一二四話 諦める? そんなことできるものか


 ユエ、あやかしであるお前でも相手がジンならわかるだろ。俺のこの苦しみが、痛みと自らを刻み殺してもなお足りない! そう思ってしまう、この後悔のほどがみるほど!


 父上は泉宝センホウに使者を送ったと言ったがそれで然樹ネンシュウが素直に交渉こうしょうに応じるとは思えないのが最たる厄介やっかい身代金みのしろきん次第、とでも言ってくればまだ余地があるも、「知ったことじゃないよ、そんなの」と言われてはそれまでだ。そうなると、地道じみちにもクソもなくなる。


 それこそ武力行使しか道が残らなくなる。


 それはできるだけ避けたい。東の領土。その広大な地を預かる泉宝とことを構えるのはよほどの、むに已まれぬ事態でもなくば避けねばならない。それが暗黙あんもくの了解故。


 どれほど腹が立とうと、理不尽を覚えようと広く肥沃ひよくな泉宝の地は皇族こうぞくたちの統治あればこそ保たれている。この大陸中の胃を握っている、と言っても過言ではない。


 この天琳テンレイの国から食糧しょくりょう融通ゆうずうしてもらったことがこれまでにも数え切れないくらいあるとされている。なのに、その泉宝の皇太子こうたいしはあやかし、という栄養が不可欠と?


 それはなんという皮肉ひにく膨大ぼうだいな農地で育った糧があってもあやかしの気がなければ飢えてしまう、というのは憐れといえば憐れではあるが、他者をおびやかすなど許されない。


 ……俺がこれを言うのも考えるのも滑稽こっけいだ。そもそもことの発端ほったんは俺のバカさ加減のいきすぎだ、というのに。それを脇に置いて然樹を憐れむフリしてそしってはならない。


「陛下、使者が急ぎの鳥を寄越しました」


「なんと、言ってきた?」


「は。それが」


 室外から声。兵が伝言を携えてきたようだが、陛下は招き入れることなく、その場で読みあげさせる。扉の向こうでほんの少々躊躇ためらい含まれた声をあげた兵が告げたのは。


「「あのコは帰らない、って言ったよ」と、いう然樹皇太子の伝言と説明の紙を持たされたのだそうです。どうやら、あの、殿下の軽率けいそつな行動を嫌悪けんおし、あんな阿呆あほうのところになど帰る意味を見いだせない、と言ったので迎え入れてやったら喜んでいた、とその」


「そうか」


「ですが、あの義理堅い水姴スイレツ将軍が」


「その方の意見は述べずともよい。ちんらがきちんと判断する。もう、さがるがいい」


 冷たい、物言い。父がこういう言い方をするのは珍しい。が、俺のアホさを思えば当然の凍結だ、とわかるのでなにも言えない。そして、静が俺に腹を立てている。そう。


 そうだな、当然だな。わかり切っていた筈なのにいざこうして聞かされると心に深く突き刺さったとげが鋭く痛い。伝言を持ってきた兵はさがる。足音が遠ざかっていった。


 足音が完全に遠くなってから父はため息を吐いて俺を見据えてきた。特別、含む意味もないが故により鋭い眼差し。こういう時、偉大さを痛感させられる。同時に、俺の未熟さ加減も実感する、というもの。俺は、もう、静に隣に立ってもらえない、振られた?


「くっ、ふふふ」


 不意に、そこでそれまでおもだって口だしてこなかった月が突然笑いだした。きつねの顔にはさげすみと愚かしき特大阿呆を聞いたかの如き嘲笑ちょうしょうが浮かんでいる。? え、どういう。


「つまらん三文さんもん芝居ぢゃて」


「ああ。例の憑依ひょういしきだろうな。しかし楽観らっかん視もできない。水姴がとらわれたまま妖気ようき供出きょうしゅつ余儀よぎなくされている、ということならば彼女に響くしちの存在がいるのだろうて」


 ……。あ。つまり、なんだ。俺だけ真に受けてしまった、のか。俺だけが踊らされたということか、然樹のやつに。ぐう、本当、本当にやつとは相性が悪すぎるな、俺は。


 月が言っていたことがいやでも蘇る。木剋土もくこくどことわりはこんなにも深くこの世に生きる人間やあやかしに根づいている思想、以上に特性、ということなんだな。苦手な人種だ。


 と、いうか俺はここほど素直だったか? それもこれも静が関わっているせいか。彼女の言葉かもしれない、そう思ったら真に受けてしまった。そこに俺が軽挙けいきょを働いたという一粒の事実を加え混ぜれば、そいつはたちまち俺にとっては痛い事実の攻撃となる。


 少なくとも土性どしょうが強すぎない父母と火性かしょうの月は鋭く嘘の報告を見抜き、憑依された伝令をさがらせた。俺が以上に心へ痛手を負わず済むように。……俺ってどこまでバカ?


 ふと、そんな「俺って相当バカなのでは?」という思考が悶々もんもんめぐりそうだったが父が場を直すのに咳払いしたのでハッとして居住まいを正した。両陛下は頭痛堪える顔。


「どうやら、相当気に入られたらしいな」


「そのようですわね。ですが、でしたら急ぎ策を練って講じねばあのコの貞操ていそうまで」


「ああ。梓萌ズームォンの言う通りだ。このままでは、やつが行使こうししているであろう支配などが長引けばあのコでも耐えられまい。言われるがままに言いなりにさせられておびとくかも」


「ぶっっ!?」


 せる。ち、父上っ! 朝の朝っぱらから俺になんという仕打ちをなさるんです!


 うっかり想像してしまったではありませんか。静が、そのあの皇太子に微笑みかけて服の帯をほどく様などという、今のこの状況に緊張感のなさすぎる破廉恥はれんち妄想が炸裂。


 いや、もはや爆裂したでもいい。とにかくあの、もう俺は二度と命令違反も忠告無視もしませんから虐めないでくださいっ! すでに心身共に極限状態なんですからして!


 俺のせいで静がいない。その圧倒的現実で事実が俺をただでさえ削っているのに。


「なぁにを想像しおったんぢゃ? おさかんよのーう、皇太子や。夜だけにせいえ~」


「な、な、な……っ」


「よいから、話を先へ進めるぞ。盗聴とうちょう防止の結界を張った。ぬしの失態しったい挽回ばんかいせえ」


「! す、まない。ありが、と、う」


 俺が泣きそうになって礼を述べると月は鼻で笑って椅子に腰かけ直した。挽回してみせよ、と言ってくれた。そうだ、諦めない。彼女、静を。俺だけは諦めてはならない。


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