一四二話 ただいま、と侍女事情、と風呂


「ただいまー」


「ふふ、どうぢゃった?」


「……あったかい」


「……そう、そうであろうとも。お。そうぢゃそうぢゃ、こやつらの案内は終えた」


「ああ。ありがとう」


「なに。わらわも走らせるのができてよかった」


「あの、本当によかったのでしょうか?」


 私のみや――金狐宮きんこぐうに戻って玄関げんかんで挨拶をしたら宮の奥にある隣接りんせつされた建物でへやからユエがひょっこり顔をだして私に感想を求めたので私は両手のお土産みやげを渡して、胸を押さえ、素直な、正直に思ったままを口にした。あったかい。案じられるのってとても。


 優しい気持ちになれるだけじゃない。熱いじょうが心に流れ込んでじんわり溶けてみていくのが心地いい。陛下たちの御心おこころが、優しさが胸に溢れているのを感じるからこそ。


 そうあるからぬくもりであり、厳しさでもあるそれが火傷やけどしそうに見えていたひとの情というものの温かさを知れた日だった。明日からは日常が戻る。新しい日々が――。


 それとそう、新しいでいえば私はようやく宮につかえることができそうな者を見繕みつくろえてそちらの成果もえられたので泉宝センホウとの戦はすっごくいろいろあったが、収穫もあった。


 芽衣ヤーイー。あの皇太子こうたいし然樹ネンシュウ式締しきじめにって縛られていた女の子を雇用こようすることにしたのと他にも泉宝を出国前にあやかしたちが閉じ込められた牢に出向いて年配ねんぱいから妙齢みょうれいまで幅広く女性たちを誘ってみた。みな、夫や子をうしなっていたり、ひとりになるから、と。


 そうした女性たちは私の誘いにぜひ、と声を大にしてそれ以外にとらわれていたあやかしたちも然樹にもんを消された者から故郷ふるさと新天地しんてんちを目指す、というので旅立った、と。


 金狐宮に入ったあやかし女性たちは芽衣も含めて九名ばかり。他の宮のきさきたちが抱える侍女じじょ下女げじょの総数としてはかなり少ないが、それと同じか以上の仕事をこなす筈。


 なにしろ、みなさん人生ならぬ妖生ようせい長い者たちばっかりだし、出産経験がある者や乳母めのとになれそうな者も助産経験のある者もあらゆる人材、じゃない妖材ようざいたちが集まった。


 そんな中、芽衣は泉宝でそうしていてくれていたのと当猫が言っていた以上に月が保証したので私の毒味係に任命した。これで今晩からは尚食しょうしょく係たちに仕事を割り振れる。


 猫人ねこびと族の中でも抜きんでて毒耐性が高く、人間が生成する毒など含んだ瞬間にわかった上で無毒化も可能らしい。謎が多い猫人族は月もあまり数見ていない、と言ったほどなのでやはりかなりの稀少種族のようだ。芽衣も彼女の祖母から進化のたねいだとか。


 芽衣は泉宝の国をでる前に国境くにざかいの野に父の形見となった肉片を月の火性かしょうで焼却。骨にして供養くようして泉のそばへと埋め、失敬して摘み取った花と墓石ぼせき代わりの小石を置いた。


 彼女はしばらくも両手をあわせていたが、やがてふう、とひとつ息をついて目元をぐいっと拭って馬車に乗り込んでいった。……多分だが、大丈夫だろうな、このコなら。


 その芽衣だが、まだ、月の施設案内があったのにまだ困惑気味だ。自分から毒味役を申し出たのに、なあ? おかしなことだが、然樹の態度からしても現状は異端いたんの極み。


 後宮こうきゅうにあやかしがこんなにいる、というのはありえないことだ、とあの皇太子は言っていたというか態度にだしていたのだろうな。てめえが集めさせたってーのに変なの。


 陛下たちが、現皇帝こうていと未来の皇帝がなにも言わないでとがめなかったし、これもまた新しい取り組みの一環いっかん、ということにでも考えてくださったのかも。本当頭があがらん。


「ここにいる限りは私が守るよ」


「ですが、その、ジン、様?」


「ん。敬称つけられるのあまり慣れないけど慣れていくにしようかな、私も一緒に」


 一緒に。みんなと一緒に歩む。みんなが尽くしてくれるなら私も尽力して立場を保証するようつとめる。本来なら、立場的に同列扱いは禁忌きんきらしいが、もう月は修正できん。


 その月が遠慮ない物言いや態度に振る舞いをするのだから、私の金狐宮内に限っては対等な関係で主従しゅじゅうの真似事をまずははじめてみよう、と落ち着いたので私は早速と湯を沸かしてもらい、久しぶりの風呂へ向かった。脱衣室で服も面も脱ぎ外し捨てて湯殿ゆどのへ。


 湯を体にかけて布で髪を纏めてから湯につかった。ちょうどいい湯加減。最高だ。


 ふう。気持ちいい。疲れた心身に沁みる。


 ……なんか、婆臭ばばくせえ。が、しょうがない。旅をしていた時だって三日に一度は水浴びをしていた。というのに、一〇日以上も監禁かんきんされていたんだ。でも不思議と臭くない。


 私は自己消臭機能でもあるんだろうか? なーんてアホ考えていないで自分洗濯しようっと。湯からあがった私は石鹸せっけんを泡立てて体をもこもこ洗う。いいにおいに癒やされつつ流す。髪の毛も今日は長く入っていなかったし洗髪剤シャンプーなるものを使っておこうかな。


 なんでもこれを使うと余計な皮脂ひしや埃汚れも綺麗さっぱり洗い流せるらしいのだ。


 美朱ミンシュウ様にいつもお肌の世話をしてもらっているから、というのでわけていただいた品だったが、活躍するほど汚れる機会もなかったので手つかずだったのだけど今日はね。


 久しぶりの風呂だし、使ってみよう。そう思って髪を丁寧に濡らして湿らせて頭皮とうひを入念にこすってから洗髪剤を適量はこのくらい、と教わった程度だして手で泡立てる。


 それを頭皮にペタペタつけていく。生え際や耳のそば、後頭部と頭頂部につけたそれをこすっていく。爪を立てないように気をつけて洗う。わしわし、もこもこいい香り。


 心地よい香りで湯殿が満たされていく。これ、柑橘かんきつ香草こうそうの香りかな。甘いけど甘すぎずさわやかさもあって、ちょうどよく心がほぐれていく。はあ、至福しふくの時間だ、これ。


 ざぷざぷ、ざばり。湯で洗髪剤をよくすすぎ落として最後に湯をかぶっておいた。


 ああ、さっぱりしたし、気持ちいい。顔の水気を拭き取って髪を絞って水を切る。


 脱衣室に戻って新しい手拭いで髪、体、顔を拭いていって、誰かが用意してくれた新しい服を着込む。濃い紫の布地が紫陽花あじさいのようで美しい斉胸さいきょう意匠デザインでつくられた衣服。


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