一四四話 おねがいです。それとこれはおねだり


 どうでもよかった。あの時、頭をめていたのは殿下の安全だけだったから。後悔はなかったもの。それがあく、だということなのだろうが。でも、だってだけど私は……。


 殿下が大事だいじだった。大切だった。いつの間にか身をていしてもよいと思う程度には。


 殿下のまばゆさと熱いくらいのぬくもりにがれた。心があこがれて、心から願い求めた。


 呆然ぼうぜんとする殿下の大きな手を取っていつかの茶会ちゃかいでそうしたように頬に当てる。あったかい温度。これがうしなわれていたかもしれない。そう思うと今、思い返しても腹立つ。


 かろんじないで。甘く見ないで。大事にして。私を本当に想ってくれるというなら。


 お願い。お願い、です。大切なひとに会えない、会えなくなるのは辛いことだよ。私を助けてくれたハオに会えないのが悲しいのとも違う。同じひととの離別は苦しく痛い。


「もう、二度としないでください」


ジン


「私を、ひとりにしないで」


 ひとりでいるのは辛くなかった。かくれ、そう言われた。でも、なるのは違う。


 ひとりで生きてきた。ひとり理不尽に耐えてきたし、ひとりでいい、と思ってずっとすごしてきた。でも、ひとのぬくもりを知って「いてもいい」と言ってもらって……。


 私はその一言で弱くなり、強くなれた。それなのに、そばにいてくれ、いてもいいと言ってくれた筆頭ひっとうがいなくなるなんて耐えがたい苦痛でしょう? 私は間違っている?


 違う、と甘えるな、とおっしゃいますか?


 ずっと曖昧あいまいだった殿下への想い。泉宝センホウ然樹ネンシュウ皇太子こうたいしに無理矢理口づけされて私は確信を持った。――私は、殿下のことが好きだ。このひとに見あう女になり、共にいたい。


 それとも、殿下は違う。心変わったと? それは淋しいが受け入れなければならないことだ。四夫人しふじんを迎えた今となっては私ばかりとこうして会うことも減らさなければ。


 それが他に、妃嬪ひひんにと見初めた者たちへの礼儀だものね。いいのです。元より分不相応のきさきというくらいともったいない愛の傾きだったのだから。平等に、が礼儀に違いない。


 でも、だけど今、ひとつだけ抜け駆けしていいとされるのならばこれを望みたい。


「……すまな、かった」


「ええ。本当に。なので、それ相応に贖罪しょくざいの証を要求してもよろしいでしょうか?」


「ああっ、ああ! なんでも言っ」


「では、口づけを」


「……すまない。どうも聞き間違えたと思」


「私を本当に愛するならその証をください」


 口づけ。然樹皇太子にされて、されて、されまくっていたのがいまさらながら殿下に申し訳ないというのと私自身がそうしてほしい、とはじめて願ったこと、ひとつだけ。


 あるとするならこれだけ。願っていいなら今、私はこれだけが欲しい。私を本当に想ってくれるのならば、愛してくれるのならば。このくらいは望んでもいいのではない?


 そう思って殿下をうかがってみると当惑とうわくした様子でおどおどきょどきょど、と落ち着きがない、に拍車がかかった。なんだろう、やはりダメなのか。私のような鬼の娘で――。


「そ、れは俺への褒美、になるのでは?」


「私は欲しいものを望んでいます。殿下にとっても褒美になるなら双方よし、では」


「あ、ああ。うん、そう、だ、な」


「それとも然樹皇太子に先んじられた女に口づけするのは抵抗がおありでしょうか」


「はっ!? ……あ、あの陰湿いんしつ粘着ねんちゃくーっ」


「すごくべたべたしていそうですね。まあ、実際もしつこいくらいやられましたが」


 この時、殿下のした顔を私は当面忘れられそうにないです。これぞいかずちに打たれた顔であっているだろうな。本当に感電しているんじゃないか、て感じそういうお顔だから。


 なにが言いたいのだろう、殿下。私に手をだすなんて悪趣味だとかは言わないとは思うが。だってそれは、それこそ特大「ブーメラン」口撃こうげきになっちまうでしょうしさあ。


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