一四九話 朝餉。仕事割り振り。勉強。伝言


「ご馳走様」


ジン様、あの獣の肉は本当に」


「お前たちの心配は嬉しいが、人間は悪意で動くばかりではないのだ。一見、悪意に見えても当人にその気が皆無、ということだって普通に起こりうるのだから疑心暗鬼は」


「そうぢゃの。肉も綺麗ぢゃったし、上手に仕留めて締めてあった。慣れていることや得意なことで誠意を贈りたい、と思ったのが他の目には悪意にうつっただけであろう」


 疑心暗鬼に駆られる必要ない。そう言いかけた私に他の侍女じじょたちはそれでも悩ましそうだったが、ユエが補足してくれた。獣臭みのない肉と綺麗な毛皮を一緒に贈ってきただけ。普通さばいてからじゃないのか、と思うだろうが私がどう反応するか見ているのかも。


 まあ、ぶっちゃけどうでもいい。誰が悪意を持とうが、善意を持とうが。そんなもの瑣末さまつだ。悪意に悪意を返す、というのも不毛ふもうだ。そんなもの余計ないさかいの種なのだし。


 殿下に新しい後宮こうきゅうを。という両陛下の意図を私は重視する。殿下が心穏やかに眺められる花園はなぞのを目指す。これまでの、女同士の醜いおとしめあいを完全に失くすのは無理だが。


 それでも可能な限りは平穏を保ちたい。殿下の御心おこころが安らげる、癒やされる花園。


 できるなら眺めているだけで自然をたねを残したいと思える、そんな女性たちがつくる輪の中心に殿下がいて、取り纏める者は今のところ私なので、全力で尽力したいもの。


秋穹チューチィォン


「はい。あまり長く話し込む時刻ではないでしょうし、二品ほど厳選しておきます」


「頼むよ。ああ、あと一応膝掛けなんかも」


「かしこまりました。では支度でき次第お使いにだします。あとはお任せください」


「ん。よろしくな。私は書斎しょさいにいるからなにか用事ができたらいつでも言え。芽衣ヤーイー、一緒に字を書こうか。文字が書けるようになったらお前も侍女じじょにあげられるようになる」


「あ、の不勉強で……」


「いや。私も最初はできなかった。学ぶ意欲と必要があれば誰しも努力するし、できるようになったら嬉しいことが増える。芽衣も先々で役に立つから学んでほしいだけだ」


 強制するわけではないが、それでもできることが増えるのが嬉しい、というのを味わってほしい。ただそれだけで他意はない。第一にそれを言っちまうとこのみやの不真面目筆頭ひっとうは私か月の上ふたり、というアレさだ。私は元が不勉強だった。月は面倒が嫌いだ。


 月は今も面倒嫌いだが、私が関与することについては多少なり「面倒ぢゃ~」が薄れるようでいい傾向だ。私は元こそ不勉強で不心得だったが、今はまじめにやっている。


 やはりアレだ。やる気があれば、そして教材があって講師がいいひとだと結果として伴ってくれるようだ。あのまずしいむら出身と思えない成長をしている、と自分褒めたい。


 芽衣は私の擁護ようごくすぐったそうはにかみ笑い、尻尾ふりふり私の後ろについて階段をのぼり、書斎の扉を開けてくれたので入って、入れてやり、簡単な絵巻きを渡してやる。


 私が初期の初期、勉強をはじめるに当たって文字が読めない、もしくはあまり多く知らなかったのでもらった優杏ユアン様のおさがり絵巻き物なのだが、いろんな表現や文字がある優秀な一巻きで学びはじめ者にはぴったりだった。これを制覇せいはしたら大衆向けの本を。


 軽い昔話や挿絵さしえの多い本なら話自体は知っているから読みやすいだろう、という配慮でいただいたものだった。こちらも終わったらあとは早いもので、すぐ読み書き可能。


 私が反古ほごにした木簡もっかんの裏にでも落書きしていってくれればいいだろう。そうして実践してどんどん書けば書くほど理解は深まり、覚えもよくなる。私がそうだったからな。


 元の頭の出来が私より上等そうな芽衣ならばもっと早く覚えられるかもしれない。


 そうして、芽衣と一緒に勉強を、各々おのおのの程度にあわせて行っていると、扉がとんとん叩かれたので返事をする。したら、扉の向こうで侍女のひとり、桔梗ヂィエガァンがなにやら緊張した硬質な声で伝言してきた。その内容を聞いて私は軽く返事と伸びをひとつしたのだが。


「静様、あの、どういうこ」


和平わへいの交換条件、というやつだな」


「そんな、まさかっ」


「大丈夫だよ。桔梗、暮れに殿下を待って所定の場所で、とお伝えしてくれるか?」


「……。わ、かりました」


 渋って嫌悪しているようだが、私がひとりではないという部分で納得したのか桔梗は去っていった。すぐ階段をととと、降りる音に続いて玄関の方で少し騒動しているが。


 とりあえず、少し程度騒動で済んでいるので相手方もバカではない、ということ。


 じゃなきゃ、私に伝言させる前に殿下が聞いたら「知るか!」と叩き切るかもしれないし、月に見つかっても高笑いで燃やされる、だなんて知れたことに決まっているし。


 ……いや、殿下の場合は自身の自業自得だ、と自虐しながら伝言に来たブツを通しただろうか? ふむ。あのひと本当にまじめでお堅いところがあるからいまいち読めん。


 月の対応は知れたこと。焼却一択。うむ。わかり切っている、というやつだよな。


 あいつ、アレで激情家げきじょうか気質きしつも持っている。邑でも私への虐待ぎゃくたいおどして退しりぞけたくらいには私に対して恩義を覚えていて配慮してくれる。時々、「え?」というのがあるけど。


 まあ、事前に聞いていた通り。普通の人間が毎日毎食飢えを覚えるように「彼」の飢えも当たり前に彼を襲い、苦しめる。和平を一時、仮に結ぶ為に取りつけていた約束。


 本来ならもっと早く要求が来るかと思っていた。それこそ帰る前に少しだけとかそういうの言われるかと予想していたんだが、そうでもなく。およそ五日は経過している。


 最後にされてから五日。大丈夫だったんだろうか、なんて思ってしまう私も甘い、のかなあ? 生憎と自分自身のことは自分が最も知りえない、というのが人間だそうで。


 私は呼び鈴を鳴らして侍女がしらに、月がいやがったので任命した砂菊シチウに芽衣と一緒に尚食しょうしょく職者たちが働く厨房にいくついでに殿下へ「彼から要求」と言伝を頼んだのだった。


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