一二六話 揺らぐな、揺れるな、毅然と在れ


水花スイファ、僕にだけ当たりが強くない?」


「んなもんてめえの気のせいか自意識過剰かじょう


「ふふ、そんな君がどういうふう、どんな感じで甘やかになるかとても楽しみだね」


 なにを言っているんだ、こいつ。再び。使いまわすならなにをほざくこのアホんだら野郎、でいいだろう。本当になにを意味わからんことを言い腐っていやがるんですか?


 もうちっとわかる言葉で言ってくれ。私が理解できるようにしてくれ。でもざっくりおおっぴらに言われてもそれはそれで私というのは困惑してしまいそう、ではあるが。


 てゆうか、甘やか、ってなに? まっこと意味がわからん御仁ごじんだ、この皇太子こうたいしは。


 私にどうしろ、というのだ。いや、なにもしたくはないが。そして一応訊くが、いつてめえが紳士だったって? さらには「あのバカ」、とは殿下のことか。たしかに今回の判断はバカだったかもしれないがそれ以外では彼こそ紳士で優しく賢い。いいひとだ。


 私なんかを受け入れてくれると言った。例え今、嫌いでもいつか惚れさせる、とばかりでこの男は真性しんせいのバカだろうか? と思ったこともある。昔、でもない過去に――。


 殿下。私のこと見限っていないといいが彼はやんごとなき身で私はたかが野良のら鬼。その事実は覆らない。現実はなにも変わりはしない。私は代替の利く存在でしか、ない。


 そのことが異様に悲しく思えるのと同時にこの皇太子、然樹ネンシュウにとって私は唯一無二な存在なのではないか、と思う私がいる不思議。この男にとっての特別になり、た、い?


「水花、今なにを考えていたのかな?」


「! なんもねえよ」


「そうかなあ? 物欲しそうだったよ」


「笑えるくらい笑えない冗談だ」


 今、見透かされた? この皇太子の特別になりたいだなんてなにを血迷ちまよったこと。


 そんな筈ない。私は、私が特別になりたいのは特別にしてほしいのは――……誰?


 あれ、あれ? 頭がおかしくなったか、記憶能力の不備かそれとも、それと、も。私はいったい誰を想っていたんだ? ううん。想うに足るひとなんて、いたんだったか?


 ダメだ。頭がズーンと、重たい。思考能力がいちじるしく低下しているようだ。こういう時はなにも、余計なことを考えないに限る。そうしたい。そうしようというのに、なぜ。


「ねえ、水花」


「……」


「君は僕が好きでしょう?」


 ヤメロ。話しかけんな。しかもなんだその質問はアホか。てめえこそ殿下以上に真性のあんぽんたんだってーのか。どうして私がてめえなんぞを好きだなんて勘違い、を。


 あれ? 勘違いは「どっち」? 私はどの殿下が好きだったんだ。嵐燦ランサン殿下? 然樹皇太子殿下? わからない、のはどうして、だ。頭ごちゃごちゃになって気持ち悪い。


「素直じゃない水花は照れて「本当」の気持ちが言えない恥ずかしがり屋さんだね」


「な、は?」


「君は、僕のことを、愛しているのに」


 なにを、言っている? 私が気持ちを傾けたのは――にだけで。れ、――って誰?


 雑音ノイズが混じった思考に首を傾げる。なんで私は私自身のことがわからなくなっているんだろうか。特に愛するべきひとが不明になってしまうだなんて相当に変であるのに。


 なぜ、気持ちがぶれる? どうしてこの目の前にいる皇太子の言葉を肯定こうていしたがるんだよ、私。そんなのありえない。この男は最低な、最悪、な……なにが、悪かったの?


 記憶が曖昧あいまいになる。考え事が全壊ぜんかいしていく。私自身が不明におちいっていくのがわかってそれがとてつもなく苦しくて、悲しくて、非情さに涙したいとすら思う。それなのに。


「僕は君を愛しているよ。アレと違ってね」


「あ、れ……?」


「そう。君に偽りの愛をうそぶ卑劣漢ひれつかん、嵐燦」


「ラ、ンサ……。……ち、違うっ!」


「なにが、違うのかな?」


 やめろ、やめろ、ヤメテ。私に話しかけないで。特に今は大事なことを思いだしたいのだから。それを妨げないで、くれ。放っておいてくれ。構わないでほしい、どうか。


 ……。すう、ふう。落ち着け、そして、しっかりしろ、私。これはこの皇太子の言葉による暗示あんじだ。私が嵐燦殿下ではなくこの皇太子を想うように仕向けている、だけだ。


 私は、殿下を想っている。もちろん、天琳テンレイの皇太子であり、優しくて私にひどいことは一切していない、嵐燦殿下を、こう、あの、アレだよ、ほらアレ、おしたいしている?


 と、思、う? ……もう、相変わらず不明瞭で不透明な、私がいやになってくる。


 そんなことだからつけ込まれるんだ。この皇太子に殿下への気持ちを揺さぶられて揺れそうになった。きさきとして相応ふさわしからぬほど容易に。不動でなければならないのにさ。


 揺らいではいけない。揺らされてはいけない。……ああ、でもきっと優しい殿下だから気持ちが揺らぐのは人間だから仕方がない、と言ってくれるだろうか。いや、ダメ。


 自分に都合つごうがよいように解釈かいしゃくしてはいけない。私はここに将軍として捕虜ほりょとなってはいるが、本来は殿下の后で、その、えっとなんていったっけ、あ、そうそう貞操ていそう観念というのもしっかりしていないといけない。他の男に惑うなんてあってはならないそうだ。


 ……。そういう意味では向こうが支配した上であろうと殿下より先に他の男と口づけしてしまった私に后の資格はないのではないか。殿下も、さすがに許容しないだろう?


 殿下、今、どうしていますか? 私は窮屈きゅうくつでとてもとても屈辱くつじょく的な生活を強いられています。この寝台からでること許されず、排泄はいせつは簡易かわやなるものにして、芽衣ヤーイーがいやな顔ひとつせず片してくれる申し訳なさで窒息ちっそくしそうだ。助けて。お願いです。私を……。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る