一四〇話 ひとはそれぞれに事情を抱えるから


 殿下の言葉は嬉しくある。でも、然樹ネンシュウ皇太子こうたいしの言い分もわからないでもない。あやかしのを必要とし、なければ飢え死にする。それに理解を示せる女ばかりではないと。


 殿下、嬉しいよ? でもさ、同等以上私はあなたに腹を立てているとお忘れなく。


「双方の言い分はそれぞれもっともであろうが、ここは当人の意見を聞き入れるべきではないか。嵐燦ランサン、そして然樹皇太子よ。水姴スイレツ、その方はどのように考えているだろう」


 で、とうとう燕春エンシュン陛下が口をだした。ふたりの舌戦ぜっせんがこども以下にいきそうになったからだと思われる。ガキ以下ってなに? と思わないでもないが、畜生ちくしょうも食わぬ……?


 なんか、それは違う気がしないでもないけど陛下は私に目配せしてきたので頷く。


「私は帰るべき場所に帰る。私の意志で」


 私の、意志で。殿下が好きだからとか、然樹が嫌いだからではなくて。ただただ。


 私が帰るべき場所は天琳テンレイの国。私に「おかえり」と言ってくれるひとたちがいる場所に戻るだけだ。感情なんて関係ない。殿下が言いつのろうと帰らない、と決めたらそうするように。帰りたい、帰ると決めているから帰る。私の居場所を絶対強制させはしない。


 断固とした私の言葉裏に隠れる感情に気づいてか、殿下は喜びも悲しみもしない。


 ただ、苦しそうではあった。私の拒絶が、怒りが伝わった様子。よろしいことで。


「だ、そうだ。彼女が自分の意志で帰ると言っている以上、貴殿のそれは我儘わがまま暴君ぼうくんの振る舞いにほかならない、とおわかりだろう? 知らぬ、と言うなら及ぶまでこう」


「僕は、そこまでバカじゃない。でも」


「?」


水花スイファ妖気ようきがなくなるならまた代わりになるあやかしを頑張って捕まえないとね」


「然樹っ、貴様……水姴?」


 私の代わりのあやかし、という言葉で殿下が激昂げっこうしそうになったが私がそでをくんくんと引っ張って止める。違うんだ。この皇太子の言葉は「そういう意図」ではないんだ。


 ただ、単純に未来に転がる苦労を語っただけであって私を引き留めようとする、そういう意図はない。それくらいこの皇太子にとって妖の気とは生存、存在にかせない。


 人間が生きていく為に必要な栄養が必ずあるのと同じように、この皇太子にとってあやかしの気は必要不可欠で他の栄養では代替できないモノ、となっているからこその。


 私が持つ、私の中に眠るハオの濃い妖気を手放すのは惜しいどころではないのだな。というのがわかってしまう私は殿下を止める。殿下にこの男の苦労は計り知れないので。


 この男が殿下に言ったこと同様。然樹皇太子に殿下の、潔癖けっぺきな彼の苦労はわからないのだからさかしげに語るな。殿下も知ったふうにこの皇太子をあく、だとそしってはダメだ。


 ひとそれぞれに事情がある。それを別の視点で眺めたぽっちなことで神様のように断じてしまうなんて傲慢ごうまんだ。理解も、納得も、努力も……すべてを投げて決めつけては。


 どうしようもないことだってある。生まれつきの体質。生まれた場所の特性。生まれた年の気候によって起こってしまった不遇。いろいろだ。ひとは様々千差万別、十人十色で不幸と幸福を背負っている。そいつを勝手に判じて善悪に嵌めようなんていけない。


 私たちは高みから見下ろす神様じゃない。ただの、たかがちっぽけな人間でしかないのに。わかった気になって、知ったような面をして、理解したフリをするなんて……。


 そんな者こそクソで悪、と呼ばれるに相応しいクズ野郎だ、と私は考えているが。


 これもまたおかしなことか? 私の非常識でのかたよった認識だということだろうか?


 わからずもわかることもあるし、ってので私はひとつ提案してみた。殿下は驚愕きょうがく、という顔だったが、私が決めたことならばと口をはさまなかった。然樹皇太子も驚いて、むしろ殿下以上に驚いていたが、次には淋しそうに笑って頷き、両国陛下方の許可もえた。


 こうして、とんだ波瀾はらんであった泉宝センホウとの悶着もんちゃくに最善手で決着をつけること叶った。


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