨まれます」


 私の返答に皇后陛下――梓萌ズームォン様は頬に手を当てて困ったように笑った。で、勉強の為のへやに移動がてら教えてくださったのはある程度予想してはいたがまあ予想外の報せ。


 皇后陛下の前なので円扇えんせんを顔前から外している私に陛下は困った、というよりはどこか申し訳なさそうに眉尻をさげて口にした。これ、私にとって予想外のことだったが。


「体調が優れないから、というので初回以降ずっとお休みだった妃を一緒に授業させてちょうだい。他の妃たちに比べて遅れてしまっているから不明点は教えてあげてね?」


「それは、構いませんが、どうしてまた」


「うーん。そのコ自身はまったく問題ないのだけどちょっと困ったおともがいて、ね」


「供、というと侍女じじょですか?」


「ええ。でも」


 そこで皇后陛下はひそ、と声を落とした。囁かれた内容を頭の中、一〇回ばかし反芻はんすうしてしまった私は悪くない、と思いたい。だってびっくりすぎるだろうが、そんなの。


「事実ですか?」


「本人に確認しましたが得意満面で肯定こうていしてきましたし、他の上尊じょうそんたちの前でも同じ態度だったようでわたくしにいさめられないか、と相談が持ちあがったほどだったのです」


 うへえ。皇后陛下、声がなまり色です。つかマジか、それはたしかに頭が痛くなるな。


 他の上尊四夫人しふじんたちの前でも同じ態度って隠す気なしとかどんだけだ。そりゃあアレだな、こう言っちゃなんだが殿下が見抜き切れなかったのも仕方ない。そこまで神経まわしていたら殿下の精神がぼっする。でも、なおさらその妃に注意してあげてほしかった。


 殿下の精神の安寧あんねいに懸けて留意りゅういすべきだったんだろうなと過ぎ去ってしまった時間を悔やむばかり、ってな。まあ、殿下もそう、夢にも思わなかっただろう。まさか、だ。


 だってそんな、たかが侍女が殿下のちょうを狙っているだなんて。どんだけ自信家よ。


 普通、侍女って主人を立てて、引き立て役になるべきなんじゃなかったっけ? だというのに場合でその侍女は主人である妃を蹴落けおとそうとしている。妃の座を奪おうと。


 皇后陛下がこっそり後ろ手に渡してきた反古ほごの紙切れにその侍女のことが軽く書いてあった。名は蒼蘭ソウラン。親が力のあるごうの長で公主ひめに近しい待遇たいぐうで育ち、殿下が賢妃けんひした妃である雪梅シュエメイに仕えるよう親から命じられた。で、猛反発したものの家をだされた。


 んで反発心そのままに雪梅妃の補佐や引き立てではなく殿下の寵を狙うように逆上したということであっているか? さらに雪梅妃も蒼蘭の扱いに手を焼いていて……と。


 なんか、絵に描いたようなアホの図だな。


 ここまで堂々としていると間違えまくった意味でだけ天晴あっぱれ、と言いたくなってしまいますね、こりゃあたしかに。これだけ野心燃やしまくり、というか野心の塊じゃあな。


 ある程度の波に揉まれてきたといえど温室育ちのお嬢様方には手に負えないかあ。


 皇后陛下ですら閉口するのなら、こりゃ今日の授業は授業が目的じゃなくてアホをどう断じたらいいかしら? という相談に私の授業予定を組んだんじゃないかと疑うよ。


 いや、いいが。頼られて嬉しいし。ユエだったら「面倒臭い」の一言でぶった切ったかもしれないが、月はいつも通り車で留守番している。あのきつねめ、「畏れ多い」が違う。


 もっとこう、重大局面で言ってくれ。龍の、神の名を冠すみやに入るなんて畏れ多いのーう、じゃねえんだよっ! つか、思いあがり激しいアホのお嬢様をぶった切るならあいつの方が適任なんじゃないだろうか。というのは私だけの特殊意見ではないらしいね。


 皇后陛下が苦笑して付人つきびとがいるのにいない私に「気をつけてね」という態度でいらっしゃるからだ。こりゃあひょんなことで私も因縁いんねんつけられかねないってことだろうな。


「さ、今日はこの室にしましょうか」


「はい。あの、おうぎをお許し願えますか?」


「……ええ。よくってよ。前情報が、ねえ」


「ええ、はい。そうですね」


 そうですね、言って私は円扇を顔の前にかざして陛下が着座なさった対面の下座に腰をおろしたが、いつもよりは上座寄りにしておいた。雪梅妃、よりその侍女を警戒して。


 当然だろ。このとうとき女性たちの前でも野心前面に押しだすような業突張ごうつくばり女だぞ?


 備えないってそれこそ不用心でアホですか、って話だもの。まあ、ひとから聞いた話だけで相手のこと決めつけるのはよくない。よくはないがあの皇后陛下が言うし、ね。


 剛胆そのもの? と時折思っちゃう彼女が気をつけて、と言ってしまうくらいすさまじい女なのだろう。その蒼蘭、というのは。私が片手で教材を用意していると扉が叩かれてひとが通された。色白の肌。長い睫毛が雪原せつげんの頬に影を落とす。淡い茶の瞳。黒髪。


 殿下からもらった四夫人の名簿にあった容姿そのままであり、深窓しんそうの公主そのものな女性が入ってきた。伏せがちにしていた視線をおずおずあげ、私に気づいて途端びく!


 臆病おくびょうで引っ込み思案だが、気立てがよく控えめでよしと書かれていた通りの女性。だけどこれは臆病、で片づけていいのか、殿下? このひと、すっごいおどおどしている。


 なんか、私の方が申し訳ない気分になる。


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